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第36話

 俺は巣穴の淵に立って外を眺めた。

 崖下を流れる川を挟んで、向こう岸には広大な樹海が続く。

 巣穴は断崖の中腹にあるので普通に出入りしようとすれば翼が必要になる。


 ——どうやって帰ってきたのか……。


 記憶をなくした酔っ払いみたいなことを思った。

 俺とリノンがここまでたどり着けたのは、自力で飛んできたのかそれとも本当にフクロウが助けに来てくれたのか、よくわからなかった。

 両翼を恐る恐る広げてみる。

 左はそこそこの大きさにまで成長しているが、やはり右はうまく広げられない。

 本能に任せれば飛べるのか。

 俺が飛べると信じれば飛べるのか。

 試してみる気になれなくて、翼を畳んだ。

 巣穴の出入りをどうするか——それについてはとくに危惧していなかった。

 穴を掘ればいいからだ。

 巣穴から上に向かって掘り進めていけば、崖の上に出られる。

 なぜ上かというと、その方が掘る距離が短く済みそうだったからだ。

 穴の側面から斜め上に向かい、人一人が通れる大きさの穴を掘り進めていく。

 ショベルもツルハシもなく、爪だけでひたすら掘った。

 土はそれほど硬くなかったのだが樹の根が網の目のように張り巡らされていて、進行は芳しくない。

 日が傾く頃、大した距離も掘れずに作業をやめた。

 穴に戻ると、リノンが日当たりのいい場所にちょこんと座り、シャツを直していた。


「熱は?」

「下がったみたい」


 俺に背を向けていたが、上半身に何も着ていない。

 その姿に思わず狼狽える。


「あの、なんか、上に羽織るものとかないの?」

「これしかないから」


 と、縫っているシャツを持って見せる。


「眼のやり場に困るんだが」

「そう? ドラゴンなのにそういうのあるんだ?」

「一応言っておくけど、ドラゴンっていっても転生前は人間のおっさんだったわけだからさ。多少は気にしていただけると」

「きゃーマミイのエッチ(棒)」


 リノンはまったく意に介する様子もなく、作業を続けた。

 布が裂けた部分にナイフでぽつぽつと穴を開けていき、そこに網から切り出した紐を通して縫い付ける。

 取れたボタンも同じように穴を開け、枝の切れ端を紐で結ぶ。

 枝をボタンホールに通せば、ボタンの代わりになる。


「器用なもんだな」

「不器用だと死ぬから」


 リノンは軽く言うが、彼女が言うと死という言葉に転生八回分の重みが乗っている気がする。

 奥の暗がりでムラサキが不機嫌そうにミミズジャーキーをくちゃくちゃ食いながらこっちを見ていた。

 壁に持たれて両脚を投げ出した姿はまるでおっさんだ。


「……ムラサキ?」

「なにイチャイチャしてんのよ」

「してないよ?」

「この人間の女、あたしの生まれ変わりとか言ってんだけど意味わかんねえ」

「え?」


 俺はつとめてリノンの方を見ないようにしながら、


「ムラサキに転生のこと話したのか?」

「え? ああ、話したっていうか、なんとなく間が持たなくて、勝手に喋ってたんだけど」


 リノンは作業の手を止めることなく答える。


「日本語で……だよね?」

「え、もしかして通じてた感じ?」

「そうっぽいね」

「マジか」


 俺はムラサキに転生という概念を説明したのだが、


「死んで人間になんかなるわけないだろ!」


 と、頑なに信じようとしなかった。


「リノンは? ムラサキの言ってることわかるの?」

「わかるよ、日本語がわかるのとはちょっと違うけど。ピヨピヨ鳴いてるのが、こんなこと言ってるなって聞き分けれるっていうか」

「そういうもんなのか……」


 ではトカゲたちと俺の会話も聞き取れていたということだ。


「どうかな?」


 リノンは仕上がった上着を着て半周回ってみせた。

 小枝をボタン代わりにしたシャツはなかなかワイルドだが、彼女の身体を隠すという重要な機能は回復していた。



 翌日も、俺は引き続き穴を掘った。

 自信満々で始めたトンネル掘りだったが、思ったように進まない。

 上に行けば行くほど樹の根が太くなってきてその都度コース変更を余儀なくされた。

 開通まであと何日かかるか見当もつかなかった。

 昼頃に巣へ下りると、リノンが気味が悪いほどのニッコニコで声をかけてきた。


「ねえマミイ?」

「なんだい?」

「お願いがあるの」

「リノンのお願いか。さて、なんだろうねえ」


 あまりにも白々しい笑顔だったので俺の返答も芝居がかってしまう。


「聞いてくれる?」

「お願いによるよね」

「あたしとムラサキのお願いなの」


 見るとムラサキも頷いて、リノンにまとわりつくようにぴょんぴょん飛び跳ねている。

 あれ? ムラサキってリノンのこと嫌ってなかったか?


「川に行きたいのね」

「えー、ちょっとそれは……まだ無理っていうか」

「そろそろ水がないの。服も身体も洗いたいし、ムラサキも水浴びしたいって」

「川で?」

「他にどこか?」

「いやー、ムラサキはともかく、きみは下りるの大変だよ? 崖だよ? 俺が背負うのもやばいし、それこそボルダリングだよ?」

「そんな危ないことしなくても、方法があるの」

「俺は飛べないよ?」

「飛ばなくていいの」


 リノンは、後ろ手に持っていた紐の束を見せた。

 俺に最期までしつこく絡まっていたネットを縒り合わせて、長い一本のロープを作っていたのだ。


「マジできみ器用だなあ……。これで下りる気?」

「うん」

「大丈夫なのこんなんで……」

「あたし一人くらいなら全然いけると思う」

「え、体重何キロ? 強度大丈夫? ほんとに耐えれるの?」


 俺は純粋に強度の心配をしただけだったのだが、リノンはそうは受け取らず「デリカシーがない」と言って怒っている。

 裸見られるのは平気なのに。人間の女とは難しいものだ。

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