「マミイっ!!」
巣穴の奥からムラサキが、走ってきて俺の腹に頭突きを食らわせた。
これが挨拶がわりだ。
「元気そうで良かったムラサキ」
俺が答えると、ムラサキが眼を丸くして見上げる。
「マミイでか! でかなったな! あと鱗硬くなったな!」
「うん、まあ」
「なにがあった? 脱皮?」
「それ」
「身体に巻いてる網なに? おしゃれ?」
「ああ、これ意外と便利で」
「ていうかさ……この
ムラサキは俺の背中に隠れるようにして立っているリノンを見つけ、身構えた。
「あ、この子はな、実は……」
樹海の生き物にとって人間は敵だ。
でもリノンはムラサキが転生した人間だから、もしかしたら二人はわかりあえるんじゃないかと——。
「誰よその女ッ!」
「は?」
「なんであたしとマミイのスイートホームに!」
「えスイートホームっての何」
「はぁ? 今それなんか関係ある? あたしはなんでマミイが女連れてきてるのって聞いてんですけど!」
「これにはいろいろあって事情が」
言い合ってる俺の横を、リノンが一歩、前へ出た。
「ムラサキなの……?」
リノンはつぶやくように言った。
「あぁン?」
ムラサキは首を斜めに傾け、柄悪く睨みつけた。
「ムラサキだ……」
リノンが両手を広げて敵意のないのをアピールしながらわずかずつ、ムラサキに近寄っていった。
転生前の自分に出会うことは、なにか特別な感慨があるのかもしれない。
徐々に手を伸ばして、ムラサキの頬に手を触れようと——。
いきなりカツン! とリノンの指先をくちばしで突く。
「あ
「気安くさわろうとすな! 人間臭いんだよ!」
ムラサキは翼を広げて威嚇のポーズだ。
「ムラサキ、この
「嘘だね! 人間は全員敵だ! マミイ! こいつ追い出してよ! ここはあたしとマミイとパピイの家なんだから! てかパピイは!」
「パピイは遠くに出稼ぎに行った。そのかわり今だけちょっとこの子を居候というか」
「そうやって気軽に軒を貸すといつか母屋を取られることになるんだよ……?」
「どこで覚えたその言い回し、って俺か。てかこんなところで追い出せないだろ」
「川に突き落とせばいいでしょ!」
「彼女、怪我をしてるんだ。治るまででいいから、ここで休ませてやってくれないか、頼む」
頭を下げて、拝むように手を合わせる。
「はァ? 怪我ァ……?」
ムラサキはリノンの脇腹から血が滲み出ているのを見て、
「プスッ」
と嘴を鳴らした。
「な、ムラサキ。あとで
「ごっそり?」
「ごっそりだ」
「好きなだけ食っていい?」
「好きなだけ食っていい」
「約束な」
「約束だ」
「しょうがねえ……あたしもここから手負いを突き落とすほど鬼じゃないんだよ……」
不服そうではあったが、穴の奥に積んである藁の山を翼の先で示した。
「ベッドに横になっていいよ。まったく……。非常識だよね……。こんな時間にさ……」
ぶつくさ言いながらも寝床の周囲を羽の先で掃いたりしている。
「ありがとう、ムラサキ」
リノンが声をかけたのだが、
「はあ? 別に。マミイがそうしろっていうから仕方なくだ、調子に乗んな」
ムラサキは床を履き終えると、奥の藁敷きの隅に横になって不貞寝した。
「ムラサキは、きみの言ってることがわかるのか……?」
リノンに聞いた。
「どうなんだろ? 自分同士だから? そんなわけないか。でもどうなんだろ」
もちろん鳥に人間の言葉がわかるはずないが、転生した自分自身の言葉をなんとなくの感覚で勝手に理解したとしても今更驚かない。
「あ、マミイ」
とリノンは俺に近寄ってきた。
「えっ?」
「ごめんマミイ」
右手でナイフを出すと、すっかり俺の体に馴染んでいた、巻かれたままの網をバチバチと切っていった。
「あ……ありがとうね……」
「ううん、ごめんずっと苦しかったでしょ」
リノンは黙々と網を切っていく。
ふと食欲が込み上げ、それを振り払うように首を振った。
リノンは網を全部切ると、巣穴の奥でムラサキに言われた通り、藁を枕に仰向けに倒れた。
「ああ……なんか、懐かしい匂いだ」
「覚えてるのか?」
「ずっと忘れてた匂い。でも人間の鼻には、ちょっときついかな」
リノンは笑い、眼を閉じた。
ムラサキは彼女の隣に、寄り添うようにして寝ている。
俺はそれを見届けると、電源が落ちたみたいにその場に崩れ、ブラックアウトした。
◇
翌朝。
といってもまだ日の出前の、薄い雲が陽を受けて帯状に光っている、そんな時間だ。
眼が醒めて立ち上がったところで巣穴の上壁に頭をぶつけた。
脱皮は終わったらしく、落ちた鱗が足元に散乱している。
両手の爪を熊手代わりに、剥がれた皮膚を集めた。
試しに鱗を噛んでみたが、硬くてとても食えそうにない。
穴の外に掃き出してから、奥の様子を窺う。
リノンは眠っていた。
その傍でムラサキが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「マミイ、この人間、熱上がってるみたいよ」
リノンは呼吸が浅く、発熱しているのがわかる。
シャツの裾をめくり、傷を見た。
暗くてはっきりとは見えないのだが、血は止まっているものの傷口が腫れているようだ。
なにか食べるものが必要だ。
俺やムラサキみたいに虫でも生肉でもなんでもというわけにはいくまい。
「樹の
ムラサキの眼が輝いた。
「葡萄な! 約束な!」
毎日壁から這い出てくる虫やミミズばかりで飽き飽きしていたのだ。
この巣穴はそのままでも割と食べ物に困らなそうだった。
水分も壁面から飛び出した太めの木の根から滲み出ているのを吸えば足りた。
ムラサキはしばらく放置しても全然食べていけそうだったが……。
——人間は、そうは行かないからな。
まずは、この巣穴の出入り方法を何とかする必要がある。