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第34話

 崖を落ちながら、薄い意識の中で俺は後悔ばかりしていた。


 ——あの岩を掴まなければよかった。

 ——いやそもそも崖を降りようなんてしなければよかった。

 ——それ言ったら逃げるとき方向を間違えなければこんな崖っぷちに来ることもなかった。


 みんなもう遅い。


 ——せめてリノンだけでもなんとかなりませんか神様……。


 そう願ったとき、光とともに神が現れた。

 わかってる、神なんていないし、これは幻覚だ。

 実際はフクロウの幻覚が、見えたのだ。

 ムラサキの父親。

 彼は左の翼を根こそぎ失って血だらけで、今まさに落ちている俺の隣に並んで一緒に落ちていた。

 なんでここにフクロウが? だって彼はヘリと衝突して羽根をもぎ取られて、樹海の何処かに落ちて死んだんじゃなかったか。


「いっちょ前に貴様にも翼が生えたんだな」


 フクロウは首を横に回して俺の顔を見ると、眼を細めた。これが彼の笑顔だ。


「いっちょ前で悪かったな」

「こんなところでなにをやってるんだ?」

「見りゃわかるだろ、落ちてるんだよ!」


 本当は「生きてるのか?」って聞きたかったけど、それを聞いたら彼が消えてしまうような気がして、聞けなかった。


「翼は生えたけど、片方死んでるんだ。だから飛べない。もう落ちるだけだ」

「飛べるさ」


 彼の、自信にあふれた言い方。


「話聞いてた? 片方の翼しか使い物にならないんだぜ」

「私だって片翼だ」

「だったら教えてくれよ、どうやって飛ぶのか、飛び方をさ」

「私と一緒なら、貴様も飛べる」

「一緒って、ええっ?」

「私が脚で抱えてやるから、貴様は左の翼を動かせ。私は右の翼を動かす」

「そんな曲芸アクロバットみたいな」

「やるのかやらんのか」

「やるよ! やるけど!」

「あと二秒で地面だ」

「でもそんな飛び方でほんとに」

「ムラサキが待っている」

「ムラサキ……!」

「さあ、行こう」


 どこにそんな体力が残ってるのか、彼は力強く俺を掴むと片翼を羽ばたかせた。

 俺も慌てて翼を振った。

 フクロウと俺は落下しながらも空気を掴み、揚力を得る。

 ふわりと身体が浮かび、地面に激突するすんでのところで俺たちは、飛んだ。

 しばらく川面すれすれに飛び、次第に高度を上げていく。

 彼は翼の角度を微調整して、羽ばたくのをやめた。


「風を掴むのだ」

「風を、掴む」


 言葉を繰り返してみても、飛び方が理解できたわけではない。

 しかし俺のドラゴンとしての本能は、翼と風をうまくコントロールできてたみたいだ。


「これが、風に乗るということか。なんとなく、なんとなくわかった気がするよ」

「それなら来た甲斐があるというものだ」


 俺たちは暮れかかった空を、黙々と飛んだ。

 彼に話しかけたが、それっきり返事はない。

 リノンもさっきから全く反応がない。気を失っているようだ。

 背中から心臓の鼓動は伝わってくるので心配ないと思うが……。

 やがて、巣穴のある崖が見えてきた。

 巣穴の淵まで来ると、フクロウは俺たちを降ろした。


「ムラサキを、頼むよ」


 声に振り返ると、彼の姿はない。

 外は夕空だった。

 川も樹々もひっそりとしていた。


 ——夢を見てた?


 フクロウは本当にいたのか。

 俺は一匹で飛んできたのか。

 ここまでどう飛んで来たのか全く覚えがないから、ただ本能で飛んだのか。

 夢とは思えないほどフクロウの記憶は鮮明で、今でも脚で掴まれた感覚が鱗に残っている。


 ——彼はどこかで生きている。


 そう思うことにした。

 会うことはないが、生きている。そう思おう。


「どこ……?」


 背中に背負しょったままのリノンが目覚めた。


「着いた」

「巣に?」

「巣に」

「落ちたよね?」

「落ちた」

「なんでこうやって、ちゃんといるの?」

「飛んだんだ」

「どうやって?」

「わかんないげど飛んだ。フクロウが、ムラサキのお父さんが来て、飛び方を教えてくれて、一緒に飛んできた」

「ちょっと何言ってるかわかんない」


 リノンを背中から下ろすと、彼女の脇腹が血で濡れていた。


「大丈夫かこれ」

「へーき。このくらい」


 リノンは笑顔を見せた。

 彼女の血は、確かに俺には赤く見えた。

 眼には灰色グレーとの違いがないというだけで、頭では赤いと認識している。

 どうやら俺は先入観で、赤いと思ったものを赤く灰色と思ったものを灰色に見ているようだった。


「うわぁーきれい……」


 リノンが沈んでいく夕日を見て小さく呟いた。

 トカゲ、いやドラゴンの俺から見ても美しい。

 真っ赤な夕焼けだった。

 俺の眼には、そう見える。

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