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第33話

 俺は腹ばいになって、今一度崖っぷちから下を観察した。

 ほぼ直角に屹立する絶壁は岩がむき出しで、ところどころ崩れかかって案外脆そうだった。

 リノンも隣に並んで、下を覗き込んだ。


「二人で飛び降りて、一緒に死のうか」


 リノンは言うと、俺を見て微笑んだ。


「よくそういうこと笑顔で言えるね」

「それが一番いい結末だと思わない?」

「俺が助かってきみだけ死んじゃったらどうするの」

「心中なんだからそこはちゃんと死ねよ。太宰かよ」

「まだ二人とも死ぬって決まったわけじゃないからね」

「いいよ。あたしのことはいいからここに置いてって。マミイは巣に帰りな」


 リノンは淵から離れて、地べたに座った。


「きみを置いていけるわけないだろ。なんのためにここまで」

「あたしは歩いてキャンプに帰る」

「そんなわけいくか。そこらじゅう敵だらけなんだぞ。あいつらはきみを……」

「もう、それでいいかな。また転生すればいいし」

「カジュアルに転生すんな。きみには申し訳ないけど、巣穴まで連れて行くよ。怪我もしてるんだし」

「だからどうやってよ?」

「それはいまから考えるんだよ……」


 自信満々で言った俺をリノンは呆れ顔で見て、はぁ、と小さい溜息をついた。

 俺は向こう岸に渡る方法を考える。

 崖の淵を延々と川に沿って下流に歩いていけばいずれは低地に出るだろうから、どこかで渡れるポイントもあるだろう。

 しかしそうなると巣穴からも離れてしまうし時間もかかる。

 なんとかこの断崖をうまく下りることはできないものかな……。

 崖沿いを少し下流へ歩いてみると、大きく崩れた跡があった。

 断崖がまるで爆撃でもされたみたいにえぐられていた。

 下を覗いてみると、斜めに傾斜した壁面に、崩れ残った岩がいくつもしがみつくように突き出している。

 これなら、ギリ降りられそうだ……。

 ——と、リノンに伝えると、


「はあ? これを降りるの? どうやって?」

「どうやってって、ボルダリングみたいに?」

「あれって上る競技でしょ」

「じゃその逆。ボルダリングの逆。岩のくぼみとか、岩棚とかを伝って、下まで降りる」

「狂気だ! あたし無理!」

「大丈夫、俺が背負って降りるから」

「飛べばいいじゃん? その翼はハリボテか?」


 リノンが俺の背中を指差す。


「網がからまってたせいで右の翼がうまく伸ばせない」

「なんかすごいごめん。あたしのせいで」

「いいんだ。きみのせいじゃない。きみはやるべきことをやったんだし」


 翼を羽ばたかせてみる。

 俺の脱皮というか変態は依然続いていて、翼も徐々に大きくなってはいるのだが、やはり右の翼はうまく動かせなかった。


「右のはねが開けば飛べるの?」

「てかまだ翼の大きさ的に飛ぶの無理じゃないかな。そもそも飛び方がわからんし」

「そこは本能で飛ぶんじゃないの……?」


 リノンは俺の身体に巻き残っている網をナイフで切ろうとして、急に脇腹を押さえて膝をついた。


「リノン!」


 右の脇腹から太腿にかけて、血が広がっていた。

 動いたせいだろうか、まだ出血がある。

 血の匂いはトカゲどころか他の動物も誘引しかねない。


「急ごう」

「急ぐってなに」

「早く巣に戻って、身体を休めるんだ」

「崖を降りるとかあたし無理だからね」

「大丈夫、俺がきみを背負って下りるから」

「そんなの絶対落ちるに決まってんじゃん」

「軍にいたとき訓練の一環でボルダリングやったことあるから心配するな」

「うそーん……」

「見ろこの爪を。ちょっとしたピッケルだろ?」

「ボルダリングじゃないじゃん……」


 引き続きブツブツ言っているリノンを完全無視して、彼女の身体を網の切れ端で俺の胴に括り付ける。

 両腕を俺の首を抱えるように回し、両手首を網に結ぶ。

 ここまでガッチリ固定すれば、多少衝撃ショックがあっても平気だろう。

 俺が、背中を下にして落ちるようなことがなければだが……。


「行くぞ」


 俺は崖の端に四つ足で立った。


「え、もう行くの……?」


 俺におんぶ状態のリノンは不安そうだ。

 鱗を通して彼女の震えが伝わってくる。


「リノンもしかして高所恐怖症?」

「この高さもうただの恐怖」

「それもそうか……ま、落ちなければなんてことないから」

「はぁ?!」

「覚悟決めれ」

「待ってまだ——」


 リノンの答えを聞かないうちに、一気に駆け下りた。

 背中からリノンの悲鳴がガンガン耳をつんざく。


「ひぃぃぃぃぃぃ! 頭が下なんて聞いてないぃぃぃぃぃぃ! ボルダリングみたいにって言ったじゃぁぁぁぁぁぁん!!」

「ボルダリングの下りるときって飛び降りるんだぜ」

「うそつきぃぃ————!!」


 傾斜が付いてるとは言え上から見ればほぼ直角の崖を頭を下にして降りていくのだから、人間にとってはたまらないだろう。

 次々と岩棚に手をつき足をつき、ほんの小さな岩の出っ張りも見逃さず、どんどん降りていく。

 まるで絶壁を軽々と跳ね回る山羊みたいに。

 これならいける、と余裕かましてたのが悪かったのか、たまたま手をかけた岩が脆く、崩れた。


「あっ!!」


 俺の身体は岩壁に弾かれ、宙に浮いた。

 頭を下に回転し、背中を下にして落ちていく。

 姿勢を変えないと、このままではリノンが俺の下敷きに——。

 俺は最大限空気抵抗を受けようと、身体と翼を広げた。

 このとき下手に身体を捻ったのが良くなかった。

 壁から突き出た岩に頭から突っ込み、粉々に砕いたまでは良かったがその衝撃で意識が飛んでしまった。

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