樹々を間を縫うように、鬱陶しい藪を踏み倒しながら、リノンを背負って駆け上がる。
俺の脳内マップによれば、この山を越えればあとは平坦な樹海が続く。
その先の川の向こう、断崖絶壁の真ん中に空いた洞穴——そこにムラサキが待っている。
キイラを中心とする
リノンが猟銃で反撃してくれたおかげで、奴らは容易に近づくことができない。
距離もだいぶ開いたような……。
「リノン、弾は残ってるか?」
最初は俺も銃声を数えていたが、途中からわからなくなってしまった。
「あと少し、かな」
リノンは右手で銃を構えつつ、左腕で必死に俺の首にしがみついている。
俺は小さい翼と短い尻尾で彼女を支え、身体を低く屈めて藪の中を走り抜ける。
「うおわっ!!」
突然、藪が途切れて視界が開けた。
——崖だ。
自殺の名所と言われたら全然通用するほどの見事な断崖だった。
俺は足を止めた。
リノンも背から降りた。
振り返って身構える。
リノンは銃口を樹海へ向け、引鉄に指をかける。
俺は鰭や鱗、尻尾も全部逆立てて威嚇の姿勢を取る……が、ボロボロの網で下手くそなSMみたいになった姿はどうにも冴えない。
感覚を研ぎ澄ませ、辺りの様子を窺う。
キイラたちの気配は感じられないが、油断はできない。
「あきらめたのかな?」
リノンは楽観的。
「トカゲは執念深い。とくにセゲアは」
追ってくるのは間違いないが、怪我もしているので態勢を立て直しているのかもしれない。
いずれにしろ、さほど時間はないだろう。
俺は崖下を覗いてみた。
細い川が流れている。
巣穴の傍を流れていた川の、たぶん支流だ。
水量も少なくところどころ川底の砂利がむき出しで、飛び降りるには相当の勇気がいる、ていうかどんなに俺の鱗が固くてもまず死ぬ。
仮に俺はなんとか生きのびたとしても、人間であるリノンが助かる高さではない。
向こう岸はそう遠くないが、川に沿った低い土手のようになっていて、草が生い茂っている。
俺の脳内マップなんてちっとも当てにならなかった。
山を越えた先にこんな叩き切ったみたいな崖とは。
「どうしたものだろうか……え?」
リノンは猟銃の狙いを俺の頭につけていた。
「……そうだった」
真っ暗な銃口を見ていると不思議な気分になる。
これが光ったとき俺はもうこの世にない。どこまで銃口を見続けることができるのか、散弾が頭の中に入ってくるのを知覚できるのか。やがて俺の意識は消えるか散るかして、これで終わるか転生か。
いずれにしてもリノンの目的はこれで達せられるわけだ。
「……ここでマミイを殺せれば、あたしはもう死んで悔いはない。マミイさえ殺せれば、あたしの身体がトカゲの餌になったって構わない。そのために転生してきたし、いろんなものを犠牲にしてきたから」
さっき見た夢を現実にしたようなシーンだった。
夢の中のリノンは引鉄を引くのにためらいはなかった。
このリノンもそうだろう。
あれは予知夢だったのか。
こうなってしまえばもう俺の弁解や説得など無効だ。
「……なんてね」
リノンは銃口を下げ、真ん中から折ると、空薬莢が二個飛び出した。
「もうないの。残弾ゼロ」
「なんだよ、さっき聞いたとき弾丸残ってるって」
「残りの
「バディは互いの正確な情報を共有するべきだ」
「あたしとマミイはバディじゃないでしょ」
「少なくとも今はバディってことにしとかないとさ。目前に共通の敵がいるわけだし」
「マミイだって、あたしにとっては敵だよ? それも
リノンは猟銃を地面に置き、持ち物を確認し始めた。
ポーチの中を探ると、携帯食料いくつかと水のペットボトル、小さなナイフが出てきた。
溜息をついたのは、ベルトにつけていた無線機をどこかに落としたからだ。
「はぁ……。食べる?」
と、諦め顔で携帯食料を一本寄越した。
「ありがとう。でも大丈夫。俺はそこらへんの虫でいいんだ」
「虫ぃ? そんなんで持つ?」
「うん、大好物なんだ(嘘)」
「それならいいけど」
リノンは持っていた一本を口に咥えて前歯で折った。
食事はなにより大事だ。
生き死にの境目に立ったとき、気力が物を言う。
その気力は体力がないと湧いてこない。
体力とは、すなわち飯だ。
もっともそんなことは八回も死んでる彼女なら身を持って知っていることだろうが。
「君が少しでも食べて体力をキープしてくれ。まだまだこの先、道のりは長い」
……そうはいっても、もうどん詰まりか。
ここに留まってキイラたちと戦うか、崖に沿って川べりを歩きながらキイラたちと戦うか、いっそ崖から飛び降りるか。
顎を砕かれたセゲアはこれまで以上に俺を殺そうと執念を燃やすだろう。
キイラは俺との交尾に執心してるだけなのかもしれないが、リノンのことは確実に食料にするだろう。
敵は人間より一回りでかいトカゲ、いやどっちかっていうと恐竜だ。
戦ってリノンを守りきれるとは思えない、やはりここは〝逃げる〟一択なのだ。