ボクサーが顎を打たれてダウンすると、天に上るようなふわふわした心地よさだという話。
あれトカゲにも適用可能で、俺は夢見心地でっていうか夢を見ていたんだが、
「ハッ! リノン!」
と気づいたら、思わず声が出た。
あれ? 俺はここで、なにをしようとしてたんだっけ……?
俺は樹の根元に仰向けに倒れていた。
——そうだ、セゲアに突進して、カウンターを喰らって吹っ飛ばされて……。
意識が飛んでいたらしい。
一時間も二時間も寝ていたような感覚だったが、実際は数秒だったと思う。
あんな鮮明で長い夢を見たのに……。
——リノンは……!?
首を起こし、周囲を見た。
リノンの姿はない。
——逃げれたのか……頼む逃げ切ってくれ……。
ふっ、と視界に影がさした。
見上げるとセゲアが立っている。
「アキヲぉ。てめえだけは簡単に殺さねえ。覚悟しとけよ」
またしても首根っこのあたりに引っかかっている網を掴んで、一本背負いみたいに投げられた。
今度はうつ伏せに泥の中へ埋まった。
俺は四つん這いのまま身体を起こし、口の中に入った泥を吐き出した。
脳震盪で視界がぐるんぐるん回る。
余裕綽々のセゲアが近寄ってきて、俺の後頭部を踏みつけた。
「まずは眼を潰したやる。片方な。全部見えなくしちゃつまんねえから。次に歯と爪を抜く。これは全部。そんで鱗を一枚一枚剥がして、手足を先から食っていく。もちろん活きたままだ」
いつのまにか周りをトカゲたちが囲んでいた。
みんなで楽しそうにゲコゲコ笑いながら俺の手足を踏み、自由を奪う。
彼らに捕らえられた人間は、既に二人とも息絶えていた。
「アキヲはゆっくりと料理する。お前たちはその人間どもを仲良く分け合って食え」
「イエッサー!」
トカゲたちは大喜びで、それぞれ人間のどこを食べたいかどう分けるか協議し始めた。
「兄さん! 待って!」
周囲を囲んでいたトカゲが退き、視界が開けた。
樹の陰から一匹のトカゲが顔を出した。
さっきセゲアのうしろにいたヤツか、今までどこにいた?
「そいつはまだ殺さないで」
「キイラ……。口を出すんじゃねえよ。俺とアキヲの問題なんだよ」
キイラと呼ばれたトカゲは、俺の
やや前傾姿勢だが二本脚で歩き、……その片手は、リノンの喉元を掴んでいた。
「リノン!」
「ま……マミイ……」
リノンは苦しそうに喘いだ。
逃げ切ることはできなかったか……。
「キイラ。その人間の雌はあとで俺が食うから活かしとけ。先にこいつだ、アキヲをぶっ殺す」
セゲアは俺を踏んでいる脚に体重をかけた。
脊椎がみしみしと軋む。
「今ここで殺すことないでしょ?」
「いつどこで殺すかは俺が決める。こいつは直ちになぶり殺しにしないと気がすまねえんだ。何かの拍子にまた逃げられないとも限らんしな」
「アキヲはあたしにとっても弟なんだから。いくらセゲアでも勝手にはさせないよ」
俺を助けようとしているのだろうか?
セゲアとキイラが睨み合っている。
リーダーの彼に意見できるということはこの集団でもかなり立場が上か、あるいは交尾する関係か。
「頼む……何でもするからリノンを、その人間を見逃がしてくれ」
俺は弟としてキイラに呼びかけた。
「うるせえんだよてめえ! 調子に乗りやがって!」
セゲアの蹴りが後頭部に入った。
「ふふっ、かわいい弟」
キイラは笑っていた。
「アキヲはあたしを覚えてるかな?」
「……覚えてる……かな?」
兄弟だとしたら会っているはずだがはっきりとした記憶はない。
「まあ、マミイが生きてたときは二匹とも小さかったし、あんまり話さなかったしね」
「うん、そうだね……」
「フクロウの巣でも会ってたのよ?」
「そう、なの?」
「あのときから、もう一回会いたいと思ってた。アキヲを仲間として迎えるべきだとあたしは思ってたの」
「なんてこと言うんだよてめえ」
セゲアもさすがに黙っていられないみたいだ。
「だって強そうだし、頭も切れそうだしね。セゲアなんかよりずっと」
「おいキイラ、こいつは俺の眼をな——」
「片眼くらいなに。いいじゃんそんなの、今さら関係ないしあたしに」
「てめぇ他人事かよ……」
「兄さんのちっぽけなメンツなんていいでしょどうでも、それよりあたしはさ——」
キイラが近づいてきた。
リノンを片手に引きずったままで……。
「あたし、アキヲと交尾がしたいの」
「「はああ??」」
俺とセゲアはまったく同じタイミングでユニゾンした。
「アキヲはただのトカゲじゃない」
キイラは執拗に俺の匂いを嗅いでいる。
キイラの匂いもまた、俺の鼻腔をくすぐってくる。
「そんなもの見りゃわかるだろ、色も黒いし鱗もトゲトゲだ、尻尾なんか——」
「兄さんは黙っててちょうだい!」
ピシリと一括するとセゲアはほんとに黙った。
力関係がよくわからないな……。
「アキヲはドラゴンの一族なんだわ。あたしはドラゴンとの子どもつくりたいの」
キイラは艶めかしい表情で俺を見下ろした。
「わかった、交尾する。交尾するから、そのかわり、その人間の子は逃がしてくれないか」
「は? あんた馬鹿じゃないの?」
言いながらキイラは俺の鼻先をつま先で蹴った。
ツンとした金属臭で鼻がいっぱいになる。
「なんであんたが、あたしと交尾して、その上、この人間のことまであんたの言う通りにしなきゃなんないの? あんた得しかないじゃん」
「と、得……?」
「この人間は活きたまま食べるのよ」
キイラは舌を出し、リノンの顔をずるりと舐めた。
「やめてくれそれだけは」
「まだわかってないみたいね。この人間の雌を活きたまま食うのは、あんたよアキヲ」
「はぁぁぁ? 俺が?」
あり得ない。それだけは絶対にあり得ない。