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第29話

 ボクサーが顎を打たれてダウンすると、天に上るようなふわふわした心地よさだという話。

 あれトカゲにも適用可能で、俺は夢見心地でっていうか夢を見ていたんだが、


「ハッ! リノン!」


 と気づいたら、思わず声が出た。

 あれ? 俺はここで、なにをしようとしてたんだっけ……?

 俺は樹の根元に仰向けに倒れていた。


 ——そうだ、セゲアに突進して、カウンターを喰らって吹っ飛ばされて……。


 意識が飛んでいたらしい。

 一時間も二時間も寝ていたような感覚だったが、実際は数秒だったと思う。

 あんな鮮明で長い夢を見たのに……。


 ——リノンは……!?


 首を起こし、周囲を見た。

 リノンの姿はない。


 ——逃げれたのか……頼む逃げ切ってくれ……。


 ふっ、と視界に影がさした。

 見上げるとセゲアが立っている。


「アキヲぉ。てめえだけは簡単に殺さねえ。覚悟しとけよ」


 またしても首根っこのあたりに引っかかっている網を掴んで、一本背負いみたいに投げられた。

 今度はうつ伏せに泥の中へ埋まった。

 俺は四つん這いのまま身体を起こし、口の中に入った泥を吐き出した。

 脳震盪で視界がぐるんぐるん回る。

 余裕綽々のセゲアが近寄ってきて、俺の後頭部を踏みつけた。


「まずは眼を潰したやる。片方な。全部見えなくしちゃつまんねえから。次に歯と爪を抜く。これは全部。そんで鱗を一枚一枚剥がして、手足を先から食っていく。もちろん活きたままだ」


 いつのまにか周りをトカゲたちが囲んでいた。

 みんなで楽しそうにゲコゲコ笑いながら俺の手足を踏み、自由を奪う。

 彼らに捕らえられた人間は、既に二人とも息絶えていた。


「アキヲはゆっくりと料理する。お前たちはその人間どもを仲良く分け合って食え」

「イエッサー!」


 トカゲたちは大喜びで、それぞれ人間のどこを食べたいかどう分けるか協議し始めた。


「兄さん! 待って!」


 周囲を囲んでいたトカゲが退き、視界が開けた。

 樹の陰から一匹のトカゲが顔を出した。

 さっきセゲアのうしろにいたヤツか、今までどこにいた?


「そいつはまだ殺さないで」

「キイラ……。口を出すんじゃねえよ。俺とアキヲの問題なんだよ」


 キイラと呼ばれたトカゲは、俺のマミイそっくりな美しいトカゲだった。

 やや前傾姿勢だが二本脚で歩き、……その片手は、リノンの喉元を掴んでいた。


「リノン!」

「ま……マミイ……」


 リノンは苦しそうに喘いだ。

 逃げ切ることはできなかったか……。


「キイラ。その人間の雌はあとで俺が食うから活かしとけ。先にこいつだ、アキヲをぶっ殺す」


 セゲアは俺を踏んでいる脚に体重をかけた。

 脊椎がみしみしと軋む。


「今ここで殺すことないでしょ?」

「いつどこで殺すかは俺が決める。こいつは直ちになぶり殺しにしないと気がすまねえんだ。何かの拍子にまた逃げられないとも限らんしな」

「アキヲはあたしにとっても弟なんだから。いくらセゲアでも勝手にはさせないよ」


 俺を助けようとしているのだろうか?

 セゲアとキイラが睨み合っている。

 リーダーの彼に意見できるということはこの集団でもかなり立場が上か、あるいは交尾する関係か。


「頼む……何でもするからリノンを、その人間を見逃がしてくれ」


 俺は弟としてキイラに呼びかけた。


「うるせえんだよてめえ! 調子に乗りやがって!」


 セゲアの蹴りが後頭部に入った。


「ふふっ、かわいい弟」


 キイラは笑っていた。


「アキヲはあたしを覚えてるかな?」

「……覚えてる……かな?」


 兄弟だとしたら会っているはずだがはっきりとした記憶はない。


「まあ、マミイが生きてたときは二匹とも小さかったし、あんまり話さなかったしね」

「うん、そうだね……」

「フクロウの巣でも会ってたのよ?」

「そう、なの?」

「あのときから、もう一回会いたいと思ってた。アキヲを仲間として迎えるべきだとあたしは思ってたの」

「なんてこと言うんだよてめえ」


 セゲアもさすがに黙っていられないみたいだ。


「だって強そうだし、頭も切れそうだしね。セゲアなんかよりずっと」

「おいキイラ、こいつは俺の眼をな——」

「片眼くらいなに。いいじゃんそんなの、今さら関係ないしあたしに」

「てめぇ他人事かよ……」

「兄さんのちっぽけなメンツなんていいでしょどうでも、それよりあたしはさ——」


 キイラが近づいてきた。

 リノンを片手に引きずったままで……。


「あたし、アキヲと交尾がしたいの」

「「はああ??」」


 俺とセゲアはまったく同じタイミングでユニゾンした。


「アキヲはただのトカゲじゃない」


 キイラは執拗に俺の匂いを嗅いでいる。

 キイラの匂いもまた、俺の鼻腔をくすぐってくる。


「そんなもの見りゃわかるだろ、色も黒いし鱗もトゲトゲだ、尻尾なんか——」

「兄さんは黙っててちょうだい!」


 ピシリと一括するとセゲアはほんとに黙った。

 力関係がよくわからないな……。


「アキヲはドラゴンの一族なんだわ。あたしはドラゴンとの子どもつくりたいの」


 キイラは艶めかしい表情で俺を見下ろした。


「わかった、交尾する。交尾するから、そのかわり、その人間の子は逃がしてくれないか」

「は? あんた馬鹿じゃないの?」


 言いながらキイラは俺の鼻先をつま先で蹴った。

 ツンとした金属臭で鼻がいっぱいになる。


「なんであんたが、あたしと交尾して、その上、この人間のことまであんたの言う通りにしなきゃなんないの? あんた得しかないじゃん」

「と、得……?」

「この人間は活きたまま食べるのよ」


 キイラは舌を出し、リノンの顔をずるりと舐めた。


「やめてくれそれだけは」

「まだわかってないみたいね。この人間の雌を活きたまま食うのは、あんたよアキヲ」

「はぁぁぁ? 俺が?」


 あり得ない。それだけは絶対にあり得ない。

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