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第26話

 俺にはこれから起こることがわかっている。

 彼女にとってはこれからだが、俺にとっては既に起こったことだ。

 いま行動すれば防げるかもしれないことなのだ。


「調査隊の三人——名前は、飯島、濱田、桜田」

「濱口」

「そう濱口。三人は樹海で消息不明になって、そのあと二人の遺体が見つかった。成人男性の遺体が、損壊した状態で。クマだって言われてたけどそんなんじゃなかった」

「そんなんじゃないってどういう意味よ……」

「クマよりもっとやべえヤツってことだよ」

「それマミイってこと?」

「え、それはないだろ……」


 可能性はあった。

 しかし大きさが全然違いすぎるし、二人も殺してその場で食うなんて、いくらなんでも俺一匹では手に余る。


「てか網で簀巻き状態なんだから、俺が人間襲うの無理だろ常識的に考えて」

「どうかな?」

「芳賀先生の見解では、三メートル越えのワニのような生き物だってさ」

「え、マミイ芳賀先生知ってるの?」

「今そこ? それはあとで話そうゆっくり。いいからとにかくやべえから、一旦みんなキャンプに戻ってくれ」

「あたしはどうなったの? 死んだ?」

「え?」

「消息不明のあたしは」

「きみは……」

「死んだの?」

「俺が知ってるきみは消息不明だった。何度も捜索したけど……」

「そうなんだ」

「でも俺は、山本隊長は死んだから。その先は知らないんだ。だから——」


 言いかけた俺の顔の先端——顎と鼻の先がパキッと割れて網が食い込んできた。

 リノンが眼を丸くしている。


「マミイ、口のとこ……」

「あれ? なんだこの網。口に引っかかってる?」

「口がバックリいってんだけど」

「自分じゃ見えなくて、え? そんなにひどい?」


 直後に、ビシ! っと顔面全体が逝った。

 正中線に沿って亀裂が入り、顔も身体も真ん中から左右に割れたのだ。


「どうしちゃってんのマミイ!」

「……これはな……あれかな……あのー、あれ」

「マミイ!? ……もしかして?」

「ああ、始まったらしいわ……」


 脱皮だ。

 脱皮というか、俺の場合膨張という方が的確に表現してる。

 これが終わったとき、毎回俺の体長は倍くらいに膨れ上がるのだ。

 ミシミシと鱗を軋ませて俺の全身が蠢き始めたのだが、網がそれを邪魔している。

 網はところどころで破れ、鱗のあいだから筋肉と体液が溢れ出す。


 ——よりによってこのタイミングでかよ。調査隊の三人を襲ったのが俺の可能性出てきちゃったじゃん……。


 リノンの背後の草藪がガサガサと掻き分けられ、男が現れた。


「ウワァ!! 桜田さん!! なんなんすかそれ!? キモッ!!」


 タコ糸で括られたチャーシューみたいになっている脱皮中の俺を見て、彼は派手に驚いていた。

 ——何がキモいだクソ野郎、あとで食ってやるからな。

 と、物騒なことを素で思ってしまうくらい余裕がない。


「濱口遅いっ! 銃は? あたしの銃!」


 リノンは手を伸ばして催促した。


「え、猟銃すか?」

「持ってきてないの? あたしの銃!」

「持ってきてないす! てか持てないってか」

「ダァァァァァ!! 濱口ィィ!! さっさと猟銃持ってこい! くそっ!」

「飯島さんが持って来ますって!」


 リノンはまだ濱口になにかブツクサ言っていて、そんな中でも俺の方は引き続き脱皮が進行中。

 もはや体長はリノンとほとんど変わらない。

 鋭く尖った鱗が一斉に逆立ち、網がバチバチ切れていく。

 割れた皮膚から棘のような鱗の芽が次々に浮いてくる。

 左肩の下あたりから新たな鰭が生え、網の破れ目からはみ出して伸びていく。

 右から生えた鰭は網に引っかかり、窮屈そうに折れ曲がって——これはおそらく翼だ。

 俺はトカゲから、ドラゴンに変貌しようとしているのか。


「桜田さん、こういうのって捕獲しなきゃいけないんじゃないんですか? いきなり殺すんすか?」

「ここで。この場でらないと」

三上教授ミカミンに聞かなきゃまずくないすか?」

「殺らなきゃ! 食われんだよ! あたしたちが!」


 濱口はスマホで俺を撮影しはじめた。

 彼の手は手ぶれ補正も効かないんじゃないかってほど震えていた。

 その間リノンは捕獲銃ネットランチャーに弾をひとつ装填した。

 捕獲銃は一発射つごとに弾を装填する仕様のようだ。

 一発、二発、続けて三発と、立て続けに射った。

 新たな網が俺の身体に二重三重に被せられた。

 バランスを崩して、仰向けにひっくり返った。

 四肢の動きを封じられ、もはや起き上がることすら難しい。

 リノンはポーチに手を突っ込み、中をガチャガチャとかき回したがネット弾は射ち尽くしたようだった。


「くそ、弾がない! 捕獲ネット弾持ってない?」

「持ってないっす!」


 リノンは舌打ちし、捕獲銃を投げ捨てた。

 そこへ、さらにうしろから人影が。


「桜田さん、飯島さん到着しましたぁ!」


 濱口が叫んだ。

 藪を割って、飯島と呼ばれた中年男が現れた。


「飯島さん助かる! あたしの銃!」


 飯島は聞こえているのかいないのか、脱皮中の俺を見て口をぽかんと開けたまま。


「飯島さんッ!!」


 リノンの悲鳴のような呼び声で我に返り、飯島は二丁持っていた猟銃の片方を慌てて渡した。

 ベレッタの上下二連、彼女はこのために所持許可を取ったのだろう。

 真ん中を折り、ポーチから実包を一個つまみ出して薬室に装填した。

 そして猟銃ベレッタを構え、照星を俺に合わせた。


 ——そうだった、この子は本気で俺を殺そうとしてるんだった。


 一瞬、この子になら殺されてもいいかな、と思ってしまった。

 この子のためなら死んでもいいかな、と思ってしまった。

 脱皮を続けてもっと大きくなってしまったら、人間にとって脅威となるのは間違いない。

 そうなったとき、ヒトに対する強烈な食欲をコントロールし続けられるだろうか果たして……自信はなかった。

 ここらが潮時だろうか?

 いや待て。せめてムラサキを助けて——。


 パン!


 乾いた射撃音——リノンではなかった。

 飯島という男が発砲したのだ。

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