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第17話

 樹のあいだから、海が見えてきた。

 砂浜の海岸線、深い緑色の海。

 そこに浮かぶ、ゆらゆらと揺れる黒い点。

 たぶん軍の艦だがここからでは、というよりもトカゲの視力では艦種まで判別できなかった。

 あるいは海保の巡視船かもしれない。


「もうすぐ見えてくる。あのあたりに俺の部隊が……」


 上空から指揮所が一望できるはずの位置まで来ている。

 ……。

 ない。

 ない、どこにもない。

 指揮所が。

 俺は眼を凝らした。

 指揮所があったとおぼしき位置——海岸から少し上がったところにある平坦な場所——は、元の荒れ地に戻っていた。

 指揮所は、どこへいった?

 俺が死んでからトカゲに転生するまで、どのくらいの時間が過ぎたのかはわからないが、その間になにか異変があったのか?

 もしここが、あの〝新島〟だったとしよう。

 トカゲに転生する前の俺が上陸した、あの〝新島〟のことだ。

 調査隊やそれを護衛する防衛隊、支援のための工兵隊補給隊医療隊……それらの拠点が、ここにはあったはずなのだ。

 それがどうだ、まるで最初から上陸なんてなかったみたいにきれいになくなっている。

 撤退した?

 死者 (俺)が出たから?

 その程度のことで簡単に退くだろうか。

 害獣に襲われて行方不明や死者が多数でた場合、態勢を立て直すためにいったん退いたとか?

 そんなことがあり得るか?

 あれからどのくらいの時間が過ぎたんだ?

 部隊はどうなった?

 鈴木、田中、高橋。

 南波チトセ。

 きみはどこにいる?

 会いたい。

 話したい。

 声が聞きたい。

 教えてくれ。

 俺を射ったのは、誰なんだ?


「あのふねまで行ってくれないか」


 俺は沖の黒い点を指さした。


「海の上を飛ぶなんてあり得ない」

「そこをなんとか頼めないかなあ」

「却下だ。危険すぎる」


 フクロウは頑として受け付けなかった。

 海に差し掛かったところでフクロウは向きを変え、海岸線に沿って北に飛んだ。

 指揮所から北3キロの地点には調査隊の拠点があったはずだ。

 軍が到着するまではそこがベースキャンプになっていた。

 それも軍の撤収に合わせて引き払ってしまったのだろうか……。


「ここまでだ。戻るぞ」


 あと少しというところで、フクロウは内陸へ向けて転回した。


「もうちょっとだけ頼む、海岸を北に」

「これ以上は危険すぎる。あとキタってなんだ」

「それはいいから、行ってくれ、人間を見かけたらすぐに引き返していいから」

「会ってからでは遅い。我々の姿を見られたら、奴らは飛び道具を使って攻撃してくる」

「いくらなんでも、ただ飛んでるだけの鳥を射ったりはしないよな?」

「甘いぞ」


 と、フクロウが言って間髪入れずに大きな破裂音が響いた。

 樹々から鳥たちが一斉に飛び立った。


「なんだいまの音は?」


 フクロウが動揺している。

 これは銃声だ。

 銃声は二発、少しおいてから一発。

 音からするとライフルじゃない。

 もっと低い、腹に響くような——散弾……?

 だとすると調査隊の可能性もある。

 あいつら猟銃持ち込んでやがったのか。

 そして、案外近くにいる……。

 まさか俺たちを狙ってたわけじゃないよな……?


 フクロウは高度を上げた。


「待って、ここに俺を置いて帰ってくれ」

「低空を飛ぶのは危険すぎる」

「大丈夫だ。人間の行動には詳しい、見通しの良い空より、樹海すれすれを飛んだほうが——」


 そのとき……。


「あっ!」


 驚いて声を上げたのは、俺とフクロウ同時だった。

 ヘリコプターが思いがけない距離まで急接近していたのだ。


「離れろ! 巻き込まれる!」


 ローターの巻き起こす風に煽られ、フクロウはバランスを崩した。

 ニアミス。

 そこでヘリが急旋回、眼前までテイルローターが迫った。

 フクロウは身体を捻って躱したが、間に合わなかった。

 翼がローターに接触し、パッと羽根が散った。

 フクロウはぐるんぐるん回転しながら落下していった。

 俺は宙に投げ出された。


「だめだ、これじゃ……」


 落ちていく。

 ああ……。

 また俺のせいで死なせてしまった。

 今度ばかりは俺も死ぬ。

 生き物簡単に死ぬよなあ……。


 ——すまん、ムラサキ、約束は果たせない。


 そうだ、ムラサキだ……。

 フクロウが帰らないとムラサキはあのまま巣穴に置き去りじゃないか。

 俺がなんとか、なんとかしないと、無駄かもしれないが、なんとかなれ……!

 空気抵抗を少しでも上げられるように四肢をめいっぱい広げた。

 樹海が迫ってきたら、今度は背中を下にして、鱗を密集させて鎧のように固める。

 姿勢を丸め、身体を引き締め、全身の力を鱗に集中。

 身体の中の〝気〟が、血管を巡って内側から鱗を支えるようなイメージだ。

 この感覚は、金剛身だ。

 そんなことを考えられるくらい、落ちていく時間が長く感じる。

 樹の枝をバキバキ折って、ドツン! と土にめり込んで着地した。

 木の葉がひらひらと降ってくる。


「……生きてるかい、俺?」


 自問自答してみる。


「……ギリ生きてる、のか?」


 たぶん、生きてる。

 たぶんというのは、この後すぐに意識がなくなったからだ。

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