官舎から食堂に行く途中の渡り廊下に、パーティションで仕切られただけの屋外喫煙スペースがある。
年季の入った喫煙者ばかりが利用するので、誰が言ったか知らないが〝将校クラブ〟と呼ばれていた。
敷地内で喫煙が許されているのは唯一ここだけだ。
〝会員制〟と落書きされた入り口をくぐり、タバコを取り出して火をつけた。
深々と煙を吸い、ゆっくりと吐き出した。
——災害派遣か、久しぶりだな……。
数年前の巨大地震のことを思い出す。
「禁煙するって言ってなかった?」
南波チトセが、パーティション間から顔を出した。
「あー、明日からしようと思ってて……」
答えを待たずに、彼女はするりと中に入ってきた。
俺の指からタバコを取り上げると自分の口に持っていき、煙を浅く吹かした。
ケンケン、と乾いた咳をして、タバコの火を灰皿に押し付ける。
「なんで吸った?」
「隊長だけ煙草臭いのやだから」
チトセは顔を寄せ、唇を重ねてきた。
職場では長い髪をアップにしてメイクも薄いが、耳から首筋にかかる後れ毛に色気が隠せてない。
ひとしきりキスを味わったあと、
「何の話だったんですか?」
チトセが聞いた。
俺は会話をごまかすためにチトセを抱きしめ、再度彼女の口を舌で塞いだ。
「んんんんー」
チトセが不服そうに声を出す。
多少のことでは中で何をしているか見えないし、誰かが近づいてくれば靴音でわかる。
ここで俺たちはときどき人目をはばかるような行為に及んでいた。
「南波、きみ出身北海道だったよな」
唇を離し、今度は俺から聞いた。
職場では周りに誰もいなくても「隊長」「南波」と互いを呼ぶ。
「はぁ……はい……」
息を整えながら彼女が答える。
俺は〝新島〟の具体的な話を避け、近々クマ駆除の出動があるかもしれない、とだけ話した。
「クマって? あのクマですか……?」
「そう、あのクマだ」
俺は彼女のシャツのボタンを外し、中に手を差し込んだ。
「あっ!」
チトセは嫌がる様子もなく、敏感に反応した。
「クマ、見たことある?」
俺は胸を掌で弄びながら聞いた。
「んんっ……動物園で、なら」
チトセは身を捩りながら答える。
「いや、野生の」
「さすがに野生のは……あんっ」
「北海道にいたとき猟とかやってなかったの」
「あたしが? やっ、やりませんよ……」
指で乳房の先端を弾くと、彼女は俺の胸に顔を押し付けて悶えた。
「んんんんっ……」
「クマはライフルで殺せるのか?」
チトセは喘ぎ声を抑えようとしているが、むしろだんだんと大きくなった。
「ええたぶん、あんっ……あっ、でも猟師は、スラッグ弾使うとか、聞きますけど……はぁぁっ」
スラッグ弾とは猟銃から発射する一粒の大きな
俺は手を更に奥へと進め、彼女のぎゅっと閉じた太腿の間を割るようにして指を押し入れた。
「あっ、あっ、あぁ……っ!」
チトセは一際大きくのけぞって、自分で自分の口を押さえながら俺にしがみついた。
「装備は普通に
「……クマの大きさにもよるんでしょうけど……はぁ……はぁ……ショットガンのほうが……確実だと……思います……」
そう答えた彼女の潤んだ眼を見ていたら、とてもここでは終われなくなった。
チトセの手を引いて、官舎一階の備品倉庫に入った。
ここはそういう用途に使うために普段から鍵が開いていて、中から施錠されているときは誰かが〝使って〟いる。
施錠したらあとはもう、性欲が果てるまで互いの身体を貪り合うだけだった。
南波チトセとセックスをしたのはそれが最後だ。
それから一週間ほどして、命が下った。
作戦命令。
新島に生息する害獣を駆除せよ。
新島に上陸した民間調査団の被害を防げ。
隊員に負傷者が出ないよう努める。
我々はクマ射ち部隊として、揚陸艦『きたうら』で〝新島〟へ向かった。
横須賀から新島の沖合まで約36時間。
艦から見た島は、南国の観光地に見えた。
俺は小隊を率い、艦からヘリコプターで島に上陸。
現地指揮所を設営し、拠点とした。
クマ射ち部隊24人を三班に分け、交代で島を探索する。
最初の任務は二日前に行方不明になった調査隊員の捜索だった。
「整列!!」
班長の鈴木の号令で、散らばっていた隊員たちが整然と並ぶ。
「弾込め!」
それぞれ自分の銃にマガジンを挿し、安全装置のレバーを確認。
俺は隊列の正面に立ち、視線を隊員一人一人に送った。
「小隊まいえー!」
粛々と、巨大な樹が生い茂る樹海へと進んでいく。
この樹海の中で、俺は死ぬのだ。
◇
もし俺が、死んだ場所でトカゲに転生したのだとしたら。
ここがもし、あの〝新島〟なのだとしたら……。
俺が死の直前に遭遇したあの謎の生き物もここに棲んでいるということになるし更に、防衛軍の人間たちも既に上陸して付近を探索していることになる。
てか下手すればかつての部下にばったり会うまである。
……会いたい。
南波チトセに。
もう一度あの胸に抱かれたい。
いっそペットになりたいくらいだ。
そうすれば一つ屋根の下に住んで彼女と暮らして、あんな姿やこんな姿も——。
「マミイ今変なこと考えてるでしょ」
ムラサキが睨んでいた。
「そんなことないよ。どうやってこのピンチを切り抜けるか考えてたよ」
俺たちは相変わらず蜘蛛の糸で拘束されたままだ。
「嘘。あたしわかるんだからそういうの。本能が囁くんだから」
勘の鋭い鳥め……。
「いつ蜘蛛が戻ってくるかわかんないのに。しっかりしてよマミイ」
ムラサキの言うとおりだ。
俺たちはまず、今のこの状況をどうにかしなければならない。
しかしいったいどうすれば……。
あきらめて考えるのをやめようかと思ったとき、不意に突風が吹き込んできた。
飛ばされそうなほどの強風だったが、あいにく蜘蛛の糸にがんじがらめにされているせいで俺もムラサキも微動だにしない。
ヘリのダウンウォッシュ? ローター音はまだ聞こえているが位置は遠い。
なにごとだ? と出口に眼を向けると、
「あっ!!」
思わず息を呑んだ。
穴の出口を塞ぐほどの、ぎょろりとした大きな眼が、俺を見ていた。