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第11話

 蜘蛛女は常に尻の先から糸を出していて、その動きを通して周りの情報を集めている。

 顔には人間と同じ耳がついているが、尻の糸のほうが性能が良いようで、床と壁の間に何本も糸を張って音を聞いていた。


「なんなんだ、これは。虫でも鳥でもない、なんの音なんだ……?」


 蜘蛛女にとっては初めて聞いた音のようだ。


「あー、きみにはわからないかー」


 わざわざ上から挑発してみる。


「わかるような口ぶりよね」

「ああ、わかるよ。でも、俺にしかわかんないだろうなあ」

「教えなよ。なんなのこれ」

「こんな状態で教えろってか?」


 俺はおおげさにため息をついてみた。

 ムラサキも真似して「はぁ……」と息を吐いた。

 彼女の場合は子蜘蛛たちの食事が中断された、安堵のため息だったかもしれない。


「ふふっ……別に言いたくなきゃ言わなくていいよ。聞き慣れない音を出すのはだいたい人間だ。どうせこれもそうだ」


 蜘蛛女は半笑いで言った。

 なかなかに鋭い考察だ……。


「それはどうかなー? もし人間だったとして、どんな人間のどんな音かわからないとなー、どう対処していいかもわからないからなー」

「人間に対するあたしたちの対処なんて決まり切ってる」

「どうするんだ」

「隠れるのよ。ほら子供たち、巣に戻るよ!」


 蜘蛛女の発する号令で、ムラサキにたかっていた子蜘蛛たちが波が引くようにすーっと、穴の外へと流れていく。

 なかなかに教育が行き届いている。


「おいおい俺たちは放置かよ?」

「音が消えたら、また食べに来てあげる♥」


 ウインクして、蜘蛛女は消えた。


「はーっ! あたし生きてる! 死ぬかと思った! マミイ! あたし元気! かろうじて!」


 ムラサキはほっとしているようだが……、そうも言ってられない。

 俺は、この世界は半人半蜘蛛アラクネが存在を許されている、いわゆる魔物が棲むファンタジー的異世界だと思っていた。

 トカゲの姿をした俺もまた魔物の一種かもしれず、そういった魔物と人間が共存する世界なのだと……。

 だが音を聞いて確信した。

 聞き覚えのある、俺がトカゲに転生する前の、人間だったときに聞いたことのある音。

 あれはヘリコプターのローター回転音だ。

 俺はどうやら現代文明が存在する世界に、再び転生したらしかった。



 トカゲに転生する前の俺は、日本国陸上防衛軍の士官だった。

 陸防軍習志野師団所属特殊作戦部隊。


 俺が死ぬ100日前。


 小笠原の東側海域に出現した〝新島〟に出動を命じられた。


「しんとう……?」

「そう、新島」


 なんていう島だったか火山の噴火で島が拡大して、つい最近火山活動が収束、海上保安庁だか民間の調査団だかが上陸しているとネットニュースで見たことがあった。

 現地でなにか、軍が出張っていくような状況が発生したということだろうか。


「調査団がねェ、クマに遭遇したんだって」


 師団長は眉間にしわを寄せ、コーヒーを啜った。

 表情のせいでやたら苦そうに見える。

 その隣に立っている部隊長も、釣られるように渋い顔をしていた。


「クマ、ですか?」

「うん、クマ」


 近年、日本国内とくに北海道でヒグマの被害が増えている。

 猟友会や警察にも手に負えなくなってきて、いよいよ軍が出動する話が雲の上で議論されてると聞いた。

 一応、現行の法律で対応可能ということだったが……。


「……小笠原にクマなんているんですか?」

「小笠原にだってクマぐらいいるだろう」

「だって島ですよ?」


「いやいや山本くん、ツキノワグマはね、四国にだっているんだよ」


 部隊長が横から口を挟んだ。

 彼は確かうどん県の出身だ。


「でも淡路島にはませんよね?」

「島にはいないけど、四国にはね、いるの」


 四国がでっかい島だと言いたいらしい。


「……たぶんね、君の思ってる新島と、これから作戦が実施される〝新島〟違うと思うんだわ……」


 師団長は歯切れ悪い。


 ホワイトボードに衛星写真が貼ってあった。

 大きな島だ。

 瓢箪みたいな形をしている。

 火山の噴火で海底が隆起して島とつながったからこんな形なんだろう、となんとなく視界に入れていた地図をよく見ると、樹が繁っている。

 何百年もこのような形でこの場所にあり続けたかのような緑が、島全体を覆っている。

 海岸には砂浜も確認できて、行楽シーズンにはさぞ海水浴客で賑わいそうな……。


 師団長は写真に人差し指を当てた。


「どう見ても普通の島にしか見えないんだが、この〝新島〟は、二週間前はここに存在しなかった」


 指を、隣の写真にスライドさせた。

 海だけが映っている。


「日付見て日付。二週間前の、同じ場所の写真。な? 写ってないんだよ島」

「写ってませんね」


 海しか写ってない方の画像は縮尺は違ったが一面の青。

 これが同じ場所だとすると、なにもなかったところに突如島が出現した、という話だ。


「なにもなかったところに突如島が出現した、という話なんだよ」


 俺の思考をトレースするように師団長は言った。


「火山活動も海底の隆起も水位の低下も観測されてない、なんでそんなところにいきなり島が現れるんだね」

「私に聞いてますか?」

「聞くわけないだろう」

「調査団は、なんて言ってるんですか」


 その質問には、師団長は首をかしげただけで答えた。

 部隊長は「俺には絶対に質問するな」とばかりに眼を合わせようともしない。

 二人の微妙な態度からして、この任務に納得いかない何かがあるような気がする。


「とにかくね。島については調査団の先生方にお任せするとして我々は、現地の害獣を捜索、発見し、駆除する」

「災害派遣ですね……」


 俺があまりにも不安そうな表情だったのだろう、師団長は俺の肩をたたいた。


「まあ現地でクマって言ってるんだからクマなんだよ。猟友会引き連れて行くわけにもいかないから。詳しくは現地で聞いてくれ、な、頼んだぞ」

「はい……」


 正式な命令は近々下る、ということだった。

 たぶん絶対、クマじゃない。

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