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第7話

 人間以外の生き物というのは、活動時間中の殆どを食べ物探しに費やす。

 食べ物を探す以外の時間は何をしているかというと、見つけた食べ物を食べている。

 食べ物を見つけ、食べ物を食べる、それ以外の時間は何をしているかというと、食べ物を消化している。

 そしてそれ以外の時間は、寝ている。


 だから敵と戦ったり逃げたりという行動は無駄な消耗で、できる限り避けるべきだ。


「ここで休んでおこう」

「休む! 休む……休むぅ」


 ムラサキは言うなりぱたん、と倒れるように寝転んだ。

 生まれたばかりの鳥の雛には、走って逃げるというのはだいぶ堪えたようだ。


 実は俺の体力も限界——というより変調をきたしていた。

 胃液を吐いたせいか、胸が焼けるように苦しく、やたら暑い。


「だいぶ距離も取れたし。あいつらはあの場の食料を捨ててまでは追って来な……」


 言葉が途切れた。


「どうしたのマミイ?」

「……別に……なんでもない」


 なんでもなくなかった。


 間違いなく体温が上がっている。

 変温動物のはずなのに。


 心拍も早まっている。

 心臓の鼓動が全身に伝わって脈動しているようだ。


 もしかしてさっき食ったヘビの肝のせいか?

 それとも内臓に寄生虫がいたとか?

 食べたら死ぬ的な?


 今にも体が破裂しそうだった。

 体中の血管が沸騰している——。


「マミイ、顔!」


 ムラサキは右の翼をぱたぱた振り上げて指差した。

 俺の顔の真ん中に縦一直線のヒビが入り、左右に割れた。


 ——あ! これが脱皮か!


「うわっ、キモッ!」


 ムラサキが叫んでドン引きするほど、頭の裂け目から透明のどろどろした液体が、糸を引いて流れ落ちている。


「どうしちゃったのマミイ!」

「た、たぶん脱皮だから」

「え、脱皮ってこんな感じだっけ?」

「さ、さあ……俺も初めてだし……」


 顔から始まったヒビはやがて体中に蜘蛛の巣のように伝染し、ヒビというヒビから体液がにじみ出ていた。


 あれ? これって脱皮……じゃないのかな……?

 なにか、出てはいけない体液が垂れ流されてる気がするんだけど……。


 大丈夫か俺?


 脱皮かな?


 脱皮じゃないかな?


 脱皮かな?


 脱皮じゃないとしたらなんだろう、病気かな?


 俺の全身に入った網の目のような亀裂、そこからにじみ出る体液、ミシミシと軋みながら脈動する鱗——どう見ても俺の知ってる爬虫類の脱皮とは思えない。

 だいたい皮を脱いでない。


 しかし確実に身体は大きくなっていた。

 膨張していく身体が収まりきらなくて皮膚が割れている感じだ。


 この感覚、覚えがあった。

 人間だった頃。

 金剛身を実践したときの感じだった。

 腹の奥から湧き上がり、全身に波のように広がる力——闘気、と呼ばれるもの。

 ズキン、ズキン、と心臓が動くたび、血管を通じて全身にパワーが行き渡る。

 そのパワーは末端の血管を押し広げ、細胞を膨らませる。

 身体が一回り大きくなったような気がしたものだ。

 なんだか懐かしい……。


 すべてが鎮まったころには、俺の身体は以前の倍ほどに大きくなっていた。


「なんか見た目すっごい凶悪なんだけどー!」


 ムラサキの、俺の外見に対する忌憚のないご意見。


「え、そんなにかなあ?」

「そんなにだよ! 絶対普通のトカゲじゃないし絶対あたしを食うでしょう?」

「食べないよ!」

「食うね! 鳥食う顔してるわ!」


 顔は鏡がないからわからん。

 が、見える範囲から判断するに——。


 首、手足、尻尾が前より延びている。

 鱗は細長く尖って攻撃的になった。

 こめかみに小さな突起が生えた。

 背中から尾にかけて鰭のような筋が浮かんだ。

 母とは似ても似つかない姿。

 異形、というにふさわしい。


 マミイよ。

 これがあなたのいう特別なのでしょうか。

 俺はあなたの、本当の子供だったんでしょうか……?


 ムラサキはまだ少し引いている。

 俺は、手を伸ばした。


「大丈夫だよ。こんな見た目になったけど、俺は君のマミイだ」


 ムラサキは恐る恐る俺に近寄り、差し出した手から腕を伝って背に乗った。


「行くか」


 俺はムラサキを乗せて、歩き出した。


「どこ行くの?」

「住むところを探そう。君が飛べるようになるまで、安心して暮らせるところだ」



 崖の斜面の中ほどに、住むにはぴったりすぎる小さな穴がある。

 そういう場所は他の動物の住処にもぴったりなので、先住動物がいる可能性が高い。

 登って確かめたいが、何がいるかわからないのでムラサキを連れていきたくない。

 かといってここに残して俺だけ登っていくのも危険だ。

 考えあぐねて暫くのあいだ崖の穴を眺めていた。

 眺めながら、ムラサキに飯を食わせていた。

 捕まえたコガネムシが大きすぎたので、一口サイズにむしりながら、くちばしに放り込む。


 崖の穴の暗がりをぼんやりと見ていると、穴の暗がりもまた俺を見ていた。

 陽の光が穴の闇をより濃くしている。

 その闇の中から、無数の眼がこっちを見ていたのだ。

 眼からは何の意思も感じられないが、味方でないことはわかる。

 ムラサキを背に乗せて、いつでも脱兎で逃げられる体勢を整えたところで、声が聞こえた。


 ——そこでなにしてるの?


 どこから声がしているのかわからない。


 ——あたしの家に、なにか用?


 家とはあの穴のことか……?


 ——あの穴はあたしの家だから、狙ってるなら他行きなよ。


 穴の中から話しかけられているものかと思ったのだが、中から感じていた視線はすっかり消えている。

 これは、蜘蛛だ。

 蜘蛛は尻から出した糸を張り巡らせ、その振動で会話をすることがある。

 声は付近の糸から発せられているのだ。

 本体がどこにいるかはわからない……。


 ——上だよ、上。


 見上げると、大きな蜘蛛が樹の枝から糸でぶら下がっていた。


 普通の蜘蛛ではなかった。

 でかいのはともかく、普通じゃないのはその顔だ。

 人間の顔をしている。

 若い女に見える。

 蜘蛛の下半身に、人間の上半身が付いているのだ。

 これは……俺が最初に生まれた異世界に存在した、いわゆる魔物モンスターの類いではないか。


 ということはつまり、この世界は……異世界?

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