トカゲの兄弟たちは巣にぶちまけられた生卵 (ムラサキの兄弟だったもの)をすすっている。
ムラサキは状況をまったく理解してないのか、兄弟たちに混じって生卵をつつくのに夢中だ。
セゲアの視線はムラサキを追っていた。
その眼は彼女を食べ物として見ている。
「待てよ、あの子は食べ物じゃな——」
言い終わらないうちに、セゲアに尻尾でひっくり返された。
俺は仰向けにひっくり返り、無防備な白い腹を足で踏みつけられた。
「何が食べ物かは俺が決めるんだよ」
やはりセゲアは強い、すでに二本足で立てるほど身体ができている。
まだ最初の脱皮もしてない俺に勝てる相手ではない。
体格も、鱗の硬さも、筋力も、なにもかもで負けていた。
こういうときは、土下座だ。
平伏してこの状況を打開する。
いま体勢的には土下座の真逆だが、これはこれで絶対服従のポーズとなる。
「頼むセゲア、見逃してくれ、ここにあるものは全部食っていいから」
「ははははッ! ここにあるものは全部俺のものだぞ? なんでお前の許しがいると思った?」
セゲアは牙をむき出しにして笑い、視線をフクロウの雛に向けた。
「じゃあこうしようか……あの雛鳥か、お前か。どっちが食われるか、いま決めろ」
左右の爪をこすり合わせ、研ぎ澄ませるかのようにショキショキと鳴らした。
「俺は生きた餌しか食わねえ主義だ。死んだフクロウにもヘビにも、ましてやぶちまけられた生卵なんぞに興味はねえ。ここで食えるのは、お前かあの雛かどっちかだ。さーて、どっちかなー?」
セゲアは俺と、雛鳥を交互に指差した。
奴に雛を差し出したとしても、誰も俺を責めないだろう。
ついさっきたまたま出会っただけのフクロウの雛だ、そのために命を賭ける必要なんてない——と考えるのは普通のことだ。
そう、ここでは命にホコリほどの重さもない。
生まれたばかりの鳥の雛が一羽死んだところで……だとしたら、俺の命もそうだ。
俺が死んだところで、ていうか彼女を犠牲にして俺が生き延びたところで、そこまでして生き延びる価値が、俺にあるのか?
別にここで死んだっていいじゃないか。
また転生すればいいだけの話だ。
母の仇を討ったからかもしれない。
生きる目的を、ヘビに嫌がらせをするという生きがいを、完遂してしまったからかもしれない。
とにかく今の俺は、雛をセゲアに食べさせるのが嫌だった。
こんなクソ野郎にあの子を食わせてたまるか。
「俺を食えよ、セゲア」
俺はセゲアに足蹴にされ仰向けに倒れたままで、言った。
「はあ?」
「だから、雛は、見逃してくれ」
「お前ばかじゃねえの?」
「あの子は俺が育てることになってた。だから、どうあってもあの子を、俺のために犠牲にするわけにはいかない」
「は? なに言ってんのお前? フクロウを育てる? 育ててから食うってか? 育っちゃったら餌になるのお前じゃね?」
「だとしても、そういう約束をした」
「てめえの約束なんか知るか。だいたいお前が死んであれを逃がしたとして、雛が親なしで生きていけるわけねえだろ、どっちにしても何かの餌なんだよ……」
と、セゲアが呆れているところへ——。
「ねえこのトカゲ誰? ねえ誰? マミイの知り合い? お友達? 誰? 誰? 紹介してよマミイ!」
事態ゼロ把握の雛が、俺とセゲアの間に割って入ってきた。
まだ翼にもなっていない小さな手をパタパタさせながら。
セゲアも思わず後ずさって俺を踏んでいた足をどかした。
俺は起き上がって元の体勢に戻る。
「こいつは、俺の兄だ」
「兄! マジで! お兄さん! ブラザ! あたしの親戚じゃん! 親戚! マミイのお兄さんってことはあたしにとって、えーと、えーと、おじさんだ! おじさん! マイアンクル!」
「なんだこいつ」
セゲアは呆気にとられている。
「マイアンクルこんにちは!」
「こ、こんにちは……」
「お名前は?」
「はあ?」
「お名前は?」
「せ、セゲア」
「セゲアおじさん! アンクルセゲア! あたしの名前は紫! あなたの姪のムラサキですよろしく!」
「よろしく……」
無邪気な雛の態度にセゲアは面食らったようで、あからさまに勢いが削がれていた。
「じゃああのトカゲご一行も兄弟?」
「うんまあ……」
「うそ! みんな親戚じゃん! おじさん! おばさん! なんか親戚いっぱい集まっちゃったね! 法事みたいだね!」
「ほ、法事?」
まあこれだけ死んだら法事と言えなくもないか……。
「おじさんおばさんあたしムラサキですぅー!」
巣で卵を啜っているトカゲの兄弟たちのところへぱたぱたと駆けていく。
「なんだあれ……」
セゲアもぽかんと眺めるしかなかった。
俺はじりじりと、一歩一歩、ゆっくり後ろに下がった。
「逃げるのか、アキヲ」
「そうさせてもらうよ……」
「そうか、じゃああの雛鳥はいただいていいんだな」
セゲアがムラサキに目を向けた、一瞬の隙をついた。
「ゲポッ!!」
胃液を逆流させ、今しがた食ったばかりの胆のうを、セゲアの目に向けて吐いた。
「ぐうァッ!!!!」
不意打ちを食らってもんどり打ったセゲアを尻目に、俺はムラサキにダッシュした。
「逃げるぞ」
「ピヨッ!?」
右手で彼女の首根っこを掴んだ。
セゲアは眼を押さえてのたうち回っている。
それを見てオロオロするばかりの兄弟たち。
「飛べるか?」
「生まれたばっかだよ? 飛べるわけないじゃん」
「だよなー」
下を覗くと結構な高さ、トカゲは幹を駆け下りれても、フクロウの雛にはちょっと厳しい。
俺は右手でムラサキを掴み、左手で、ヘビの死体に飛びついた。
細く尖った尻尾の先を左腕に抱え、
「いくぞッ」
両足で木の幹を蹴って、跳んだ。
「ピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨ」
ムラサキが悲鳴を上げる。
俺たちはヘビの尻尾につかまって、ロープのようにしゅるしゅると樹の下まで——とまではいかなかったが、なんとか飛び降りても大丈夫かなくらいの高さに、ぶら下がることができた。
前後に揺れて反動をつけ、
「いち、に、さん!」
でヘビの尻尾を離す。
放物線を描いて飛んでいる間、ムラサキは短い翼をパタパタ羽ばたかせてた。
上からセゲアの叫びが聞こえる。
「アキヲ! てめえ! 絶対殺す!」
俺とムラサキは茂みをクッションにして無事着地。
草の間を縫うように走った。
逃げるしかない。
ひとまずは、安全と思えるところまで。