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第3話

「マミイィィィィッ!!!!」


 巨大なヘビはマミイの首に噛みついた。

 そして太い胴体を螺旋状に巻きつけて締め上げた。

 母は必死に抵抗した。

 ……しかしもはや逃れようがないことは見てわかった。


「やめろぉぉぉぉ!!!!」


 俺は蛇の胴体に飛びついたが、噛みつこうが引っ掻こうが硬い鱗には傷もつけられなかった。


「アキヲ……走って……早くみんなと逃げるの」


 母は苦しそうに息をつきながら言った。

 気づけば兄弟たちは一匹残らず消えていた。

 潜んでる気配すらもなかった。


「いやだ、マミイ!」

「言う通りにしなさい」

「だって……!」

「これが自然の摂理……この世界の……ルールなの」


 トカゲが虫を食うように、ヘビがトカゲを食う。

 弱肉強食がこの世界のルールというわけか。


 ……認めない。


 俺はそんなルールには従わないぞ。


 従うものかッ……!


 俺は意を決し、ヘビに向かって、


「頼むっ!」


 土下座した。

 トカゲなので最初から土下座をしているような姿勢なのだが、それをさらに土下座っぽく見せるために頭、ていうか額を地面に擦り付けた。

 ノーズの短い、ブサイクな俺だからできる芸当だ。何なら尻尾まで振った。


 ヘビはそんな無様な俺をまるで存在しないかのように華麗に無視し、母の骨を砕こうと体を締め続けた。


「お願いだっ! マミイを食べるのをやめてくれ……!」


 懇願。

 それしかできなかった。


 ヘビは表情一つ変えず、母が弱るのを待っている。


「……アキヲ、早く逃げなさい。……お願いだから。……あたしはもう大丈夫だから」

「いやだ……マミイ……こんなんで終わりなんて」


 母のいない人生、いやトカゲ生、なんの後ろ盾もない幼体一匹がこの先どうやって生きていったらいいのか。

 マミイ、あなたがいなくなったら、俺は……。


「お前もいずれ一匹で生きていかなきゃなんないの。誰も助けてくれないの。マミイだっていつまでも一緒にいてあげられないんだからね」


 まるで俺が考えたことを先回りするかのように、彼女は言った。


 マミイ


 これまでのどの人生の母より、母だった。

 その母が理不尽に死ぬ。

 自然の摂理と簡単にいうが、マミイ、あなたはそれでいいのか?


「……アキヲ、あんたが無事に生まれただけで、あたしはうれしい、生きてきた意味があった」


 メキメキと母の骨が砕ける音が聞こえる。


「最後にこれを……これをマミイだと思って、受け取って……」


 母は、ヘビの胴の隙間からわずかに飛び出た尻尾を、自切した。

 尻尾は母の体から離れ、ピクンピクンと地面の上を跳ねる。

 俺はそれを、パクっと口に咥えた。

 眼の前で動くものを見ると体が勝手に動いて食いついてしまう。


「よかった……」


 母は、幸せそうな笑顔を浮かべた。


「ムァムィ……」


 俺は、まだくねくねとのたくっている母の尻尾を咥えたまま、見ていることしかできない。


 ヘビは母の首筋を噛むのをやめ、ぐるりと頭を回して、下半身に食らいついた。


「あああっ……!」


「(尻尾を咥えたまま)ムァァァァムィィィィ!!」


「アキヲ、元気でね。元気で……」


 母の下半身がヘビの口の中に、ゆっくりと埋まっていく。

 ヘビは口を広げては飲み、更に広げては飲みを繰り返し、そのたびに少しずつ母の残りが少なくなった。


 俺は逃げた。

 全速力で。

 振り返らなかった。

 俺は口から飛び出した母の尻尾を飲み込みながら、復讐を誓った。


 ——マミイ、あなたの仇は、俺がとる。


 涙がこぼれた。

 トカゲも泣くのだ。



 とはいえ……。


 復讐?

 俺が?

 母の?

 仇を討つだって……?


 不可能なのはわかっていた。

 生まれて数日の非力なトカゲ幼体の俺には抱えきれないほど太く大きなヘビ、母をいとも簡単に丸呑みしてしまうヘビなのだ。

 爪も歯も文字通り立たないことは実証済み。

 果たしてどう仇をとるというのか。


 これが前の世界なら、だ。

 人間には武器というものがあって、生身からは程遠い力で敵を倒すことができる。

 その前の世界なら、魔法という人智を超えた力で自然すら屈服させ味方につけたものだ。


 ここでは、どうだ。


 自然の摂理とかいう圧倒的な暴力に蹂躙されるしかないのか?

 弱肉強食というたった一つのルールに問答無用で従うしかないと?


 ……そんなのはごめんだ。


 俺は元人間なのだ。

 人間の最大の武器は、知恵だ。

 理不尽な力には、知恵で対抗する。

 それこそが人間からトカゲに転生した俺の、たった一つのアドバンテージじゃないか——。


 俺は、ヘビを追跡した。

 毎日。


 俺は、ヘビを監視した。

 毎日毎日。


 昼は一定の距離をとりつつヘビの後を追う。

 夜はヘビが眠ったあと、地面に穴を掘り、奥深くに潜って寝る。

 夜明け前に起き出してヘビの位置を確認。

 夜が明けたら再びヘビを追いかける。


 連日それを繰り返した。


 母の仇を討つチャンスを伺っていたわけではない。

 ただ追いかけて、監視するだけ。

 延々とストーキングすることで、ヘビに小さなストレスを絶えず与え続ける。


 一言でいえば、嫌がらせだ。


 樹の枝に登って、ヘビの頭めがけて虫の羽を落としたり。

 寝ているヘビに忍び寄って鱗の隙間に泥を塗り込んだり。

 咎められたら「さあ、知りませんね。私がやったっていう証拠でもあるんですか?」と言い返すつもりだ。


 そういう微妙な嫌がらせをし続ける。

 これが俺の復讐だ。

 タマを取ることだけが復讐じゃない。

 嫌がらせを続けるのも、それはそれで立派な復讐なのだ。


 こうして嫌がらせは、俺の生きがいになった。


 しかしそれは、長くは続かなかった。


 マミイの仇を討つ絶好の機会が巡ってきてしまったのだ。


 ある日の夕方のこと……。


 暗くなって、今夜はどんな嫌がらせをしてやろうかと考えていたら、ヘビが眠りにつこうとしている場所がちょうど樹の根っこのくぼみのようなところで、その樹の上の方に、細い枝を編み上げたような、なにかの巣があるのに気づいた。


 そこへ、大きな鳥が音もなく降りたった。


 フクロウだ。


 俺はこの世界を支配している自然の摂理とかいうものに、感謝した。

 ヘビが自然の摂理で母を食ったのなら、食われるのもまた自然の摂理。


 敵にはもっと強い敵をぶつければいい。


 フクロウに、ヘビを、襲わせるのだ。

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