新しい世界が与えられた俺の、傍には母がいた。
◇
生まれた、ていうか目が覚めたとき、俺はギッチギチに梱包されていた。
四肢は限界まで曲げられ、首まで折れそうになるほど窮屈に押し込められた状態でギリ収まっていた。
梱包材と体の間はぬめぬめした液体が、これはどう考えても卵の中で、つまり人間ではないらしい。
鼻先で梱包材を突き破り、顔を出すと、トカゲたちが俺を迎えた。
トカゲ……。
俺は卵殻を脱ぎ捨て、苔の生えた土の上に転がった。
十匹ほどのトカゲが俺を囲んでいた。
付近にはしぼんだ風船のような卵のカラが散乱している。
彼らもまた生まれたばかりなのだ。
ハピバスデトゥミ。
今度はトカゲかよ……。
二度目の転生、三度目の誕生。
トカゲの中の一匹が、大きく口を開けて俺の頭にかぶりついた。
早速共食いする気かこの爬虫類脳め。
トカゲの顎の力は思ったより強く、頭を振ったくらいではなかなか離れてくれない。
てかやべえ食われる。
おいおいこの人生いやトカゲ生もう終わりかよ早かったな。
まあトカゲなんてどうせ長く生きられんだろうし、生きたところでどうせトカゲだし、さくっと終わらせて次の人生ガチャ回したほうが……。
「やめなさい!」
声がした。
俺を噛んでいた顎が開き、離れた。
「だってこいつ」
「こいつじゃないっ!」
見上げるように大きなトカゲが、俺の周囲に集まっていた奴らを散らした。
見た瞬間、母とわかった。
「この子もマミイの大事な子供なんだから」
マミイ。
てかわかる、わかるぞ、トカゲ語が。
これが本能ってやつか。
俺はあらためて母を見た。
頭の先から尻尾の先まで。
でかい、ひたすらにでかい。
子トカゲたちは、その周りをそわそわと動き回っている。
どうやら、俺が一番最後に孵化したらしい。
母はひょいっと首を伸ばして、さっきまで俺を梱包していた殻をむしゃむしゃと食った。
それ食えるんだ……。
一匹の、体の小さいトカゲが近づいてきた。
「あたしはリンナ。君の一個上のお姉ちゃんだよ、よろしくね」
俺の一個前に孵化したということか。
「よろしく。俺は……」
名前は何なんだ?
親がつけるのか、自分で勝手に名乗るのか。
「俺の名前は、アキヲ」
勝手に出た。
転生前の名前だ。
「アキヲ。仲良くしてね。弟ができて嬉し——」
言い終わらないうちに、母トカゲがリンナに尻尾からがぶっ、と食いついた。
「えっ????」
一瞬なにが起こったか理解できなくて、気づいたらリンナは半分まで飲み込まれていた。
「うそーん……」
孵化したばかりの幼体を母トカゲが食うというのはよくあると、前の人生で聞いてはいたけど。聞いてはいたけど……。
たった今俺をかばったその口が、姉を食っている。
わからん。爬虫類わからん。
母はリンナの胸のあたりまで飲み込んだところで一気に噛みちぎった。
リンナの胸から上がぼたりと地面に落ち、子トカゲたちが一斉に食らいつく。
俺もダッシュで食べに行っていた。
これはトカゲとしての身体が自動的に反応したものであり、そこに一切の意志が介在しているものではないことを確認しておきたい。
俺はリンナだったかけらを一口、食べることができた。
一匹を犠牲にすることで母トカゲと子トカゲ全体を生かす、これも本能と割り切る。
割り切るもなにも体が勝手に動いてしまうのだが。
てかトカゲきっつ……。
俺たちトカゲの家族は、この苔むした土のくぼみのようなところでしばらく暮らすらしい。
幸いこの世界、てかこの地域は気温が高く、変温動物にとっては生きやすそうだった。
小さい虫も多く生息していて、当面飯には困らなそうだ。
問題があるとすればちょっとした油断が、死に直結することくらいか。
たとえば、ぼんやり考え事などしているといきなり後頭部に打撃を受ける。
全力で逃げる。
「あー、わりぃわりぃ」
長男のセゲアだ。
いま食おうとしたろ? 食おうとしたろ!?
俺はセゲアから距離を取り、なんでもなかった風を装う。
弱みを見せると追撃が来て、それに他の兄弟たちも便乗して、最後には食われてしまうのだ。
俺が兄弟たちから、やたら攻撃を受けるのには理由があった。
ブサイクなのだ。
母は、とても美しかった。
細く尖った顔に宝石のような黒い眼、流線型の整った身体。
エメラルドグリーンのスベスベした鱗肌は、光の当たる角度によって玉虫色の艶がキラキラと輝いた。
兄弟たちもみんな、母の見た目を継いでいた。
俺はというと、浅黒い鱗はボコボコしてるし大きさも揃ってないし、体のバランスが悪くて、尻尾が短く、頭が平たく潰れたように横に広がっていて眼が異様にでかい。
とてもあの母が産んだ卵から孵ったと思えなかった。
当然兄弟たちもそう感じているはずで、ゆえにいじめはエスカレートしていく。
異物を排除する本能のようなものがそうさせるんだろう。
セゲアはときどき、身の危険を感じるほどの暴力を振るってきた。
でもそんなときはいつも母がかばってくれた。
「アキヲ、大丈夫?」
「うん。まあ。これくらいはね」
俺は鱗の剥がれた左肘を隠した。
母はそれをめざとく見つけ、舐めてくれた。
土の上に、俺の鱗が落ちている。
黒くて細く尖った鱗だ。
どうみても母の遺伝子とは思えない、醜い鱗だった。
「……俺は、本当にマミイの子……?」
つい聞いてしまった。
「バカなこと言うんじゃないの!」
珍しく母は声を荒げた。
「じゃどうして俺だけこんな……こんなにブサイクなの?」
「アキヲはブサイクなんかじゃない。ただ、特別なだけ」
「特別? 俺が?」
「そう、特別。ちょい色黒だし、体もバランス悪いかもだけど、特別なんだから。みんなと違ってて当たり前なの」
前世の記憶を持ったままトカゲに転生した俺は、そういう意味では特別なのかもしれない。
母は、そのことを言っているのだろうか?
「俺の、いったい、なにが特別なの……?」
「それは……大きくなったらわかるから」
母は体を横に寄せてきて、俺はその肩に頭を預けた。
心地のいい、母の温もり(常温)。
転生前の人生も、その前の人生も、親には恵まれなかった。
一度目の母は領主の妻だったが、後継ぎに弟を据えるために俺を毒殺しようとした。
二度目の母は、四畳半のアパートに俺を置きざりにして、自分は男と遊んで一週間帰ってこないような女だった。
そして三度目の母。
トカゲだが。
優しくて、俺を愛してくれている。
「……アキヲ」
「なにマミイ?」
「前を向いて、そのまままっすぐ、走りなさい、後ろを振り返らずに、ここからできる限り離れなさい」
「え? なんで?」
俺は何を言ってるのかわからず、思わず母の顔を見上げる。
母の顔。
いつもの優しい顔だ。
爬虫類に表情なんてないと思っていたが、そんなことはない。
「マミイ……?」
母の背後から、大きな黒い影。
二つの眼が赤く光った——。
「マミイ!!」
一瞬のことだった。
巨大なヘビが牙を剥き、母に飛びかかった。