九月下旬。
文化祭初日を迎えた――――
私達一年一組の教室はその姿を喫茶店へと変えている。
対面で座れるテーブル席が十席。
窓際に用意したカウンター席が十席。
合計二十席で運営している。
限られた準備期間の中で、学級委員の司や文化振興委員の生徒を中心として、クラス一丸となった。
リースや色紙などで彩られた教室。
黒板前には、数名の生徒が家から持ってきてくれたIHコンロが設置されたカウンターキッチン。
そして『メイド・執事喫茶』の名の通り、ウエイトレス・ウエイターの衣装。
文化祭の出し物に使用出来る各クラスの予算は限られているため、やはり市販のコスプレ衣装の域を出ない。
しかし――――
「院瀬見く~ん!!」
「こっち来てぇ~!」
「いっぱい頼む! いっぱい貢ぐからサービスをぉ~!!」
「ははっ、少々お待ちください。お嬢様方」
「「「きゃぁぁあああああああっ!?!?」」」
大人気だった。
特に、司が。
フロア係は男女二人ずつの計四人。
初日の午前は司と私、そしてあと二人。
まったく同じ素材の衣装を身に着けたウエイターはもう一人いるというのに、何故だろう……私の目にもやはり司の衣装だけ上質なものに見えてしまう。
カッコいい人は何を着てもカッコいいというのは、その人本来の素材の良さは保証されているという意味以外にも、もしかすると着用したその物自体のスペックを向上させるというニュアンスも含まれているのかもしれない。
イケメンバフ、といったところか。
お陰で私達一年一組の出し物は大盛況。
文化祭初日で勢いに乗りやすいというのも関係しているだろうが、やはり初日のウエイターに司を持ってきたクラスの判断は正しかったといえる。
正直私は、素人が開くお遊びの喫茶店で二十席なんて埋まらないだろうと思っていたが、見事にその予想は外れ、今もなお廊下にズラリと長蛇の列が作られ続けていた。
「三番テーブルお願いしま~す」
キッチンから声が掛かる。
司は忙しそうなので、私が担当することにする。
「あ、メイド長。お願いします!」
「もうっ、メイド長じゃないって!」
「あはは」
準備期間中、私が手取り足取り料理を教えた生徒の一人――普段隣の席の女子から、白い皿に乗った二人分のホットケーキを受け取る。
ひっくり返すのをちょっと手間取ったのか、形が僅かに歪んだ円になっているが、特に焦げているわけでもないし問題ないだろう。
私は手早く三番テーブルに運んでいく。
二人掛けの対面テーブルで、一つ学年が上だと思われる男子生徒が二人座っていた。
「お待たせいたしました。ホットケーキになります」
コトン、とそれぞれの前へ皿を静かに置く。
すると「おぉ~」と感嘆の声が上がった。
二人の視線は美味しそうなホットケーキ……ではなく、私の方を向いている。
「え、なになに? 君メイド長なの?」
「メイド長!? あはは、そんな役職あんの?」
「いや、さっきキッチンでこの子そう呼ばれてたんよ」
そこまで大きな声で話していたつもりはなかったが、先程の短いやり取りを聞かれていたらしい。
私は若干顔が熱くなるのを感じながら「みんなが勝手に言っているだけですから」と否定しておく。
だがしかし、どうやらそんな私の言葉は受け入れてもらえなかったらしく――――
「いやでも確かに、さっきから見てたけど、他の人よりスムーズに動けてるっつうか……何か、妙に手馴れてる感あるよな」
「メイド長なだけあるよな~」
恐らく私は褒められているのだ。
でも、どうしてだろう……嬉しさより恥ずかしさが大きく勝る……!
「もしかして、何かバイトやってたりする? 接客業とか」
お、悪くない目の付け所だ。
よく見てるんだなと私は素直に感心するが、残念ながら詳しく教えるわけにはいかない。
「まぁ、少しだけですけどね」
「あ、やっぱ? だと思った~」
本当はバイトどころじゃない。
生まれたときから定められた仕事であり、義務。
お遊びじゃない。
本物のご主人様がいて、その彼に仕えている私からすれば、この程度の給仕ごっこは児戯に等しい。
仮に給仕素人である他の生徒に劣っているところが一つでもあろうものなら、私は今すぐにでもこの首を掻き切ることさえ厭わない――それくらい、プライドを持って司の世話係をしているのだ。
だから、雑談はこの辺りで切り上げて、私は目の前にいる二人の
「では、ごゆっくりおくつろぎくださいませ。
にこやかに微笑み、上品に一礼。
大繁盛しているお陰で注文は次から次へとやってくるので、私は次の接客へと向かった――――
◇◆◇
しばらくして、客足が落ち着くタイミングがあった。
既に店内にいるお客さん達にも料理が行き渡っているため、現在人手はそこまで必要ない。
あと小一時間で午後のシフトメンバーにバトンタッチすることになるが、それまでにまたどっとお客さんが押し寄せてこないとも限らない。
なので、私はクラスメイト達に一声掛けてから、このタイミングで一回トイレ休憩を挟ませてもらうことにした。
そして、お手洗いからの帰り――――
「……結香、こっち」
「つ、司……?」
一組教室に戻る一つ手前。
二組教室の前扉が僅かに開かれて司の声が聞こえた。
二組の出し物は体育館のステージを使ったものであるため、その教室は現在空き教室になっている。
内側からカーテンが掛けられているし、人目につく可能性は低いとはいえ、学校で接触をしてこようとするなんて、一体何の用事だろうか。
私は一組に戻る前に、一旦辺りを見渡して、こちらに注目している人物がいないことを確認してから、司に手招きされるまま素早く二組教室に入った。
すると――――
「えっ、ちょちょちょっ……!?」
どうして司がこんなところに?
司も少し休憩を貰ったのだろうか?
そんなことを確認する間もなく、司が急に私の手を引いて教室の奥の方へ連れて行く。
私はそのまま壁を背にする形に立たされる。
司は逃げ場を失くすかのように正面に立ち、教室の扉がある方――左手を私の顔の横に突いた。
執事姿の司が、メイド姿の私にいわゆる壁ドンしている状況。
「つ、司!? こんなところ他人に見られたら……!」
驚きと恥ずかしさで心拍数が急上昇。
教室に明かりが点いていないのであまり見えていないだろうが、間違いなく私の顔は真っ赤になってしまっている。
しかし、司は構わず私の顔を正面から覗き込んできた。
「最初は結香が恥ずかしがりながらメイドとして給仕してるところを眺めて楽しもうと思ってたんだけどなぁ……何かダメだった」
「え……?」
司がコツ……と私の頭頂部に自分の顎を乗せた。
そのせいで私の視界には司の首や胸しか映らない。
司が今どんな表情をしているのか、わからない。
まぁ、それが狙いなんだろう。
「……結香のご主人様は、俺だけだ」
「司……」
嫉妬、してしまったのだろう。
いつもからかってくる司だ。
ここで私も「おやおや、嫉妬ですか~?」と意地悪言うくらいの権利は充分にある。
でも、私はそんなことを言う気分にはなれなかった。
珍しく司が素直に可愛いところを見せてくれているのだから。
「……わかってますよ。私も、司だけの世話係です」
じんわりと胸の奥の方が温かくなるのを感じながら、私は司を安心させるように――そして同時に、私自身も安心するように、そう囁いた。