日本三大財閥に名を連ねる『院瀬見財閥』の御曹司、院瀬見司。
アパレル業界の大手企業『花ヶ崎ホールディングス』のご令嬢、花ヶ崎千春。
家の都合で執り行われたその二人のお見合いも、昼食を交えて二時間ほど談笑したあと解散となった。
互いに互いの家の思惑を理解したうえで、表面上の微笑みを浮かべながら当たり障りのない会話をする。
それでも、やはり千春さんは――花ヶ崎ホールディングスは院瀬見財閥との繋がりを強く望んでいる。
なので、あくまで家同士の契約上の付き合いに従っているだけというスタンスの司に対し、千春さんはしっかりと好感度を稼ごうとしていた。
男の子なら、可愛い女の子に言い寄られれば悪い気はしないはずだ。
それは司も同じだと思うが……いや、長い付き合いでもよくわからない。
学校では周りに必ずと言っていいほど女子がいて、皆垢抜けている感じで性格も明るく、普通に可愛い。
そんな環境は小学校から中学校、そして現在に至るまで続いているが、司が誰か特定の女子に惹かれて好意を抱いたところなんて見たことがない。
はっ……もしかして司は枯れているのか……!?
女の子にも恋愛にも興味がないのか……!?
それはちょっと、将来の院瀬見財閥の跡取り問題になりかねないから困る気がするが………
司は千春さんのことをどう思ってるんだろう?
「――で、どうでした?」
「どうって、何が?」
夕方頃に家に帰ってきた司と私。
司がリビングのソファーに腰を下ろしたので、私は冷蔵庫の中で冷やしてあった水出しの緑茶をグラスに注ぎ、トレーに乗せて持って行く。
「お見合いですよ。千春さんですよ」
「んあぁ~」
「んあぁ、って……」
どこか気の抜けた反応を示しながら、司は私から受け取ったグラスを口許で傾ける。
澄んだ薄緑色の液体が流し込まれ、喉仏がゴクゴクと音を鳴らしながら上下する。
コトッ、とリビングテーブルにグラスを置いてから、改めて口を開いた。
「まぁ、めっちゃ美人だったな」
「んなっ……!?」
「そんで、結構胸あったな」
「すみませんね私胸なくてっ……!」
司が嫌味のように私の慎ましやかな膨らみを半目で見詰めながら言ってきたので、私はこめかみをピクつかせながら謝った。
「って、そうじゃなくってですね。何かこう……魅力的だったとか、ドキドキしたとか……け、結婚したい……とか……」
自分で言ってて顔が熱くなるのを感じながら、言葉を尻すぼみにしつつもそう尋ねる。
司はしばらく目を丸くしていたが、やがて「ははぁーん」と意地悪そうにニヤリと笑ってきた。
「さては結香、ヤキモチ妬いてるな~?」
「は、はぁ……!?」
図星だった。
しかし、そんな指摘をすぐにその通りですと受け入れられるほど、私は素直な性格をしていない。
それでも構わずに、司は私が嫉妬している前提で話を進める。
「いやぁ、可愛いところもありますねぇ~? 結香さん?」
「可愛くない! あと妬いてないですから別にっ!」
「素直じゃないなぁ~」
「う、うるさいな……!」
私は少し熱くなった身体と早まる鼓動を落ち着かせるために、自分の分のグラスに冷たい緑茶を注いで喉に流し込む。
すると――――
「まぁ、でも、こればっかりは俺の気持ちがどうとかの話じゃないからな」
司が真面目な口調でそう言った。
「家の跡取りは俺しかいない。名家に生まれ、何不自由ない裕福な生活を送ることが出来る代償が、家の繁栄のための道具になることだ」
「司……」
私は黙り込んだ。
確かに羨む人は羨むかもしれない。
金の心配とは無縁の暮らし。
いくらでも与えられる教育の機会。
何か不都合が生じた際には、家の力で大抵どうにかなる。
そして、将来を約束された人生。
だが、それでも私は司に同情せずにはいられなかった。
不自由ない暮らしの対価が、自由意思の制限。
矛盾をはらんだその生き方に。
「だ、大丈夫ですっ!」
気付けば私は知らぬ間に声を上げていた。
自分でも驚くくらい、口を衝いて出た言葉。
そして、紛れもない本心。
「これまでがそうであったように、これから先司がどんな生き方をして、どこへ行っても、必ず私が傍にいますから!」
司が呆然と私を見詰めている。
「でも、もし司が『院瀬見』に使われるだけの人生が嫌だというなら……私が助けます。確かに『近衛』の私は『院瀬見』の従者ですが、その前に私は貴方の――司だけの世話係ですからっ!」
もしこんな宣言を家に聞かれれば大問題になるだろう。
司の世話係も強制解任され、下手すれば家を追われることもあり得る。
それでも、私は司の世話係。
誰が何と言おうと、司の味方でいたいのだ。
そう覚悟を込めた視線をジッと真っ直ぐ向けていると、司が小さく噴き出した。そして、次第に笑いを大きくしていく。
「はっ……ははっ、はははははっ!!」
「つ、司……?」
「いや、すまん。まさか結香がそんなに重く受け止めてくれるとは思ってなくて」
司が笑って目尻に薄っすら浮かんだ涙を人差し指で拭う。
「安心しろ、結香。確かに俺はしっかり家を継ぐつもりでいる。まぁ、ここまで何不自由なく育ててもらった恩があるからな」
だが、と司は自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
「結婚相手まで勝手に決められる気はない。家は継ぐが、そこからどう生きるかは俺が決める。俺の人生だ、誰にも文句は言わせない」
それは決して簡単なことではないだろう。
いくら跡継ぎとはいえ個人の意思で家の都合が覆るとは考えづらい。
それでも、司ならそれも可能にしてしまうのではとどこか期待してしまうのは、やはり傍で見守り続けてきた私が司を一番信頼しているからだろう。
そして、司のいる場所が私のいる場所。
司が歩む道が、私が歩む道。
「私も、力になりますからっ!!」
グッ、と拳を握って覚悟を示すと、私はまた司の高らかな笑いを浴びせられることになったのだった――――