今日は七月七日――七夕だ。
日曜日なので学校もなく、司は私が用意した昼食を食べたあと自室で小説の執筆に励んでいる。
昨日は担当編集との打ち合わせがあったので、恐らくそこで交換した意見をもとに書き進めて言っているのだろう。
表紙と挿絵のイラストについては、昨日帰ってきたあと私に色んな服を着せて写真を撮ったりメモを取ったりして、下書きまでは済ませているらしい。
まぁ、私ももう何度目かわからない恥ずかしい思いをした甲斐があるというモノだ…………
そして、私はというと、いつものように家事をこなしつつ、時々司の部屋にお茶を持って行って休日を過ごしていた。
一枚の扉越しに聞こえてくるキーボードのタイピング音や、司の「うぅ~ん」という唸り声に耳を傾けていると、天才的で何でも出来る司でも悩んだりするんだなと少し可笑しく思える。
同じ部屋にはいなくても、やはりその存在を近くに感じて妙な心地良さを覚えながら、リビングで学校の宿題を進めていると、気付けば夕方になっていた。
すると――――
「んあぁ~、疲れたぁ……」
「あ、司」
ガチャ、と部屋の扉が開いたと思ったら、そこから目頭を指で摘まんだ司が出てきた。
「お疲れ様です。執筆、進みました?」
「まぁ、ボチボチなぁ~」
司は両腕を頭上に高く持ち上げてうんと伸びをすると「よしっ」と言って話を切り出した。
「結香」
「はい?」
「脱げ」
「……ばっ……」
私は思わずソファーから立ち上がり、腹の底から湧き上がってくる激情に任せて叫んだ。
「ばかぁぁあああああああああああッ!!」
「んのわぁっ!?」
私の怒声にビックリしたのか、司が身体を仰け反らせる。
それでも構わず、私は顔を熱くしながら吹き出す言葉を捲し立てた。
「そ、そりゃ司も男の子だしそういうことに興味があるのは仕方ないと思うけど、だからってそんな簡単に命令で解決しようとするなんて最低っ! 司のこと信用してたのに……!!」
私は世話係。
司はご主人様。
私にとって司の命令は絶対遵守で、逆らうことなんて出来ない。
それは、こういう命令でも変わらない。
でも、だからこそ許せない。
司にとって私ってそういう都合のいいだけの存在だったってこと?
命令すれば何でも言うことを聞いてくれるただの世話係?
少なくとも私は司のことを単なる主従関係でなく、大切な幼馴染で気の置けない友人で……もしかすると、それ以上に特別な何かを…………
だから、それ相応の順序を踏まえて、それなりの雰囲気を用意してくれれば、私は別に命令されなくたって――――
「待て待て、何勘違いしてんだ」
「え?」
「近所の神社で小さな七夕祭りやってるらしいから、浴衣に着替えて行くぞ」
それを聞いて、私は拳を固く握り締め肩を震わせながら言った。
「それを先に言ってくださいっ……!!」
「あれれ、この色ボケ世話係さんは何を想像してたんだ?」
「悪意をもって勘違いさせたのは司です!」
今にも羞恥心に押し潰されて死にそうになる。
そうだ。
私のご主人様はすぐこうやって私をからかって遊ぶ。
まったく酷い趣味だ。
ただ、今はそれより――――
「はぁ……それで、七夕祭りですか?」
何でまた、と尋ねると、司は後ろ頭を掻きながら答えた。
「ずっと部屋に籠って書いてると、気が滅入るからな」
「気分転換ですか?」
「そゆこと」
「でも、何で浴衣?」
「夏の祭りと言えば浴衣! それに、可愛い女の子の浴衣姿を見れば更に気が晴れやかになあるからな」
「馬鹿にされてる気しかしませんけど」
そう言って半目で睨むと、司は本音か冗談かイマイチわからない口調で「そんなことねぇ~よ」と肩を竦めた。
「でも、私浴衣なんて持ってませんけど……」
「フッ、安心しろ。買ってある」
「あぁ、もぅ……次から次へと……」
◇◆◇
カラン、コロン、カラン、コロン…………
「意外と人いますね……」
「まぁ、住宅地近いしな」
「同じ高校の人に見られたらマズくないですか……?」
「これだけ人がいて、特定の誰かだって見分ける方が難しいだろ」
神社の前にはいくつか露店が出ており、老若男女問わず近隣住民で賑わっている。
人の流れというモノが生まれるくらいには混雑しており、確かにこれだけの人がいれば、仮に同じ高校の生徒が来ていたとしても、司と私が並んで歩いることに気付かないかもしれない。
司と私はその流れに乗って、ひとまず参拝を済ませたあと、人の背丈を優に超える笹の前に歩いて来た。
「折角来たし、七夕らしく願い事でも書いとくか」
そう言って、司は近くの長机の上に置かれていた短冊とペンを取る。
「何か願い事があるんですか?」
「いやぁ……パッとは出てこんかった……」
確かにいざ何か一つ願い事を言えと言われても、相当貪欲な者でない限りそうすぐには思い付かないかもしれない。
そう考えると司も私も皆も、意外と今の生活に満足出来ているということなのだろう。
「そういえば、七夕と言えば織姫と彦星ですけど……二人ってどうして一年に一度しか会えないんでしたっけ?」
織姫と彦星が神様の手によって天の川を隔てた場所に送られて一年に一度しか会うことが許されない――というのは何となく知っているが、なぜそんなことになったのかはよく知らない人がほとんどなのではないだろうか。
その一人である私が尋ねると、司はすぐに答えてくれた。
「んあぁ……確か、元々二人は働き者だったんだけど、恋に落ちてから仕事を怠けるようになって、それを見兼ねた神様が二人を離したんだったかな」
何でも、特に織姫は神様の服を仕立てるのが仕事らしい。
それは確かにきちんと働いてもらわないと、神様も着るものがなくなって困るだろう。
「へぇ……そうなんですね」
私はそんな司の説明を聞いて、一つだけ願い事を思い付いた。
願い事というより、誓いと言った方が正しいかもしれないが。
司の隣でペンを取り、短冊に綴ったのは――――
“これからも仕事を怠らず、頑張れますように”
私は織姫のようになるつもりはない。
だって、大切な人と離れ離れになるのは嫌だから。
まぁ、間違ってもそんな気恥しいことを司には言えないが。
「願い事までストイックで流石は私。優秀な世話係でしょ?」
司は? と視線を向けると、丁度願い事が書き終わったようだった。
「ふっ、見ろ」
「えぇっと……って、えぇ……」
“これからもずっと世話してくれますように”
その内容は、実に怠惰極まりないものだった。
「って、それ七夕じゃなくて私への願いじゃないですか!」
「ははっ」
「もぅ~! 怠け者は離れ離れにされちゃっても知りませんからね!」
そんな二人の願い事は、それぞれの手によって、ひっそりした場所の笹の葉に吊るされた――――
◇◆◇
同時刻、某所の屋敷にて――――
「お嬢様。
「どうでした?」
「了承していただけました」
「ふふっ、そうですか……楽しみです……」
司も結香もまだ知らないところで、密かに大きな話が動き出していた――――