私、近衛結香は院瀬見司の世話係である。
院瀬見家の後継者である司が不自由なく過ごせるよう、掃除、洗濯、炊事をこなし、万が一事件などに巻き込まれないように警護する役割も担っている。
こんな私の暮らしは、世間一般の生活からかけ離れすぎていて、説明したとしても皆が想像するところはメイドさんだろう。
黒いワンピースに白エプロンを纏い、淑やかで上品な所作でご主人様に奉仕する。
しかし、実際のところ私には特にこれと言った決められた衣服は存在しておらず、基本は私服で、平日で着替えるのが面倒なときは学校の制服のまま世話係の仕事をこなしている。
だから、決してフリルがふんだんにあしらわれていて、ふわふわフリフリのいかにも動きにくそうな恰好はしない。
しない、はずなのだが…………
「おっ、なかなか似合ってんな」
「~~っ!!」
私は今、そのメイド服を着込んでいた。
一体いつの間に、そしてどこから仕入れてきたのか。
いや、大抵のことは院瀬見の財力で話がついてしまうだろう。
コスプレ……と呼ぶにしては本格的すぎるしっとりと重厚感と艶のある丈夫な生地で出来た、クラシカルなメイド服。
足元まであるワンピース型のロングスカートは一切の穢れを寄せ付けない黒で、裾にはフリル。
その上から、これまたフリルの美しく可愛らしい純白のエプロンを被せ、頭はホワイトブリムで飾られている。
そんなメイドデビューを果たした私が、司の自室に入ったところで突っ立っていると、司が無遠慮に手招きしてきた。
「何恥ずかしがってんだよ。ほら、こっちこっち」
「は、恥ずかしいに決まってるじゃないですかっ……!!」
突然メイドの格好をさせられて、司の部屋に呼び出し。
きっと
では、なぜ私がこんな状況に置かれているかといえば…………
「んじゃ、そこに立ってみて」
私に指示を出す司の手には、タブレットとペン。
視力が低いわけでもないのに掛けられている黒縁の眼鏡は、ブルーライトカットの役割を持っているのだろう。
そう。
私は今から、絵のモデルになるのだ。
実は、司は学校で見せるそのキラッキラな雰囲気からは想像も出来ないだろう、ラノベ作家兼イラストレーターなのだ。
一人暮らしを始める前に新人賞で大賞を受賞した、文章から絵まで自分で手掛ける新進気鋭の天才作家――ペンネーム『ツカサドリ』先生。
一体どんな作品なのか詳しくその内容を読んだことはないが、司が言うには“超絶優しい少年が、捨てられて行く当てのないメイドを拾ってご主人様になるラブコメ”らしい。
一瞬テーマが司と私の関係を彷彿とさせるが、流石にそこは関係ないのだろう。
だって、私のご主人様である司は全然優しくないどころか、いっつもイジワルしてくるし、私は私で行く当てがなくなったことなど一度もない。
まぁ、そんなこんなで、自身でイラストも手掛ける司――もといツカサドリ先生の素材となるべく、私はこうしてメイド服を着させられ、モデルとなっているのだ。
まったく……何でモデルを私にするんだか。
特別女性的な凹凸に富んでいるわけでもなく、スタイルも顔の出来も平凡。
どうせモデルにするなら、有り余るその財力から微々たる費用を削り出して、もっと相応しい女性を雇えばいいのに。
……まぁ、私以外の女の人が司とこんなことをしていたら、ちょっとモヤモヤするけどさ。
と、そんなことを考えながら適当に立っていると、司が少し不満を湛えたような半目を向けて言ってきた。
「……いや、確かに立ってとは言ったけどさ。もっとこう……メイドっぽい佇まいは出来ないか?」
「そんなこと言われても、私別にメイドじゃないですから……」
確かに仕事内容的にはメイドさんとあまり遜色ないかもしれないが、社交界のような公の場でない限り、私がそんな所作一つ一つに気を遣って上品に過ごすことなどありはしない。
それを、急にメイドっぽくと言われても困る。
「世話係はメイドみたいなもんだろ?」
「ぜんっぜん違いますからっ!」
えぇ~、とまるで期待外れだったかのような目を向けられるが、私だってどんな無茶振りにも応えられるわけではない。
「でもまぁ、せっかく衣装まで着たので協力はしますから……具体的にどんなポーズをしたらいいのか指定してください」
「んあぁ……そうだな……」
司は自身のタブレットを操作して、ネットで適当なメイドさんの参考画像を探し、その画面を見せてきた。
「まずはコレだ! この今にも『おはようございます、ご主人様』とでも言い出しそうな、上品なお辞儀!」
「あ~、確かにメイドさんっぽいですね」
「だろ? というわけで……どうぞ」
どうぞ、ってそんな期待を込めた眼差しで見詰められても……。
果たしてその期待に応えられるだけのクオリティーで再現できるだろうか。
まぁ、協力すると言ったのは私だし、やれるだけのことはやってみよう。
「じゃ、じゃあ……」
私は沸き上がりそうになる羞恥心をグッと胸の奥で堪えながら、両手でロングスカートの裾を摘まみ上げるようにしながら、右足をスッと後ろに下げて小さくお辞儀をしてみせた。
そして――――
「お、おはようございます……ご、ご主人様……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……な、何か言ってくれないと羞恥死しそうなんですけど……!」
なぜかこちらを眼鏡の奥の瞳で見詰めたまま、ピクリとも動かない司。
やはり私では完全なクオリティーの再現は不可能だったか。
司の期待には応えられなかったか。
もし改善点があれば出来るだけ治すよう善処するつもりだが、それでも司は無反応。
しかし、数秒後…………
「かっ……」
「か?」
やっと司の口を衝いて出た言葉は――――
「可愛いッ!!」
「……っ!?」
ボンッ、と音が鳴ったかと思った。
私の顔は一瞬にして熱くなり、思わず喉から変な声が出そうになったのをキュッと口を噤んで耐える。
「やれば出来るじゃんか、結香! めっちゃ可愛い!!」
「つ、司……何か変なテンション入ってません……!?」
普段の司なら絶対に言わないであろう台詞。
しかし、今は完全にツカサドリ先生になっているのだろう。
だから、こんな小恥ずかしい言葉を無遠慮に飛ばしてくる。
「素晴らしいっ! これぞ全人類が待ちわびたメイドさん! きめ細やかな白肌に絹のように艶やかな黒髪。楚々と整った顔は恥じらいの色に染まり、黒い瞳は熱を帯びて潤んでいる。持ち上げられたスカートはまるでその少女を彩る羽のようで――」
「――んあぁあああ!! もうわかりましたからっ、ストップストップ! 作家の語彙力フル活用して感想言わないでくださいっ!!」
私はこれ以上の辱めに耐えられず、叫ばずにはいられなかった――――