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第09話 体育ハプニング

「頑張れぇ~!!」

「負けんなよ~!」

「抜かせ抜かせぇ~!」


 学校のグラウンドにそんな声援が響き渡っている。

 砂の地面に白線で描かれたトラックに沿って走っているのは、各組の生徒。


 五月下旬の昼下がり。

 現在行われているのは体育祭――ではなく、その練習のために使われる体育の授業だ。


 一学期中間テストが終わり、六月上旬に控えた体育祭。

 秋の文化祭と並んで、一年の二大イベントと言っても過言ではない行事。


 テストの結果が良かった生徒もそうでなかった生徒も心機一転。

 今ではすっかり体育祭ムードになっている。


 とはいえ、まだ体育祭本番ではない。

 にもかかわらず、こうも声援に力が入っているのは、やはり一学年五クラス中三クラスが合同で練習しているから。


 そして何より、今練習しているのが『クラス対抗リレー』だからだろう。


 いくら練習とは言え、競技の名前に『対抗』などと入ればやはりライバル意識が芽生え、勝利せねばという雰囲気が場を支配する。


 まんまとその雰囲気に感化された生徒らは、声援に熱を入れ、走者は走者で本番さながらの気迫で全力疾走。


 そんな様子を、私は次にバトンを受け取る準備をしながら眺めていた。


 そう。

 私もクラス対抗リレーの走者なのである。

 それも、アンカーの一つ前という結構重要な位置。


 現在、我が一年一組は二番手。

 三組が一番手で少しリードを保っており、二組が三番手ながらも一組と競っている。


 さて、どうしたものか。


 幼少期から司の世話係として多様な教育を受け、その中で私は人並み以上の走力も身に付けている。


 しかし、基本私がその能力を人前で発揮することはない。

 小学校でも中学校でもそうしてきた。


 私は司の世話係であり、『近衛』は『院瀬見』に仕える存在。

 私の能力は司のためのモノであり、『院瀬見』の利益のために使われる。


 足の速さ一つ取っても、それは例えば何かしらの事件に巻き込まれて行動不能に陥った司を抱えて、最速で安全地帯まで送り届けるために使われるモノであり、決して高校の体育祭で自クラスを勝たせるために使うモノではないのだ。


 それに、我が一組のアンカーは何を隠そう司。


 ここは私が全力で一番手を狙いにいかずとも、現在一番手である三組の生徒とのリードを縮める程度にしておけば、最後にアンカーである司が抜き去ってくれるだろう。


 うんうん!

 主人に花を持たせるとは、流石私。

 世話係の鏡だ!


 そう自画自賛しながら作戦が決まったところで、私は駆け出す準備を始める。


 タタタタタッ――と、私より少し早くバトンを受け取った三組の生徒が駆け出した姿を横目に、私も自クラスの走者が近付いて来たのを確認し、小走りを始める。


 後ろに回しておいた左手に、パシッ! とバトンが受け渡される。

 同時、足の回転速度を上げて加速しながら、受け取ったバトンを右手に持ち替える。


 本来の実力の六割程度の走力で、前方を走る三組の生徒との差を詰めていく。


 目算五メートル弱あったリードが徐々に徐々に縮まり、トラックのコーナー区間を通過して直線に差し掛かる頃には三メートルを切っていた。


 よし。あとはこのリードを保って司に任せよう――――


「どうぞ、です」

「うっせ」


 バトンパスの瞬間、私が司にだけきちんと聞こえる声量でそういうと、司はその意味を理解してか不服そうな――それでいてどこか楽しそうな表情を浮かべた。


 ダッ! と一気に加速する司。

 流石、幼少より英才教育の限りを尽くして育てられた『院瀬見』の御曹司。


 陸上部顔負けの爆発的な足の速さを見せる。


「うおぉおおお! はえぇ~!!」

「きゃぁ~!! 院瀬く~ん!!」

「やっばぁ~! めっちゃ速いじゃん!?」


 男子女子問わず――何ならクラス問わず黄色い歓声を上げる生徒達。

 そんな声を背に受けて、司がさらに加速。


 一番手の三組生徒との彼我の距離は二.五メートル、二メートル、一.五メートル……とみるみる縮まり――――


 事故はそこで起きた。


 スザザザザザァ――ッ!!


「「「――ッ!?」」」


 今にも司に追い抜かされようとしていた三組生徒は焦ったのだろう。


 アンカーとして抜かされるわけにはいかないと無理して加速を試みて失敗し、足を躓かせてそのまま大きく体勢を崩した。


 当然その場で急激に減速するため、後方から追い抜こうと加速していた司と接触。


 そのまま絡み合うようにして転倒。

 二、三回二人で地面を転がり、大量の土煙を巻き上げてグラウンドにうつ伏せになった。


 生徒達の盛り上がりがどこへやら。

 熱を帯びていた歓声は冷めきり、場はすっかり静寂に包まれてしまった。


 時が止まったかのような錯覚を覚える数秒間を経て、不安を掻き立てるどよめきが時計の針を再び動かし始めた。


「つか――」


 私は咄嗟に司の名前を口にしかけたが思い止まり、出しかけていた一歩も引っ込める。


 学校では司と私に交流はない。

 この場でいきなり私が出て行けば、周囲に私達の関係性を疑われかねない。


 しかし、このまま放っておくわけにも――と私が葛藤しているうちに、普段司を取り囲んでいるクラスの女子生徒らが駆け寄っていった。


「院瀬見君大丈夫!?」

「ちょっ、司っち!?」

「保健室! 早く保健室に!」


 流石の人気っぷり。

 どうやら私が出て行かなくても、他のクラスメイトがきちんと司を保健室まで連れて行ってくれるようだ。


 良かった良かった。

 のこのこ私が出て行くワケにもいかないし、助かった助かった。


 ……でも。


 司の世話係は……誰でもない、私なんだから…………

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