「さて、じゃあ俺の些細なお願いを聞いてもらおうかなぁ~」
「ふん……」
「命令は…………膝枕だ」
「……へ?」
思わず私の口から間抜けな声が漏れ出てしまった。
必要以上にもったいぶって司が口にした命令は、まさかのまさかの“膝枕”。
あの、一方がもう一方の太腿の上に頭を乗せるアレだ。
一体どんな無理難題を命令されるのかと身構えていたが……膝枕とは、少し拍子抜けだ。
「何だよ。その顔は」
「あ、いえ……そんなことで良いんだと、思いまして……」
「そ、そんなこと……だとっ……!?」
なぜか司が戦慄する。
大袈裟に一歩後退りし、その目はまるであり得ないものを見るかのよう。
「結香……お前、何もわかってないぞ……!?」
どこか虚空を見詰めながら司が熱を帯びて語る。
「いいか? そりゃ確かに寝るなら普通の枕の方が熟睡できる。睡眠の質が良くなるように設計されてるんだから当然と言えば当然だ。しかし!」
グッ、と司が拳を握り込んだ。
「理屈じゃないんだよ……! 女子のその柔らかくもしなやかで人の温もりを湛えた太腿を枕にして横たわるのは、全世界の男子の夢! ロマンだッ!」
「そ、そんな熱弁されても……」
私はそんな司の異様なまでの熱量に気圧され、少したじろいでしまった。
学校では王子様ともてはやされているこの男が、膝枕の魅力について熱弁している姿など、一体誰が想像できるだろうか。
「ま、まぁ、でもわかりました。膝枕くらいなら全然しますけど……わざわざ命令権使わなくたって、学校の女子にでも頼めばいいじゃないですか。司がお願いすれば一発ですよ、一発」
眉目秀麗、学業優秀、おまけに運動も出来て紳士な王子様の仮面を被った司が一言お願いすれば、基本どんな女子でも快く引き受けてくれるはずだ。
それくらいには、司は学校での人気が高い。
しかし…………
「馬鹿野郎。そんなことしたら、折角俺が築き上げてきた王子様キャラが崩れるだろうが。次の日には権力を振りかざす変態貴族認定されてるわ」
まぁ、確かに。
イケメンだから、完璧超人だからといって、それを武器に何でも人に言うことを聞かせる姿は、傍から見れば正直イタイかもしれない。
「それに、膝枕してもらうのも誰だって良いってワケじゃないしな」
「えっ……?」
それって……つまり、他の誰でもなくて、私の膝枕が良いってこと……?
不意を突くような司の発言に、私の胸の奥でドキッ……と、心臓が唸る。
身体の熱が芯の方から徐々に登ってきて、顔に溜まっていく。
「司……それってどういう意――」
「――他の奴だったらちょっと申し訳なく思ってしまうが、結香だったら遠慮する必要ないし」
……で、ですよねぇ~!?
スゥ、と顔に溜まった熱が引いていく。
いや、一瞬変な勘違いを仕掛けていた羞恥心から、むしろ熱くなってしまったかもしれない。
そう、司はこういう奴だ。
何かを期待しようだなんて思い上がった私が愚かだった。
「はぁ……バカみたい……」
「おい、馬鹿とは何だ。馬鹿とは」
「あ、いえ……司のことではなく……」
私自身に向けた言葉だったが、無意識の内に声に出してしまったため司に言ったのだと勘違いさせてしまったらしい。
だが、この短いやり取りの中だけでも妙に疲れた。
誤解を解くのも面倒だ。
さっさと命令を遂行して休ませてもらおう。
「えっと、膝枕でしたよね。ソファーで良いですか?」
「あ、ああ……」
私は確認を取ってから、ソファーの左端に腰掛ける。
恐らく大丈夫だが、一応スカートの上を手で払って埃を落としておく。
「さ、どうぞ?」
「どうぞってお前、そんなあっさりな……まぁ、良いか……」
何か言いたそうだったが、頭を掻いて言葉を飲み込んだ司。
「じゃ、じゃあ……失礼して……」
「どうぞどうぞ」
司は私の右側に座り、距離感を測りながらそっと身体を傾けて、その頭を私の太腿の上に横たえた。
ズシィ……と、一部分ではあるが、確かに司の重みを脚の上に感じる。
「おぉ……」
「どうですか、寝心地は?」
「思ったより悪くない……というか、最高」
「……そ、そですか……」
あれ、何だろう。
なんか、少しずつ鼓動が早くなっていく。
膝枕なんて、人の頭を自分の脚に乗せるだけの行為。
大したことないと思っていたが、いざこうして実際に膝枕をすると…………
「ん、結香? どうした?」
「へっ!? な、何がですか……?」
「何って……もしかして、結構負担なのか膝枕って? 顔赤いけど」
「あかっ……コホン。赤くないです、大丈夫です。というか、こっち見ないでください」
私は自分の表情を見られないように、司の顔を手で転がして横に向けさせた。
それでも司の体重が、体温が……スカートを通り越して私の太腿に伝わり、そこからじんわりと全身に溶けていく。
……正直、非常に居たたまれない。
こんな状況の中、数分が経過した頃…………
「すぅ…………」
「……司?」
「…………」
全然喋らなくなったと思ったら、どうやら眠ってしまったらしい。
学校では素の自分を隠し、紳士的な王子様の仮面を被る。
勉強を怠ることはなく、自立の一貫として家でもある仕事をしている。
「ふふっ、疲れてるんだね」
いつもの自信満々で、挑発的で、意地悪っぽさが滲むその顔が、こうも無防備になっているのが少し可笑しく思えた。
私は片手を司の頭にやり、亜麻色に輝くサラサラの髪の毛を撫でる。
それでも司に起きる気配がないので、しばらくその髪の触り心地を堪能していると――――
「ふわぁ……この顔見てたら、なんか私まで……」
どうやら眠気を移されたらしい。
柔らかくベールを被せるようにやってきた睡魔によって、私の意識は徐々に深い場所へと誘われていったのだった…………