ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン――――
私、
時間はちょうど朝の通勤通学ラッシュ。
スーツを着込んだ大人はもちろんのこと、小学生から高校生まで色んなデザインの制服に袖を通した少年少女の姿も多い。
始発駅で乗車したわけでもない私は、当然埋め尽くされた座席に座ることなど許されず、二号車の出入り口付近に押し込められる形で立っていた。
そんなとき――――
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタッ!!
「きゃっ……!」
電車が大きく揺れ、人混みに波が生まれる。
この程度日常茶飯事。
いつもなら私の鍛え上げられた体感をもってして微動だにしないのだが、情けなくも今回は間抜けな声を漏らしてしまった。
それもこれも全部、
「(どうした|結香《ゆいか》? 可愛い声出して)」
「……っ!?」
向かい合うようにして目の前に立っていた男子が、電車の揺れに紛れて急接近してきた。
ドンッ! と左肘を私の顔の隣に突き立てて、私より頭一つ以上高い場所から下ろしてきたその口は、私の左耳のすぐ傍で言葉を紡ぐ。
「出してないっ! っていうか耳元で囁かないでください……!」
「あれ、そんなに耳弱かったっけ?」
「うるさいなぁ……」
ゾワッとした左耳を片手で押さえながら不満を訴えると、私の視線の先で、少し長い亜麻色の髪の下から覗くヘーゼルの瞳が悪戯っぽく細められた。
ムカつく。
いっつもいっつも、ことあるごとにこうやって私をからかってきて。
こんなことして何が楽しいのか理解出来ないけど、無駄にイケメンなことを自覚したうえでそれを武器にしてイジワルしてくるから質が悪い。
何より腹立たしいのは、こんなイタズラで毎度不覚にも内心ドキドキしてしまう私自身だ。
もしこのことが目の前の男にバレてしまったら、どんなニヤケっ面で何を言われるかわかったもんじゃない。
それに、やられっぱなしというのも舐められるだけだ。
ガタンゴトン、ガタンゴトン――キィィ~!
グラリ、と次に大きく電車が揺れたタイミング。
私は仕返しすべく、今度は自分から男子に密着した。
もたれ掛かるように触れ、男子は半歩後退り。
「おっ……!?」
どうやら驚いたようで、男子が目を丸くして声を漏らす。
「あれ、どうしたんですか~?」
「……は、別に何も?」
仕返しが上手くいった私は思わず顔をニヤケさせながら男子の顔を見上げる。
視界にバッチリ、その端整な顔がじんわり赤く染まっている様子と、それを隠すようにそっぽを向く姿を捉えた。
どうだ、参ったかっ!?
もうこれで何度目になる攻防か。
今までのやり取りを全てカウントしていたら、とても二桁には収まらないだろう。
本当に些細なからかいから、あらかじめ計画を練って実行する大掛かりなイタズラまで。
やられたらやり返す。やり返されたらまたやり返す……そうして延々と連鎖していくちょっかい、からかい、イタズラ、イジワル。
不毛だ。
極めて不毛。
この応酬の行きつく先に一体何があるのか。
もしかしなくても、何もない可能性の方が大きい。
でも、そうとわかっていてもやめられない。
少なくとも向こうが「降参だ」と言うまでは。
だが、それは相手も同じこと。
ゆえに、この不毛な連鎖は終わらない。
もはや彼と私の日常と化した。
彼と私以外の誰も知らない私達の日常。
スクールカーストの頂に君臨するプリンス的立場である彼と、教室にいてもいなくても変わらないような静かに日々を過ごしている私の日常。
そして、名家の御曹司である彼と、その世話係である私の日常だ――――
◇◆◇
四月下旬。
もう一週間ほど前になる入学式初日とはガラリと変わって、教室内は授業間の休み時間ということもあり活気に溢れていた。
大半のクラスメイトが初対面。
相手がどんな性格でどんな好き嫌いがあるのかもわからず、話し掛ける機会を探り合うような緊張と気恥ずかしさに満ちた光景はどこへやら。
一週間もあれば、初対面が単なるクラスメイト、顔見知りという関係性を経て、立派な友達へと変わるのには充分。
何度か言葉を交わす中で彼我の“合う”“合わない”を見定め、自然と気の合う者同士が集まりグループを作る。
個人的には、その過程がパズルのピースを当て嵌めていくのに似ているなと思う。
互いの凹凸を比較し、合えば繋がりを持ってグループを作る。
合わなければ自然と離れ、自分と合うピースを探しに行く。
そして、繋ぎ合わさったピースはグループごとに小さな絵を生み出し、更にそれらが寄り集まって一つの大きな作品を完成させるのだ。
もちろん教室ごとにその作品に浮かび上がる絵は異なるが、唯一共通している点がある。
華やかなピースが集まって作品の中で目立つ箇所を描き出しているグループもあれば、逆に地味なピースが集まって単なる引き立て役になっているグループもあるというところ。
そんな様子はもちろんこの一年一組教室内でも見受けられ、教卓の周りでは華やかなピース達が寄り集まって、俗に言う陽キャグループを形成している。
メンバーの内訳は、男子と女子がそれぞれ三人。
明るく髪を染めていたり、耳元もしくは首元にキラリと光るものがあったりと、皆それぞれオシャレを欠かさない垢抜けた高校生といった風貌。
だが、そんな洗練された面々に囲まれてもなお埋もれることなく、それどころか一線を画して目を引く人物がいた。
背は百八十センチと高く、線の細い身体付き。
色白なのはそのビックリするくらい整った顔を見れば明らかで、鼻梁は高く顎はシュッと細く締まっている。
生まれつき色素が薄いため、男子にしてはやや長い髪は亜麻色でサラサラ。涼し気ながらも愛嬌を兼ね備えた瞳もヘーゼルだ。
彼はそんなイケメン――で、終わる男ではない。
家はその起源を江戸後期に求め、三大財閥に名を連ねる名家。
金融、商事、海運、その他各種製造事業分野にわたって事業経営を展開しており、総資産は三百五十兆円とも言われている。
そんな名家の跡継ぎとして生まれた彼は、幼少より多種多様な英才教育を施された甲斐あって、頭脳明晰、博学多才。その上、運動神経も抜群という完璧超人。
とんでもビックリな家柄に関してはむやみに広められると良からぬ人や組織に目を付けられかねないので周囲には秘密にしているが、それでも隠し切れない才知と優れた容姿をもって、こうして入学早々からスクールカーストの頂点に君臨しているのだ。
今も一国の王子であるかのような振る舞いで、自分の周りに集まるクラスメイト達と談笑している。
「――でねでね! その駅前に出来た店のスイーツがめっちゃ美味しくて! 思わず四つも食べちゃった~!」
グループの女子のそんな話に、一人の男子がからかうように目を細めて言った。
「お、そんなに食べたら太るんじゃないですかぁ?」
「もうっ、太んないし! え、太ってないよねぇ~!?」
男子の冗談を一度は否定したものの、少し思うところがあったのか不安と焦りの色を浮かべて周りの友達に確認する。
そんな女子の様子が面白いのか、皆あえて含みのありそうな笑みを浮かべてスルー。
女子は「えぇ、うそぉ!?」と周囲の反応を真に受けて頭を抱えてしまう。
そこで朗らかな笑いと共に口を開いたのが司だ。
「あはは、大丈夫。全然太ってないよ。むしろ細いくらい」
「えっ、ホント!? ホントにホント!?」
「うん。ホントにホント。ボクが保証するよ」
司が断言してくれたことによって、その女子は「よかったぁ~」と胸を撫で下ろす。
そんな様子を見て笑ってから、司は女子が慌てる原因を作った男子へ優しく咎めるような口調で言った。
「まったく……女の子には優しくな?」
「あはは~、わりぃわりぃ!」
紳士的な性格で品性を兼ね備え、男女分け隔てなく優しく接するその様は、まさに王子様。
その王子様っぷりを是非私を相手にするときも発揮していただきたいと思いたいところだが、彼が周囲に向けるその顔はあくまで表向きのモノ。
円滑なコミュニケーションを生み出すために、紳士的なキャラクターを演じているに過ぎない。
王子様?
貴公子?
紳士?
ハハハ。
もし彼が本当にそんな人物だったら、今頃私はこんなに頭を悩ませることはなかったんだよ…………