撫でるように柔らかな風が通り抜けて、私は目を醒ます。
「うぅっ────」
ゆっくりと身体を起こすと、そこは草原のような場所だった。
ただ空と大地が白く淡い光に覆われていて、地平線の向こうが見えない。
そもそも、さっきまでいたハズのアリーナは、影も形もなく。
あるのはどこまで続くかも分からない、平坦な大地だけだ。
「ここは、どこでしょう……」
敢えて言葉に出してみたけれど、何となく察するものがあった。
さっきバルザム教官に心臓を刺された時から、そう時間が経っているとは思えない。
そして倒れたときまぶたの裏に見えた景色は、確かにここのものだった。
身体を見回すと刺された場所にも、抉られた場所にも、切られた場所にも傷はなく。
衣類は着ていた軍服ではなく、柔らかい素材の白いワンピースがあてがわれていた。
呼吸を整えてから、恐る恐る胸に手を当ててみる。
私の心臓は、動いていなかった────
「そっか……」
ああ、そうだったか。私は死んでしまったのか。
考えてみれば心臓をひとつき、血液だって流しすぎたので、こうなってしまったのは当然か。
死んだらもっと喪失感や絶望感を感じるものかと思っていたけれど、今の私は案外落ち着いていた。
恐らくここは天国的な所なんだろう、という予想も立てられた。
きーさんがここにいたら、きっと耐えられなかっただろうけれど。
「敵わなかった、か……」
なんだかアリーナでの全てが悪い夢を見ていたような気分だった。
結局私は、バルザム教官を止めることができなかった。
元々敵うハズもない相手だったのだから、悔しさはあれど仕方ないと納得はできる。
けれど私が死んでしまった後のアリーナでのことを考えると、胸が締め付けられるようだった。
きっとあの後、バルザム教官は無抵抗の観客たちを蹂躙する。
彼に残された時間は少なくても、あの観客席にいたルールとか言う魔女がやる。
その結果、国は崩壊の道を辿る可能性が高い────
「はぁ……」
私はついつい出てくる溜め息で憂鬱さを実感しながらも、その場を立ち上がった。
先ずはここから戻る方法を考えなければ。
死んでしまった私が、いまさら何を出来るかは分からない。
けれど事が事だけに、かけてきた時間が時間だけに、私も簡単には諦めがつかなかった。
認められなかった未来は、やっぱりどうやっても私には認められない。
それを回避するためにも、私はまだ死ぬわけにはいかなかった。
それにまだ、あの場所に帰ることも出来ていないし────
「ん? 何でこんなところに?」
そして周りを見渡した私はようやく、足元に落ちている一本のペンに気付いた。
もちろんただのペンじゃない、ずっしりとした素材でできた黒の表面と金の縁、最高司令官の証である最高ペンだ。
大会中は肌身離さず持っていたので、手元にあるのはまだ理解出来る。
問題は、服や下着、持っていた指令書まで置いてきてしまったこの「死後の世界」に、どうしてこれだけが一緒に来てしまったか、と言うこと。
まぁ、ただのペンでは無いことは事実だし、何かの役に立つか?
そう思って私はそれを拾おうとした瞬間────突然ペンの真下から、一本の腕が生えてきた。
とっさに飛び退く私よりも早く、その腕は握ったペンで、私の心臓を
「うぅっっっ────────! っっぁぁぁあああぁぁあ────っ!!!」
広がる!! 熱が! 痛みが! 強烈に!!
アリーナで串刺しにされたときよりも、幾百倍も激烈な熱と痛みが、私の心臓から抹消へ駆け巡る。
死んでいるハズなのに、死ぬよりも苦しい痛みが私の全身を焼いてゆく。
何だ今のは!? 今の腕は!? なぜペンを、なぜ私の胸を!?
そんな思考も、全て胸の痛みが溶かして行く。
こんなに苦しいなら、もしやここは地獄だったのか。
何がいけなかったのか考えればキリがない程、私にとっては白い草原よりもその回想の方が、余程走馬灯だった。
もはや自身が絶叫しているのかも、嘔吐しているのかも、気絶しているのかも分からない。
のたうち回りながら、誰もいない白い野原でただ独り苦しむ。
これもう帰れないかもしれない────
ただ、朦朧とした意識の中で私は最後に気づいた。
「し、心臓が、動いている……!?」
先程まで確かに止まっていた心臓が、ペンで刺されたことによって、静かに動き始めていた。
思考もできない痛みが私を刺すのに同調して、心臓の鼓動が息を吹き返す。
焼けるような熱が波打つのに合わせ、全身の脈動が動いている。
そして途方もなく続く痛みの後、私は
※ ※ ※ ※ ※
気付けば私は、立っていた。
二本の足で、確かにアリーナの真ん中で、立ち上がっていた。
「まさか────」
バルザム教官は憎々しげに、私を睨みつける。
間違いなく心臓を貫いたハズの敵の蘇生は、どうやら元軍幹部と言えど、予想外だったらしい。
私は改めて、自身の身体を見回す。
服装はボロボロのままだけれど、全身の傷は治り、使いきった魔力も元に戻っている。
止まった心臓がマッサージによって動き出したとか、そんな次元じゃない。
自分でも信じられないけれど、どうやら私は完全な蘇生を果たしたのだ。
“だ、大丈夫、なの……?”
「ごめんなさい、きーさん。心配かけました」
“心臓止まってたよね!?”
心配そうにきーさんが私の顔を覗く。
ただ幸いなことにこの精霊との契約はまだ、途切れてはいなかった。
だから私が今心配要らないと言うことも、充分に伝わっているはずだ。
「薄々ただのペンでないことは気付いていたが、まさか死者の蘇生とは。
しつこさに呆れるっ! 二度目で結果が変わるならば、誰もがそうしている!」
「いいえ────このチャンス、絶対に無駄にはしません!」
ただ、体力が満タンになったところで、普通に戦ってはバルザム教官に私は勝てないのは充分に理解できた。
たとえ満身創痍でも、彼の技術や力は圧倒的。
それに加え服の力で魔力も吸収されて死角もない、そんなの私が相手になるはずがない。
けれど、私はまだひとつだけ、残された方法がある────
「きーさん、
“いいんだね?”
「そうでもしないと、あの人は倒せないですから。決めましょう」
【怪傑の三銃士】との修行で、いざバルザム教官と正面から闘いになったとき、勝てる方法はあるかを、私は一度聞いてみた。
三人とも「まず絶対に勝てない」と断言したけれど、ボスのライルさんだけは、ほんのわずかに可能性があるかもしれないと、この方法を提示してくれたのだ。
そのわずかな可能性でも、私がこの壁を越えられるのなら、充分に賭ける価値がある。
「はああぁぁぁっ!」
「腕に、いや作られた得物に魔力が集まって行く……? 待て貴様、何をするつもりだ!?」
私は両手に持てる限り全ての魔力を凝縮し、一本の槍を作り出した。
「その槍は────まさか」
「そう【救済騎士】ホワイトハルトの聖槍です」
先日マガリ村で発見されて、私たちがこのエクレアへ持ち帰った聖槍がこの“レガシー”だ。
本物は他で厳重に保管されているが、私ときーさんは確かに一度、この槍を見ているし触れている。
バルザム教官は初めて見る聖槍に一瞬怯んだ様子だったが、その動揺は長くは続かなかった。
「ふん、出来損ないの紛い物め。あの槍は確かに強力だ。
振る者にあらゆる力と効能を与え勝利に導く魔道具、それは事実なのだろう」
今まではそういう特別な力を持つこの槍を再現することはできなかった。
修行の果てにようやく私たちは、大幅に出力を落とした状態でならば、それを再現できるまでに至ったのだ。
「しかしそれは、本来の持ち主であるホワイトハルトに反応し、真価を得る武器だ。
貴様が持ったところで、ただの棒にもなりはしない!」
「
でもきーさんが変身した武器ならば、選ぶパートナーはホワイトハルトではなく私です」
「っ────!」
ただし、再現できるのはこれだけ魔力があって、ようやく数秒。
闘いで少しでも体力を削られてしまえば、もう作るのは難しい大技。
しかもそれに作った後は魔力を使用しすぎた反動で、私自身が長い時間の活動に耐えられない。
戦闘にはデメリットだらけだから、正直この場でも使うことは想定していなかった。
ただ、相手の魔力吸収を凌駕して叩ける攻撃を、私は他に持ち合わせてはいない。
「貴様が【救済騎士】の真似事だと!? アデクのように伝説にでもなりてぇのか!?
“精霊天衣”と同じ、やはりどこまでも貴様は分不相応の力を持ちたがるらしい!」
不相応、そんなの私だって分かってる。
そんなのいまさら、最高司令官にさせられた時点でずっと味わってきたことだ。
私は槍を構え、バルザム教官を目線で捉える。
「なら、今から投げるこれ、避けたりなんかしませんよね」
「愚問だ。その価値も無いと、オレがこの身で証明してやる」
彼も両手に魔力を纏い、防御の姿勢に入った。
間違いない、この一撃で勝負が決まる。
「これで終わらせます!」
槍がエネルギー体となり、手の中で収束していく。
そして私は今持てる最強の光を、バルザム教官に放った。
「“
私が投げた槍は、まばゆい光と共にバルザム教官にぶつかる。
それを彼は魔力で覆った腕で受け止め、勢いは大きく削がれた。
服の力で、魔力も吸収されている。
「ぐっ、があぁぁっ!」
しかしそれを上回り焼き尽くすほど、聖槍は強大だった。
バルザム教官は耐えられなくなり、その均衡が少しずつ崩れ始める。
「ふざけるなぁっ! 貴様が今さら、オレの前に立つなどっ!」
今はまだこれが正しいかなんて、ちゃんと答えは出せない。
だけど仲間に、師匠に、友達に、私には失いたくない人がたくさんいるから。
遠い未来の誰かのためじゃない、今を生きるみんなのために、私は貴方の覚悟を打ち砕く。
明日を指し示せ、全身全霊のその先に────!
「いっけえええええぇぇっ!」
そして最後、包み込むような
まるで初めて、目の前の存在を認識したかのように。
確かに彼は、私の眼を見たのだった。
「エリアル・テイラアアあああぁぁぁ!!!」
伝説の槍から放たれた轟音と共に、バルザム教官の叫びが、アリーナに響き渡る。