「フフフ、腕がなりマース!」
「お、おおぉ、お手柔らかに……」
ピリピリと体を打つ気迫は、多分眼の前にいる相手が軍の中でもトップクラスの実力者、リーエル・ソルビーさんだから、だと思う。
ただし、眼の前にいるのはいつものリーエルさんじゃなくて、術師用のローブと杖に身を包んだ、写真の中のリーエルさんだった。
まぁ、服装だけ同じで、見た目は180度違うんだけど────
「まぁ、昔取った杵柄、かな。
最強の魔道師を目指してた頃の、幼い私だよ」
「え?? リーエルさん今なんて??」
「なんでもないデース! サァ、始めまショウ!!」
※ ※ ※ ※ ※
結局なんでこんなことになったかと言うと、偉大な軍の幹部2人が路地裏で正座をさせられた日、【アニスシード】の「侵食」がどう言うものか、聞かされたのが問題だった。
「えっ、これがリーエルさん?? でも、えっ??」
「セルマ、これが『侵食』だよ」
リアレさんは、今までで一番深刻そうな声を出した。
「強力すぎる力は、近くにいるだけで何か影響を受けるものだって言ったろ。
この数年であり得ないほどリーエル先輩の見た目が変わったのは、その『浸食』のせいらしいんだ」
なんでも、長い間左眼に【アニスシード】の力を宿していたリーエルさんは、段々と自信の「性質」そのものが、別のものに置き換わっていくと言う現象に襲われたと言う。
「最初は『あれ、少し背が伸びたのかな?』くらいの感覚でしタ。
デモ、次に体格が変わリ、言葉遣いが変わリ、性格が変わリ、魔力の性質が変わっていったんデース
幸いにモ、記憶や人格が乗っ取られル、何て物騒なことにはならなかったのデスが」
「あぁ、この街に帰ってきて会ったときには驚いたな。
見た目性格喋り口調、すべて別人の上に、戦闘スタイルまでクマ並みになってた。悪夢だよ」
殴られて壁に打ち付けられるアデク隊長。
そりゃあ、自分だって写真見ただけでこの驚きようだ。
知り合いだったアデク隊長はその比じゃないだろう。
「マァ、ワターシたちが戦うよりずっと前、ホワイトハルトに封印される以前は案外、【アニスシード】は今のこの姿に近い存在だったのカモ、知れないデース。
なんにせヨ、おかげで魔術を使うときに手元狂うかラ、実践ではあまり使えなくなりましたネ!」
「おかげで腕力がゴリラになったしな」
殴られて道に転がるアデク隊長。
ニコニコ笑いながらいうリーエルさんだけど、もし自分自身が魔術が使えなくなったら────
自分は戦いでは、魔術も、罠も、回復も、基本的に魔力を使っている。
鎖にしたってバリアを使って操っているんだから、もしそれが使えなかったら、それは軍人としては生きていけないと思う。
それでも、リーエルさんはそれを乗り越えて、幹部にまでなったんだ────
「え、でもその『侵食』が自分にも有効だとしたら────」
「いつかセルマもこうなるかもしれない……」
「えぇ……」
リーエルさんは自分のなかで尊敬できる大人でとってもいい人だとは思うけれど、お店のツケが溜まりまくったり、部下からの信頼が薄かったりするって聞いたことがある。
それに、もし自分の姿が大きく変わったとして、リアレさんはどう思うだろう。
それでもリアレさんは、そばにいてくれるかもしれないけれど──それは、自分が嫌だ。
このまま強くなって、このままリアレさんの気持ちに答えられる女にならないと、きっと約束の意味がない気がする。
「どうにか、できない、の?」
すがるように大人3人に聞くと、リアレさんとアデク隊長の視線はリーエルさんに向いた。
「ヘ? ありマースよ」
「ホントですか!?」
「エェ、極簡単な方法ガ」
そう言うと、リーエルさんはかつて緑色に染まっていた自身の左眼を指差す。
「『侵食』を止める方法、今度ちょっとだけ教えまショウ────」
※ ※ ※ ※ ※
そして現在、リアレさんが任務へ戻るためエクレアを離れる日。
アデク隊長、リアレさんに見守られながら、リーエルさんの修行が始まった。
ちなみに場所は、忘れ広野の一角、街から程よく離れたここなら、誰にも迷惑をかけずに
「り、リーエルさん、お手柔らかにお願いするわ……」
「それはこっちの台詞デース」
リーエルさんは年期の入った珍しい形の杖をクルクルと回す。
さっきからよくやっている、癖のようなものらしい。
「まだ説明してませんでしたネ。【アニスシード】の『侵食』を止める方法、それは発散するこト、デス」
「発散? 溜まった力を排出させる感じですか?」
「エェ、御名トー。タダ、普通に魔力を発散させるだけではそれは叶わなイ。
ワターシはそのコツを、アナータに今から伝授しまース」
なるほど、力を体から発散できればその効果を長い間受けなくなるってことか。
良くないものをデトックスする人間の体みたいなものなんだと思う。
「タダ、それでも『侵食』を完全に止めるのハ、難しいでショウ。
ワターシのような見た目になるという強力な力の代償ガ、ホンの少し伸びるだけと考えてくだサーイ」
「分かりました」
いつかは、自分もあの姿に至る。
その時、リアレさんは自分を受け入れてくれるか──それは今は分からない。
でも、今だけは、できることを全力でやろう。
「じゃ、リーエル。うちの部下、後は任せたぞ」
「お願いしますよ、先輩」
遠巻きに様子を見ていた2人が、こっちに来て声をかける。
どうやら、リアレさんとのお別れの時間も近いみたい────
「エェ、面倒くさいデスが、仕事の合間に少しみてあげるくらいハ、できるでショウ」
「リーエル先輩? セルマを頼みましたよ真面目にやってくださいねなんかあったら承知しませんから」
「ゼンリョクゼンリョク!! フフフのフ!!」
リーエルさん、冷や汗をかいているのは多分運動したからじゃないんだろうな。
「じゃあ、セルマ。僕は行くよ。またしばらく会えないけど元気で」
「リアレさん……」
また、いつ会えるか分からない思い人。
そんなことはないと信じているけれど、もしかしたら生きて会うこともないかもしれない。
毎回会うとき感じる、心が引き裂かれそうな感覚を押し殺して、そっとリアレさんに腕を回した。
もう、こないだまでの自分とは違うんだ────
「そういえばリーエル、その服小さくねぇか?」
「マァ、体格結構変わりましたしネ~」
「先輩たち、空気読むって知ってます?」
そういいつつ、リアレさんがそっと自分の頭の上に手を置くのを感じた。
周りなんて関係ない、大切なのはこの一瞬なんだから。
「っと────そろそろ行かなくちゃな」
「ありがとうリアレさん……」
彼は自分から離れて馬を少し撫でると、出立の準備に入る。
「先輩、今回は取り乱してすみませんでした」
「や、オレも引き続き、何とかする方法は調べてみるよ」
「引き続きって、もしかしてアデク隊長、自分のために対処法を?」
今まで左眼の事は放っておかれていると思っただけに意外だった。
アデク隊長そんなこまめな人だったなんて──とは本人には言えないけど。
「いや、まぁそれもあるが、どっちかっつーと──いや、なんでもねぇよ」
「ンン? 違うデスか?」
「そうだよ、そうそう。間違いねーよ」
言葉尻を濁すと、アデク隊長はリーエルさんからそっぽを向いてしまった。
「はぁ……ホントに不器用ですね先輩は」
軽くため息をつくと、リアレさんはこちらに手を振って微笑んだあと、忘れ広野を北に向けて走っていってしまった。
遥か遠くにはライズン山脈。いつか自分も、そこへの任務に行くんだろうか。
※ ※ ※ ※ ※
「サァて、邪魔者はいなくなりましたネ」
「邪魔者!?」
「マァ、リアレの前で流石にこの授業ハ、ネ?」
リアレさんとアデク隊長がいなくなってからリーエルさんの一言が衝撃だった。
今からそんなに過酷なことが始まるの!?
「それよリ、よかったデスか? アナータの希望デ、今回は術師に徹しますガ。
正直そちらハ、今は不安定デスし、教えはしませんヨ?」
「いいの、リーエルさんお願いします」
正直、リーエルさんの術師としての能力は、衰えても有り余るほど凄まじいものだ──って、この間リアレさんから聞かされた。
前に一緒に戦ったリタさんも全く知らない術を使っていたし、何かひとつでも盗めるものがあれば、今後のためにも盗んでおきたい。
期間限定とは言え、国一番の術師を目指していた人に教えてもらえるなんて機会、中々ないんだから。
「そうデスか。じゃア、始めまショウ」
「お願いします!」
リーエルさんが古びた杖を固く握る。
こんな緊張感、訓練じゃ滅多に味会うことなんてないな────
「フフ、眼も当てられないくらいグチャグチャになりなサーイ!」
「え!? ちょっと待って!!」