“ねばねば”のその姿はむにゅむにゅと、まるで“キメラ・キャット”の変身時のようにその全体像を変貌させて行く。
そしてたどり着いたその形は、私をこの間襲ったシカの精霊そのものだった。
〈ど、どういう事だよ……なんでそこにあのシカがいるの……〉
「────今“ねばねば”が変身しました、まさか……」
まさか、あの不気味な“ねばねば”は、取り込んだ精霊や魔物に、変身することが出きるのか。
ビックリな生体だけれど、変身する力なら、私の手の中にいる相棒もそれに近い能力を持っている。
まぁ、この子は生き物や精霊に変身できないのだけれど。
“ノガス!!”
「っとあぶなっ……」
冷静に分析しようとしていると、それを許さない早さでシカが角で突いてきた。
もしかしたら戦わずにすむのでは、と思ったが甘えもいいところだ。
「ぅわっ……」
背後を振り返ると、真後ろの大木がなぎ倒されて土煙をあげるところだった。
強力な突進だ。うーん、デジャヴ。
〈大丈夫?〉
「無理かもです……」
シカの猛攻は攻撃を受け流せばいい“ねばねば”とは、比べ物にならないほど激しく、そして面倒くさかった。
素早い機動力に岩をも砕く威力、以前戦った“ウルフェス”を彷彿とさせるような防戦一方の戦いになってしまっている。
「危なっ──」
〈エリー後ろ!〉
きーさんが伝えてきた思考で振り向くと、すでにシカに回り込まれていた。
大盾に変身したきーさんに守ってもらったが、相手の力に私はよたよたと下がった。
危ない、角の届かないところまで下がって様子を見る。
“エモノ、サンセイ、キサマラ……”
「えっ、うっそ……」
ジリジリと近寄る元“ねばねば”のシカ精霊。
その口から、先程のただの文字の羅列とは打って変わって、確かな単語がいくつか漏れた。
「あの“ねばねば”、精霊を吸収して、それに変身して、知能まで得てる?」
“それって、あまりよろしくないよね……
はっ、もし天才の僕まで吸収されたらアイツ止められなくなっちゃうじゃないか!!”
「て、天才て……」
まぁきーさんの自画自賛はともかく、その指摘はもっともだった。
あの“ねばねば”が、どれだけ精霊や魔物を吸収できるのか、知能をどれだけ蓄えられるのか、何種類くらい変身できるのか────
知らないことばかり、分からないことばかり、未知ばかり。
昨日、きーさんに変身してもらった図鑑で“ねばねば”に突いて調べてみたが、魔物の項にも精霊の項にも、それらしきものは見当たらなかった。
つまり、あのバケモノの生体については、あらゆる可能性が考えられる。
最悪の可能性のひとつとしては────
「たくさんの精霊を吸収しまくって、あの“ねばねば”が誰にも止められなくなるんじゃ……」
脳裏によぎったのは、人里離れたところで力を蓄え、やがて村や街を襲う不気味な黒い何か。
軍が対処する頃には、もう手の付けようもなくなっている化物────
“そうなったら最悪だね”
「えぇ……」
ここで見逃したら、絶対にいけない気がする。
襲われているのは別として、何としてでもあの“ねばねば”を倒さなければ。
“エリー、なら僕を使えよ”
「使えってどういう……」
シカから距離をとると、きーさんの思考が流れ込んできた。
やっぱり、こういう時には
「えぇ、それ危なすぎやしませんか。それに────」
“しょーがないだろ。怒ったりしないから、さっさとぶちかませ“
確かに、私があんなのを倒せるとしたら、その方法しかないだろう。
なるべくやりたくはないけれど、仕方ないのか。
「じゃあ、お願いしますよっ」
“まかせな”
私は辺りを見回すと、手頃な岩を背にしてシカに向き直った。
私が動くのを止めたのを見ると、シカは大きく口を空け、細い疑似餌の付いた舌を伸ばしてきた。
シカの口角が割れ、開き、中から無数の触手とギョロギョロとした目、細かく不揃いな何百もの牙に、イヤに甘ったるい匂い────
やっぱりだ、儀式と言うが、このシカはそうして獲物を食すことが、習性となっているんだろう。
そして、その舌の奥には、ぽっかりと開いた口。
見えた────
「頼みましたよ、“ティール・ショット”っ」
氷の弾丸を、私はシカの狭い口の中に打ちこんだ。
もちろんこんな攻撃は、本来なら効かないだろう。
“ワレギシキ、ウマイモノ……ナンネンブリ……”
相変わらず訳の分からない言葉の羅列は、止まらない。
魔力として吸収できない私は、このまま食べられたらただ、栄養になるのみ。
いや、そもそも消化もされないかもしれない。
でも、絶対に私は食べられない。
“タヤ──スク……?”
私に食いつこうとしていたシカの動きが止まった。
先ほどの勢いは削がれ、ゆっくり、ゆっくり────
そして、シカの身体が腹から不自然に膨らみ、口内の血走った目がすべて白目を向いていった。
「今のうちに……」
袖を通り抜けて、シカの口もとから脱出する。
その間にも、膨らんだ腹はさらに膨張を続け、地面をビタビタとシカがのたうち回る。
“シミケラノタミネブンヴァーーっ!!”
そして、押さえられない膨張はシカの腹の容量を超えて、ついに耐えられなくなり、体内から弾けぶ。
そして周りに肉片が飛び散り、そのままシカの巨体が地面に突っ伏した。
「おっと……」
“ヴビャル……”
か細い断末魔、そして代わりに腹から出てきたのは、巨大な岩。
どんどん膨らみ、シカが動かなくなったのを確認するとそれも姿を変えた。
“いっちょあがり”
岩に変身した、きーさんだ。
シカが動かないのを確認すると、少し疲れたように私の肩に止まりあくびした。
どうやら、勝った──ようだ。
「あ、ありがとうございました……」
“まぁ、易いもんだよ”
氷の弾丸、私が口へ放った一撃には、きーさんを指輪化させた
それが腹の奥まで到達すれば、あとはきーさんが岩なりなんなりに変身して突き破るだけ。
しかしそれにしても、正直こんなに肝の冷える作戦もない。
とりあえず安心した私は、その場で崩れ落ちるようにへたりこむ。
「よ、よかったぁ────」
“え、なんでなんで??”
「お腹の中から突き破るなんて、我ながら無茶しすぎですよ……ごめんなさい、こんな方法しかなくて」
“何を今さら。まぁ、僕の気持ちも少しは分かったかね”
「はい……」
自分でもきーさんの心配を肌で感じて、改めて危険に飛び込む私の危うさが分かった。
それにただでさえ頼りない私だ、きーさんには色々迷惑をかけたと思う。
今回のこの作戦だって、元はと言えば“ウルフェス”を口元から刺し殺したあの時と、さして変わらない。
あの頃から成長していない私は、しかし今度も相棒のおかげで九死に一生を得たようだ。
運がいいのか悪いのか────
“ま、僕たちは心が繋がってるんだ、何かあったらお互い頼ることも相談することもできるし。
投げる時や離れるときは言ってくれるんだろ?”
「はい、そうです」
“うん、じゃこれからも2人でがんばろうか──この調子で”
この調子、か。それはまた、随分いやなこの調子だ。
きーさんと繋がることではなく、危険にまた晒されるのがいやだ。
でもまぁ、仕方ないか。
「きーさんと、ずっと一緒ですもんね、はぁ……」
“君とは、ずっと一緒だもんな、はぁ……”
まぁ危険は去ったようだし、このまま道へ戻って儀式を終えよう。
どこかで暖かいご飯をいただきたい、ちょうど言い場所があればいいんだけれど────
“あ、エリーあれ……”
「っ……!?」
きーさんが、“魔力共有”で感情を繋げてきた。
慌てて指差す方向を見ると、シカの死体が消えている。
そして向こうの草むらへ消える、小さな黒い水溜まり────
“うわ、生きてたのかよ。ちょっとショック……”
「逃がしちゃダメですよっ」
私はきーさんを抱えて、もとに戻った“ねばねば”を追いかけた。