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帰りたい(191回目)  あるべき日常


 久しぶりに、懐かしい夢を見た。

 家族で食卓を囲んで、朝御飯を食べている夢だ。


 父、母、兄、そして双子の姉。

 みんな一様に笑っているわけでもなく、怒っているわけでもなく、ただその瞬間をあるべき日常として捉えていた。


『じゃ、行ってくる』

『パパ気を付けてねー』


 姉が声をかけると、父は軽く手を挙げて居間から出ていった。

 それに続いて、兄も立ち上がる。


『ご馳走さま、行ってくる』

『早くない?』

『朝練だって、大会近いから帰りも遅くなる』

『そう』


 思春期特有のぶっきらぼうだったが、特に母は気にすることなく、兄を見送った。

 それが、私たちにとっての日常だから。


『ほら、あんたたちも早く食べちゃいなさい。小学校遅れるでしょ』

『はーい』


 姉が適当に返事をしたせいで、食事に集中できてないと判断した母がテレビの電源を切った。

 朝の番組を見ていた姉は、少し不貞腐れる。


『なんで消しちゃうの!』

『学校に遅れるからでしょ、文句いってないで手を動かしなさい』


 しぶしぶ、姉は食事の続きを始めた。

 それを見て、母はやれやれと軽くため息をつく。


 そして、こちらを見て双子の母としての務めを果たした。


『はぁ……ほら、ボーッとしてないで早く食べなさい』


 そして母は、私の本当の・・・名前を読んだ。



   ※   ※   ※   ※   ※



「────────あっ……」


 弾かれたように目を覚ました私は、そこがまだ昨日の鳥の巣の中であることを認識する。

 どうやら母は、最後に少しだけ自分の名前を呟いていたようだった。

 もう使わなくなって何年も経つ、本当の私の名前を。


 私は片手を軽く片眼に当てて、体を起こして軽くため息をつく。

 あんなにはっきり見るのは、かなり久しぶりの夢だった。


 夢というか、思いでというか、私にあるべき日常というか。

 全くいやになる、帰りたい────


「────はぁ……」


 とりあえず、気持ちを切り替えるためにも、体を動かさないと。

 周りを見ると、すでに明るいので、朝が来て時間が過ぎているようだ。

 もう少しのんびりしていたいが、日の出ているうちに進まなければ、いつまで経ってもゴールにたどり着かない。


 明日も明後日も野宿は絶対にいやだ。


「きーさん、もう日が登ってます。起きて────」



 そして、そこでようやく、傍らで眠っていた相棒の横から、声がするのに気づく。

 あの不気味な、底の知れない、脈絡のない────


“トナーパンサナヨタクナラーゼマカチリャー”

「っ────?」


 きーさんのすぐ隣で黒い身体に、人の形に、不気味に笑う空洞の目。

 一昨日見た“ねばねば”が、手を広げて近づいていた。


「きーさん起きてっ」

“ぬぎゃっ!?”


 慌てて羽をひっ掴み、“ねばねば”から相棒を引き離す。

 間一髪、“ねばねば”のハグはきーさんを捉えることなく空を切った。


“なにするのさ!”

「あれを」

“あれ? う、うげぇ”


 同じように“ねばねば”を捉えたきーさんも、汚物を見るようないやな顔をする。

 一方、獲物を捉え損なった“ねばねば”は、顔と目を下に歪ませた。


“イヌムニスグレバドライセナンジャバラセレーナス────”

「なに言ってんのか、全く分かんないです……」


 相変わらず、理解できない言葉の組み合わせをただただ列挙している。

 【コネクト・ハート】で声を聞き取れるのだからとりあえず存在としては生物なのだろうけれど、その言葉には全く「意思」が見えない。

 でももしかして、この表情は残念がっている──のか?


「とりあえず逃げましょう」

“さ、賛成……あ、羽は離してね”


 きーさんを抱えて、荷物も持たずそのまま巣を飛び出す。

 色々と入っていて置いて行くのは惜しいが、今はそれより命が惜しい。

 なんなら戻って後から取りに来ればいいのだ、今はあの不気味な何かから一刻も早く離れたかった。


「このまま向こうの山へ行きましょう、そのまま山を降りて川の近くまで戻って下流へ下るんです」

“オーケー”


 昨日目指した山を、再び目標に捉える。

 前回と同じように逃げながらになってしまうけれど、それも致し方ないだろう。


 今はあの気持ち悪い“ねばねば”から、逃げなければ────


“エリー、あれ!”

「っ────?」


 後ろ向きに抱えられたきーさんが、視界の景色を私に飛ばしてきた。

 その目に写るのは、後ろから迫る黒い何か────


「た、タイヤ……?」


 いや、“魔力共有”越しの視界だから捉えづらかったけれど、そのタイヤは、表面に溝もなく何かの機械に動かされているわけでもなかった。

 ただ、タイヤのような何か・・・・・・がものすごい早さで、私たちに追い付かんとしていた。


“ちがう、あれはアイツだよ!!”

「“ねばねば”ですかっ?」


 さらにスピードをあげた“ねばねば”タイヤが、私たちに迫る。

 そして、すぐ背後でそのタイヤが飛躍したかとおもうと、黒い人の姿に戻って飛び付いてきた。


『あぶなっ』

“シメルスシタカマヤハラセノンテーノ────”


 寸でのところで避けると、“ねばねば”は地面に衝突し、そのままべちゃっと飛び散った。

 そしてまたムズムズと動き出し、黒い人の姿でヒタヒタと迫ってくる。


「しつこいですね、“碧鹿エメラルドハインド”!」


 放った放水砲に、“ねばねば”はなす術もなく吹っ飛んでいく。

 そして向こうに木に当たって、また飛び散る。


「早く、また追いかけてくる前に逃げますよ」

“どうするのさ、あんなのと一緒になるのはごめんだよ!”

「うーん……」


 正直逃げるのも限界がある、向こうの実態が分からない分体力勝負に持ち込むのはあまり得策じゃないだろう。

 なら、対処の方法は限られてくる。


「そもそも、あれって何なんですかね」

“え、今考える?”

「はい、例えば普通に生物なら少なくとも精霊の魔力を吸収するなんて、できないと思うんです」

“そりゃそうだ”


 世の中そんな動物ばかりならとっくに精霊なんていなくなっている。

 だから多分あの“ねばねば”は、多分私の知らない動物とかじゃなく、単純に「精霊」か「魔物」か「固有能力」だ。


“固有能力?”

「特別な意思を持った生物を操る能力、そういうのがあると聞いたことがあります」

“なるほど、そういうことなら色々試すしかないね。どちらにしろ────”


 瞬間、いつの間にか復活し、後ろから“ねばねば”が飛びかかってきた。

 しかし、最初から分かっていたその攻撃に私は遅れをとらない。


“ヒニリシャナンタモハサマンホメソムセリネテ────”

「どちらしろこれが効くかも──ですっ。“灰氷菓フロスティグレイ”っ」


 私の周りから発射した氷のつぶては、いくつかが“ねばねば”に穴を空ける。

 ゼリーにボールを打ち込んだようにその形が崩れ、“ねばねば”は再び人の形を失った。


「よしっ────」

“あっ、油断するなよ!”


 しかし私の氷が、それほど致命打にならなかったのか、“ねばねば”は形を失ったまま、大きく飛躍してこちらへ──いや、きーさんの方へ迫ってきた。やっば。


“くっそこんなことで死んだら恨むからねっ!?”

「“ショット・エクルベージュ”っ」


 槍に変身したきーさんを“魔力纏”で強化して、そのまま切りつける。

 そのまま宙を舞った“ねばねば”はまたすぐに復活しようとしたが、今度はプルプルと震えてその原型を保てなくなっていた。


“バ……バス、バストラカカ、ヨクルマァ……ホンジナ、リリリ……”

「よ、予想だにしない効き具合……」


 正直、精霊を魔力ごとを吸収する“ねばねば”の特性を見て、きーさんをあまり触れさせたくはなかった。

 下手したら一瞬で私の相棒が黒いドロドロになりかねない。

 しかしどうやら、手元のきーさんにさしたる変化はないようだ。


「大丈夫ですか?」

〈うん、少し触れたけど何ともない〉


 どうやら、変身したきーさんの魔力を吸収することはできないらしい。

 それとも単に一瞬だったからか、どちらにしろこれなら活路が見えたかもしれない。


「今のうちに叩きますよ──っとと?」


 一歩前に出て、三歩急いで下がる。

 急に“ねばねば”が膨張し始めていたのだ。


 そして、その姿はむにゅむにゅと、まるで“キメラ・キャット”の変身時のようにその全体像を変貌させて行く。


〈僕が、どうしたって?〉

「あのーきーさん、相棒としてすごく聞きにくいんですけど、正直に答えてください」

〈なにさ、僕らの間に隠し事なんてなしにしようぜ〉


 そして変貌した“ねばねば”がたどり着いた形は────


「よく精霊や魔物に襲われるんですけど、私ってもしかして美味しいんですかね?」

〈うーん、きっとそこそこ美味だよ〉

「ですよねぇ……」


 変貌したその形は、私をこの間襲ったシカの精霊そのものだった。

 胴の部分まで裂けた口と、歯の間から見える無数の目玉は、いつ見ても気持ち悪い。

 そして緊張感のない私と、憶測で相棒の味を想像する猫のもとに、不気味な驚異が迫る。

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