自然の驚異は防ぎようのないものだ。
例えばそう、山を吹き飛ばせるほどの力を待つ聖槍“レガシー”のような莫大な力が使えれば、こういう危機も乗り越えられるかもしれない。
巨大な迫り来るエネルギーを防ぐには、それを凌駕するほどのエネルギーを。
でも、それを可能とするのはほんの一握りの選ばれた人間だけだろう。
この国でも、何人が出来るかという力任せのプレイ。
少なくとも私のような、なにも出来ない一般市民は────
〈エリー、走って!!〉
「っ────」
逃げるのみだ。
崩れる山を目前に、私はそれでもなお逃れようと走っていた。
方向は地上と水平に、少なくとも山を登っても降りても行きつくのは「死」の一文字。
そんな絶体絶命でも、わずかな希望にかけて、走って、走って、走って────
しかし、スローに見える一瞬一瞬でも、それはほんの数秒あるかないかの出来事。
ついに迫り来る土砂は、目の前まで迫っている。
「っ────!」
つい少し前の私なら、ここで諦めていただろう。
諦められなくても、死にたくないと心で叫ぶばかりで、身体の方は恐怖で固まっていたかもしれない。
でも今の私はまだ醜くも、頭の中でもがいていた。
何か手はあるんじゃないか、何か方法はあるんじゃないか、何かまだ
「──っ? きーさん……?」
生き残る模索の中で、混じって流れてきたのは、きーさんの感情だった。
極限状態で“魔力共有”がさらに高まり、きーさんの思考や五感が、私に流れ込んできているんだ。
走りながら、方法を考えながら、それでもその瞬間異常に冷静なほど、空から私を助けようと迫る相棒の姿を捉えていた。
ダメだダメだダメだダメだ、空から見張りを頼まれたなら、僕が何とかしないと────
ここまで一緒に来たのに、こんなところで終わるなんて。
轟々と響く激しい音、身体に打ち付ける凍えるような風、水を含んだ土の嫌なにおい、口の奥の苦い感覚に────こちらを伺い必死に走る
それに気づいて、危険だと、来ちゃダメだと、私は叫んだけれど、僕は止まらなかった。
何か手はあるんじゃないか、何か方法はあるんじゃないか、何かまだ方法はあるんじゃないか。
それでも無慈悲に迫る土砂が私を飲み込もうとしたその瞬間────
『“あっ”』
僕も私も、間違いなく同じ感覚を、はっきりと共有した。
気づくとお互いの身体は淡い光に包まれ、形を失い、強く引き寄せられ、混じり合う。
色も捉えられないような淡い2つの光が、空で確かに、青と水色と白の混ざった、青空の色で曇天の森をまばゆく照らした。
手の届かないような距離にいたはずなのに、気づいたときにはそうなっていた。
まるで手を繋いでいるような、抱き合っているような、同じ身体を手にいれたような────
そして
※ ※ ※ ※ ※
「ん────?」
気がつくと、私は空中に放り出されていた。
先ほどの感覚はすべて夢のように消え、残ったのは全身を放り出された浮遊感。
“あぁエリー、今の何だったんだろうね”
「知りませんよ、それより────」
真下では土砂が谷へ激しく流れていた。
そして私はもちろん空など飛べず、ただ落ちるのみ。
「きーさんこれ、もしかして……」
“絶体絶命じゃん”
「────ぁぁ」
そんなときでも心は冷静で、私は特に焦りなど感じなかった。
まぁ、空中にいれば落ちるし、この高さなら普通は怪我するくらいだろうけれど、地面があれじゃ、確実に死ぬなぁ、と。
「────っていやぁぁぁぁっ!!! 死ぬ!! 死ぬっ!」
“だから言ったじゃん!!”
先ほど起きた不思議現象のおかげで、真っ先に土の下に埋まるのは免れたけれど、このまま落ちてはなにも変わらない。
私はパニックになりながらも、地面に手をかざした。
「“
両腕から大量の水を噴出し、その反動で身体が浮き上がる。
しかし本来の落下地点からずれたはいいものの、新しく決まったその地点もわずかに安全地点には届いていなかった。
“エリー、捕まって!”
背中に捕まっていたきーさんが、変身をする。
姿を変えたのは、スピカちゃんが空を飛ぶために持つプロペラだった。
本来は2つセットで飛ぶためのものだけれど、この際文句は言えない。
〈いいから早く回せよ!〉
「はいっ」
プロペラに魔力を込めると、わずかに身体が浮き上がる。
もちろんバランスはとれないけれど、無理矢理にでも身体の落下位置をずらす。
「うおおおぉっ────?? ぎゃはっ……」
そして落下して、地面を転がる。
何とか土砂崩れで崩壊する場所を避け、地面に戻ることが出来たようだ。
しかしものの数歩先はまだ危険地帯、私は急いでそこから離れた。
“あ、危なかったね……”
「えぇ」
とは言っても、まだ危険が去ったわけではない。
またここもいつ崩れるか分からない、まだ予断を許さない状況だ。
“早く逃げよう、ごめん僕もうあまり飛べる力が残ってないけど……”
「わ、私もです。なんかフラフラして……」
温泉で休んでから、ずっと緊張しっぱなし、慣れない山道に豪雨の被災。
ここ数時間で命の危険はたくさんあったけれど、今私たちが感じている疲労は、どうやらそれだけではないようだった。
先ほどきーさんと一体になるような現象に合ってから、からだが鉛のように重くダルかった。
それはきーさんも同じことで、移動は私が腕に抱えていた。
どうやら、身体が謎の光になると、相当疲れるらしい。
それでもなんとか最初は動けたけれど、空中で魔力を使うことでついにその体力も底をつきようとしていた。
“初めて聞いたよ、そんなこと……”
「もうダメです、限界が近い気が──あっ」
足を滑らせて、軽く斜面を転げ落ちる。
幸いにも木にぶつかってその勢いは止まったが、今の状態でこれは相当痛かった。
「ご、ごめんなさい……」
“僕は無事だから”
「うぅ……」
痛む身体を何とか起き上がらせ、きーさんを抱えてまた進む。
多分、今また土砂崩れに巻き込まれたら今度こそ命がないだろう。
だからそうならないことを祈って、一歩、また一歩────────
〈エリー……起きてエリー……〉
きーさんが心に小さく呼び掛けてきた。
言葉で言えばいいじゃないか、と思ってから、ようやく気がつく。
私はもう動いていなかった。気付くと限界が来ていて、地面にうつ伏せで倒れていた。
力を振り絞り目を開けると、きーさんも同じようにぐったりと動かない。
「きー、さん……」
そう口に出し、手を動かして相棒を軽く撫でる。
いつもは柔らかな毛並みも、今は雨や泥に汚れてじっとりとしていた。
ダメだ、このまま体温を奪われ続ければ、2人してあの世行きになるだろう。
心中は勘弁──きーさんのその言葉は、私も同感だ。
そのために彼は先ほど私を守ろうとしてくれたし、空から案内をしてくれたことでここまで進めたのだ。
そして今度は私の番──這ってでも、腕がちぎれても、前に進んでやる。
以前“ウルフェス”の群れに襲われたときは、ただ心の中で「死にたくない」と唱え、「誰か助けて」と叫ぶしか出来なかったのだったか。
でも私は自分を、そしてあのとき私を助けてくれた小さな猫を守るために、今度は確かに違う言葉を唱え、強く噛み締め叫んだ。
「死んで、たまるか────く、そぉっ……」