ぷりんあらもーどさんが到着したのは、次の日の明け方だった。
小屋にあったご飯でお腹いっぱい、ベッドでぐっすりの私と比べて、久しぶりの彼の姿は中々に酷いものだった。
「はぁ、はぁ……ひ、久しぶりだね、元気だったかい……?」
「えぇ、わりと。街の人よりは──あと管理人さんよりは……」
ぷりんあらもーどさん、通称半裸さん──もとい管理人さん。
この精霊保護区を管理する半人半馬のいわゆるケンタウルスであり、人間の言葉を話せるイレギュラーだ。
「えっと、お茶淹れますか?」
「た、頼む……休ませてくれ────」
ここまで寝ずに走ってきてくれたのだろうか、管理人さんは相当疲れきった様子でヒィヒィ呼吸をしている。
人間は動物の中でも、長い距離を走り続けることが出来る数少ない動物だ──と聞いたことがあるけれど、馬はスピードは速くても人間ほど長い距離は走れない。
半人半馬の管理人さんだから、下半身の馬としての正しい制御ができないせいだろうか。
見た目明らかに限界を越えていたし、ずいぶんいい大人なのに下半身が生まれたての子馬のように震えていた。
「あ、ありがとう……すまないね時間をいただいてしまって……」
「私のせいなんですから、むしろ感謝しています。
ここまでわざわざ、ありがとうございます」
アデク隊長と店長の不仲で一番被害を受けてる人かもしれない。かわいそうに。
しかし、それでもさすが管理人さんというべきか、少ししたらすぐに呼吸を整え、調子を戻してきた。
「いや、すまなかった。改めてなんだけど、久しぶりだね、エリアルさん」
「お久しぶりです」
気を取り直して挨拶をする。彼と会うのは前回ここに来た時以来。
半年ちょっとしか経ってはいないけれど、ずいぶん長いこと会っていないような気がする。
「じゃあ本題に入ろうか。えっと、まず、先に聞いておきたいこととかある?」
「あの、関係ないことかもなんですけど。
やっぱり管理人さんと店長──カレンさんは、契約してたんですか?」
「あぁ────」
その質問に、管理人さんは露骨に嫌そうな顔をする。
「あ、すみません。聞かなかったことに────」
「いやいいんだ、君からその質問が飛び出るのは至極当然、逆の立場でもそう聞きたくなるものなんだろうと思う、人間の好奇心てやつは。
そうさね、そうだよ──僕と彼女は契約関係だ」
隠すことなく、管理人さんはそう答えた。
どうやら誤魔化すことは念頭にはないらしい。
「前回君がここに来た時はカレンと君が知り合いだなんて思わなかったから、あの人から連絡が来た時には正直驚いたよ。
僕もあの人と関わるのは、軍を辞めた時以来だから、状況なんて全く知らないんだ」
「そうだったんですか────」
軍を辞めた時から、ということはつまり、管理人さんやちょこちっぷしぇいくさんがここで暮らすようになったきっかけは店長の引退が理由だろう。
戦うことが必要なくなった店長は、ここに2人を置いて、新たな人生を歩もうとした。
結果店長とアデク隊長の逃避行は失敗に終わったわけだけれど、そこから吐き出されたものは再び戻らず、今もそのなれの果てだけが精霊保護区というこの土地で生き続けている。
そしてその、全ての元凶はアデク隊長だ、彼の「一緒に暮らそう」という一言が、彼らをここに縛っている。
管理人さんは、アデク隊長を必要以上に邪険にしていたのは、そんな過去のしがらみがあったからなんだろう。
「君に話しても仕方の、ないことなんだよね」
「すみません、首を突っ込んで……」
「まぁ、安心してくれ。アデクはともかく、カレンのことは今でも許せないけれど──君の件はそれとは別だ。
ここの管理人として、君の友人として、仕事は全うさせてもらうよ」
「ありがとうございます」
カレンのことは許せない──アデク隊長ではなく、店長が、か。
管理人さんはそれ以上なにも言わない、言外に追求を拒んでいる。
だから私も、これ以上はなにも聞けなかった。
「それに君はまたいつか、来れたら来るっていう約束を守ってくれたわけだしね」
「あっ……あはは」
前回、管理人さんの「また来てよ」の言葉にそう答えたのだったか。
確かひどい目に合わされたので、またここに来るつもりはなかったから、適当にそう答えたのだけれど。
少しこのケンタウルスは、皮肉が好きなようだ。
※ ※ ※ ※ ※
外に出て、昨日空から見た「谷」を眺める。
といっても今は間に精霊保護区を囲う柵と門があるため、その左右の山が見えるだけだ。
「君が本気でその“キメラ・キャット”と契約関係を続けたいなら、この門を開いてあの『谷』を歩いてもらう」
「え、それだけでいいんですか?」
てっきり、ここから管理人さんや保護区の仲間たちと、見るも耐えない壮絶な修行が始まるのかと思っていた。
しかしよく考えてみたら、それならこんな最深部まで来る意味がないだろう。
「それだけ、と君は言ってくれるけれど、難易度はめちゃくちゃ高いんだぞ。
なにせ、あそこは国からも、普段は侵入を禁止されている危険地帯なんだ。
僕が許可を出すから、これからの旅が出来るんだぜ?」
「そうなんですか?」
確かにただの谷ではない──ということは明白だけれど、国から侵入を禁止されるなんて、どれだけ危険か想像もつかない。
例えば危険なワニや巨大シャケの精霊が住む、エクレアの北の大地「忘れ広野」や、人々が迷っては消えを繰り返し、ついには先日軍の隊ほぼ丸々ひとつを行方不明にしたあの「迷いの森」さえ、自己責任。
行くこと入ることについては禁止なんかされていなかったはずだ。
「何か、危険な理由があるんですよね、もちろん……」
「昔から、この土地は──精霊保護区のある土地は、精霊たちの集まりやすい、言わばパワースポットでね。
保護区の出来る、ずっとずっと前からたくさんの精霊が暮らしてたんだ」
そういって管理人さんは、地平線のそのさき、保護区の端から端を、指でなぞっていった。
彼が使えるのは、千里眼──それも人ではできない物を見通す力を持っている。
きっと、この広い広い保護区の全てが、彼には見えているんだろう。
「沢山の精霊が暮らしている──それすなわち、沢山の精霊の
その充満した力は、濃縮されて、ここから外へと漏れ出ている」
「言わば、あの『谷』はここに住む全ての精霊から絞り出された魔力で山々を押し上げてできた、神聖な場所なんだ」
「なるほど『聖域』って、そういうことですか」
精霊との契約は、人間とは違った独自の魔力を待っていると、本で読んだことがある。
色にすると白いやつ──私が前に魔道花火を触ったときに出た白い光の正体だ。
あの魔力を得る方法は、精霊と契約するか、精霊から絞り出すか────
しかし後者は精霊から無理やり絞り出すことは人道的に反する上に、一匹から取り出せる量はとても限られる。
だから、長い年月をかけ山を動かしてしまうほどの魔力が自然発生したこの場所は、ほかに例を見ない特殊な場所なのだ。
「あぁ、そしてあの『谷』には、そんな濃度の濃い魔力をその身で吸収するため、保護区の外にも関わらず、沢山の精霊や魔物が集まって、生態系を作り上げている。
それも高い魔力に当てられて、中にはとんでもなく狂暴なやつもいるから、つまり国は『危険地帯』にしているんだ。
『
「威霊の峡間径」、そして精霊保護区を管理する管理人さんが、今確かに狂暴、と断言した。
「で、でもまだ分からないんですけれど、ここを私が歩くとどうなるんですか?」
「ここを歩くと、満たされた魔力の濃度が高い分、“魔力共有”なんかも、普段より影響されてしまうんだ。
制御できないコンビなんかは、五感や人格が自分のものか精霊のものかも分からないほどになってしまう」
「ってことは────」
寒い場所で暮らして寒さに慣れるようなもの。つまり荒療治だ。