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帰りたい(174回目)  エクレアの商店街は今日も


 朝、窓を開けると一番に、誰かの悲しむような声が飛び込んできた。

 もしやと思って外に出てみると、やはりそうだ。


 その日、街はひとつの悲しい話題で持ちきりだった。


「ついに、ですか……」


 普段新聞は軍の訓練所やバイト先で読んでいるので、今私の手元にはないけれど、ニュースをみるだけならプロマがある。

 電源をつけて一番無難な軍放送にすると、やはり思った通りの内容を報道していた。


〈引き続いてお伝えしております、アンドル・ジョーンズ最高司令官が亡くなったと、先ほど情報がはいってまいりました。〉


 あー、やっぱりか。

 パンをスープに浸しながら適当な局を回してみたけれど、やはりどこも同じ内容をやっていた。

 先日の聖槍の一件から数週間、敵の魔の手から“レガシー”を護りきったという軍への称賛の後に訪れたのは、国の英雄を失ったという人々の悲しみだ。


 この件は軍の一部の人間や国王たち以外、この国の人々には伏せられていた事実。

 実は聖槍が見つかるよりも前に彼は亡くなっていたのだけれど、与えられる影響を考えて今まで秘匿だったのだ。


 そうか、私は自分の事で手一杯でこの件には関わらなかったけれど、発表は今日されたのか────

 とりあえずお茶をすすり、サラダの最後の一口を口にいれてから、ボーッと部屋の天井を眺める。


『これから忙しくなるなぁ』



 とりあえず今日も私はお休みではない。小隊での訓練があるので、訓練所に急がなければ。

 パンの最後の一口を食べきると、歯を磨いてパジャマから訓練用の軍服に着替える。

 軽く身なりを整えると、荷物を持って家の扉を開ける。


 朝の冷たく新鮮な空気が、私の顔を優しく撫でていく。んー、行きたくない。


「あ、忘れるとこだった」


 玄関先に置いていた指輪をつけて、私は家を出た。



   ※    ※    ※    ※    ※



 訓練場までの道を進むと、やはり街の人は最高司令官の死を悔やむ声が多かった。

 商店街を通ると、その中の一人である八百屋のおじさんに声をかけられる。


「なぁ、エリーちゃんおはよう! ちょうどいいところに!」

「おはようございます、何ですか」

「これやるから、少し話聞いてってくれねぇか」


 見ると、八百屋さんの手元には紙袋に入った大量の新鮮お野菜たちがひしめき合っていた。

 どの子たちも美味しそうだし、ただでもらえるなら損はないだろうけれど、生憎今私は出勤途中だ。


「今時間は?」

「まだ大丈夫なはずだぜ、訓練所いくんだろ? 話聞いてからでも遅刻にはならねぇよ」

「じゃあ、まぁ少しだけなら。お野菜は帰りにもらいます」


 私の出勤時間を近所の八百屋さんが知ってるのは不思議な話だけれど、この商店街の人たちは、なぜか私の出勤時間くらいならみんな知っている。

 別に言いふらしたりもしていないけれど、毎朝通るのでみんな覚えてしまったんだろうか。


「で、話とは?」

「大したことじゃねぇが、これよこれ」

「あー、大したことありますよ。心配ですよね」


 八百屋のおじさんが出してきたのは、今朝の新聞だった。

 一面にはデカデカと、アンドル最高司令官の訃報ふほうが掲載されていた。


 最近は聖槍の話題で持ちきりだったので、新聞の一面に暗いニュースが掲載されるのはかなり久しぶりだ。

 やはり、彼の死によってこの国にもたらされる影響は大きいのだろう。


「エリーちゃん、この話知ってたのか?」

「いいえ、私も朝プロマで知りました。私みたいな末端の人間は、こういう重要な話も知らされるのがかなり遅いんですよ」


 実は結構前から知っていたけれど、その件については秘匿なのだ。

 私は普通の軍人と同じように、今日知ったフリをしなければならない。


「そうかぁ、なら方針とかも、全然決まってねぇのか」

「はい、皆さんの安全を最優先に考えてはいますが、少しだけ待っていただくことになると思います。

 八百屋さんも、お子さんが生まれたばかりで不安ですよね」


 軍の最高司令官が亡くなった、ということは国を護る体勢が一瞬崩れる、ということに他ならない。


 八百屋さんには、ついこの間生まれた男の子がいる。

 隣の肉屋のおばちゃんは、最近娘さんが結婚をしてこの街を離れたといっていた。

 少し先の魚屋さんは、遠くに暮らす両親が気がかりだと漏らしていたのを覚えている。


 この商店街だけでも、多くの人の営みがあるのだ。


「いやぁ、まぁそれもあるが、正直それはなるようになれ、だ。

 死んだ最高司令官のジジイはクソヤロウだったが、今までオレたちの安全は保証されてた。

 これからも軍は安全を護ってくれるだけなら信用していい組織だと思ってるよ」

「はぁ、そりゃどうも」


 そこまで信用されてしまっては、当の私からしたら手放しに喜べないのだけれど、まぁ自分の仕事が認められているのは事実だし、そこは素直に受け取る。

 しかしそうなると、なぜ私が今呼び止められたのだろう。


「いやぁ、それがな。心配なのはエリーちゃん、あんただよ」

「私、ですか?」

「あぁ、もしかしたらこれから、あのジジイが死んだことでエリーちゃんが、危険な任務とかにでなきゃいけなくなることが増えるんじゃないかと思ってな?」

「まぁ、はい。可能性はありますが」


 あんまり考えたくはないけれど、体勢が揺れるということは、末端の私たちにも多くの仕事がまわってくる可能性があるということだ。

 八百屋さんのいう通り、私が危険な任務に出る回数も増えるかもしれない。


「だよなぁ、だからよぉエリーちゃん。ここで働かねぇか?」

「え? ここで私が、ですか??」

「あぁ、朝カミさんと話し合ったんだ。うちだっていい土地で商売が出来てて、カネに余裕がないわけじゃねぇ。

 その、なんだ──人を1人雇うくらいなら、出来なくもねぇかな、って……」

「それって……」


 つまり、私のヘッドハンティングである。

 これから厳しい戦いを強いられるかもしれない私に対して、八百屋さんは逃げ道を用意してくれたんだ。


「どうだ、な? あんまり払える金額は多くねぇけど少なくとも今よりは安全だし楽なはずだ」

「はぁ、まぁ……そうですけど……」


 八百屋さんの提案は、とても魅力的なものだった。今より安全で、楽な仕事────

 八百屋さんはお給料は多くはないと言うが、それは今だって同じだ。

 本来なら、これに食いつかない手はないだろう。


 でも、ここで簡単にその伸ばされた手を取ってはいけない気がする。私は小隊のリーダーだ。

 そしてまだ、軍でやるべきことがあるのだから。


「ごめんなさい、ご厚意はとても嬉しいですが、やはり私はまだ離れられません」

「そっか、そうだよなぁ。なんかそんな気はしてたよ」


 少し寂しそうに、八百屋さんは頭をボリボリと掻いた。

 きっと、私にこうやって声をかけるのだって相当考えてくれたのだろう。本当に、申し訳ない。


「ごめんなさい、八百屋さん……」

「なぁに、エリーちゃんが謝ることじゃねぇよ。

 だってよ! みんな!! もう出てきていいぜ!」

「え、みんな……?」


 見ると、八百屋さんのかけ声で、近くの店の店主たちが、一斉に通りに出てきた。

 肉屋さん、魚屋さん、本屋さん──利用したことのない材木屋さんまで。


「みんな、おんなじ考えだったから、うちが代表して声かけたんだ。

 エリーちゃんが来てくれたら嬉しいってのは、ここの連中ならみんな思ってたことなんだぜ?」


 八百屋さんがそう言うと、商店街の人たちは口々に残念そうな声をあげた。


「なんだぁ、その気がねぇのか。うちもほしかったんだけどなぁ、残念だ」

「おいエリーちゃん、ホントにいいのか?

 後でうちにこっそり言ってきてもいいんだぜ?」

「バカヤロウ抜け駆けすんなよ!!」


 その光景に、私は唖然とするしかなかった。


 いつもただこの商店街を利用していただけなのに、この人たちはただの客である私の身を案じて、安全な就職先まで提供してくれようとしていたんだ。

 この街の人は、こんなに優しかったのか────


「なにいってんだ、エリーちゃんじゃなきゃ雇わねぇっての」

「そうよ、うちの買い物するついでに子供と遊んでくれるじゃない。すごくすごく助かってるわ」

「こないだの鮭だって、うちに真っ先に持ってきてくれたじゃねぇか!」


 別に、私は好かれたくてやっていた訳じゃない。

 こうやってこの商店街の人たちが私を気にかけてくれているのも、きっとみんなが優しいからだろう。


 私は、この街に暮らしていて、本当によかったと思った。


「ありがとうございます、私こそ、いつも色々と。

 これからもよろしくお願いします」


 頼ってばかりになっては申し訳ない、私に出来ることは、何なのか、少し考えてみようと思った。



「ところでエリーちゃんよ……」

「なんですか?」

「時間、結構ヤバイかもしんねぇ……」


 私は脇目もふらず、その場から走り去った。



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