大体僕が入隊して、3ヶ月目。
ある日の深夜、突然僕の暮らすアパートメントの薄い扉を、叩く音がした。
誰だろう、こんな時間に────
たしか蒸し暑く、寝苦しい夜だったのを覚えている。
なかなかベッドにはいっても寝付けずに目をつぶったまま何時間か過ぎて、ようやく眠った頃にそのノックが響いたのだったか。
でも、その突然の誰かの来訪は、先程までようやくウトウとさせた僕の意識を、警戒心と恐怖心で一気に覚醒させるには十分だった。
このエクレアは治安の面では、お城や軍のお膝元というのもあって、当時も今も国では高水準だ。
街頭の少ない場所を選ばなければ、女性でも一人で歩いている人をたまに見かける。
しかし、物騒な事件も聞かないわけじゃない。
直接は話さないけれど、軍に所属している僕のおじさんが関わった事件も、普段生活している上では考えられないような残酷なものがあったりする。
なんだ、誰だ、どうしたんだ、何が目的だ────
そっと、扉に近づき意識を殺して覗き窓から外の様子を窺う。
「って、えぇ? リーエルさんじゃん……」
扉の前で難しい顔をしていたのは軍の幹部の一人、リーエル・ソルビーさんだった。
会話をしたこともないうえに隊も違う、なんでここにいるのか分からない────
そして他にも厳つい男性、それも軍人さんが後ろに2人、下手に出たら捕まりそうな勢いではあるけれど、相手は軍の権力者、出ないわけにはいかないだろう。
「はい、なんですか……?」
「イスカ・トアニさんで間違いない、デスね?」
「はい、そうですけど……」
こんな夜中に、軍の幹部がわざわざ僕のもとへ来たのだ、ただ事ではないはずだ。
それを肯定するように、難しそうな顔で言葉を選びながら、リーエルさんは僕に本題を告げた。
「貴女たちの隊長、ヴェルド・コゼットが先程遺体で発見されましタ。
最期に一緒にいたという貴女たちに話を聞きたいので、軍本部まで来てくださイ」
そこで、僕の寝ぼけ眼は完全に消え去った。
※ ※ ※ ※ ※
「僕が──僕たちが、疑われているってことですか……?」
「いや、勘違いしないでくれ。君たちが彼と最期にいたとされる人物、だから状況を聞かせてほしい、それだけだ」
少しトゲのある言い方になってしまっただろうか。
軍本部に連れてこられた僕は、他のみんなに会うこともなく個室で事情聴取をされた。
目の前で聴取をするのは、軍幹部のザブラスさん。
街を護る正面門の門番の隊長も勤める人物だ。
ザブラスさん自身はそう言うが、狭い個室に入隊したての若い女と、軍の幹部がふたりきり。
そして、外には他の筋肉たちがゾロゾロ。
疑いの眼が僕たちに向いているのは間違いないだろう。
ただ、この人から感じる中年男性の冷静さ、というのはこの極限状態でも安心感が持てた。
多分、この人が聴取してくれるなら、安心して任してもいいだろう。
「話は聞いているが、最初からもう一度詳しく聞かせてほしい。
どんな小さなことでもヒントになるかもしれないから、できるだけ詳しく教えてくれ。焦らなくてもいい」
「はい────」
ヴェルド・コゼット教官は、僕たちの隊長だ。
ザブラスさんやリーエルさんと同じように、彼もまた軍の幹部の一人。
おじさんから聞いた話では、彼は若くして天才と呼ばれ、20代前半で既に、幹部候補として名前が上がっていたそうだ。
しかしそれから任務で大きな怪我を負った彼は、そこから復帰まで長い年月を要する。
長い長いリハビリや治療の日々は、エリート人生まっしぐらだった彼に、足りなかった「挫折」「悔しさ」「負ける側の気持ち」というものを刻み込んだ。
怪我よりも、精神的なケアに時間を浪費したのではないか、とも。
そして怪我を克服し、ついに数年前幹部の座まで登り詰めた彼は、人間的にも戦士としても、国に欠かせない人物となっていた。
成功と挫折、両方の心を理解出きる人物は、そう多くはない。
僕たちの隊長は、そんな誰にでもできないことを心の底から気持ちよくやってのけていた。
だから、みんなから慕われていると思っていた──のに。
「別に恨みだけが殺される動機にはならないさ。
特に軍幹部の我々は個人的なしがらみとは別件で、命を狙われる確率もかなり上がる。
今回の暗殺が彼の人間性を否定することにはならない、分かるね」
諭すように、そんなことを言うザブラスさんの言葉だけが、今でも強烈に印象に残っている。
たぶん、その言葉で僕も色々と当時は思うことがあったんだろう。
「でだ、本題に入ろう。君らにとっては辛い話にはなるが、聞いてくれるかね?」
「はい」
「ありがとう、まずは状況から伝えよう。
彼の遺体が見つかったのは訓練所の中でだそうだ、発見時間は午後の8時頃。
争った様子から、戦闘になり押し倒されたところを、心臓にナイフ一撃。おそらく即死だろう」
「そんな簡単に──ですか?」
「場所も不自然だ、内部の犯行を疑っている」
先ほどまでは疑っていないといってはいたが、建前だということはザブラスさんも隠す気はないようだ。
確かに疑うなら僕たちを真っ先に、だ。
軍幹部ともあろうお方が、下っ端相手に正面から殺されることなんてないと分かっているくせに────
「僕たちが教官と別れたのは7時半頃です。
今日の午後は教官がつきっきりで訓練に付き合ってくれていたので、僕たち以外同じ隊の人は近くにいませんでした」
「他の隊の人間で見かけた者はいるか?」
「その時間になると人も少なくなっていたので、いたのは僕たちだけだったと思います」
「そうか……」
しかし見かけなかったといっても、訓練所は別に徹底した警備が行き届いている場所ではない。
せいぜい少し高いくらいのブロック塀で囲まれているくらいで、それを突破できる人間なんて、この業界にははいて捨てるほどいる。
「訓練が7時半少し前くらいに終わったので、ロッカー室から荷物を回収して、そのまま帰りました。終了から5分くらいかと」
「着替えたり、シャワーを浴びたりはしなかったのかね?
ロッカーを使用したのなら着替えをしたり、隣のシャワー室を使ったりすることもできたはずだろう」
「しませんでした、早く帰りたかったのと──そのまま家に帰ればシャワーをそこで浴びる必要も着替える必要もありませんし。
あと──軍服は訓練用でも、女性にとっては夜道で自衛になると、教官から……」
「なるほど。すまんな、うちは男所帯だからそういうことには疎くてな、気が回らんかった」
「いいえ」
そもそも、この場面でザブラスさんの気づかいはあまり意味がなかった。
ありがたいことなのだけれど、よっぽどひどい聴取をされない限り、僕は特になにも思わなかったと思う。
「あと、入り口近くでロイド・ギャレットを見かけたので──飲み物を飲んでいたので、しばらく話してから帰宅しました」
「特に変わった様子はなかったのか?」
「無かったです、他の誰も。
だからその──僕らはいつも通り帰宅しただけです。
それ以上何かあったなんてことは、とても……」
僕の言葉を書き込んでいたザブラスさんは、最後まで話を聞き終えると、少し唸った。
「うぅん……なるほど──分かった。他に気になったことはないか?」
「────そういえば……」
いつも通りの日常の一コマだったけれど、これは話しておくべきだろう。
「確か教官はタバコを吸っていたので、僕たちより訓練所を出るのが遅れていたと思います。
一服するから、先に出てろ、と僕たちに」
「なに、タバコを……あぁ、確かにヤツは、喫煙者だったな。
喫煙所でもたまに一緒になる」
「えぇ、施設内の喫煙所に向かっていくのを僕たち見ました」
思えば、あの後ろ姿が彼を見た最後になるのか。
自分には何も出来なかった、そう思うと悔しいやら投げやりたくなるやらで、混乱してしまいそうだ。
「──以上です」
「そうか」
それから、色々と質問をされて、それを答える、が続いた。
しかし、僕からはなにも明確な情報が得られなかったのか、ザブラスさんはついに質問を打ち切った。
「ありがとう……協力感謝する。部下が送るから、今日はもう帰りなさい。
そして、しばらくの間君たちは自宅待機だ。
間違っても、これ以上疑われないよう、気を付けろ」
「はい、ありがとうございました」
「また何か気づいたことがあれば言ってくれ」
冷静なつもりだったけれど、全てを話終えて、相当疲れている自分がいた。
長話は苦手ではないし、おしゃべりは大好きだ。
でも全部を振り替えって、やっと気付く。
僕も、教官の死は相当心に来ていた────