「はぁ~」
焼けたビルの3階、そこで僕はこの日何度目か分からないため息をついた。
何やってんだろ自分────
僕の店────このイスカ・トアニが経営するマッサージ店「ラ・ユグデミラ」は、先日焼けた。
国王騎士団とかいう人たちが店の表で騒がしかったので、ちょっと顔を出してるうちにこんがりこにされた。
いやまぁ、ちょっとあのままじゃ一緒に闘ってた女の子が危ないと思って少しだけ騎士さんの攻撃を店の方向に反らせたのは僕だし。
文句は言わない、今さら言う気もない。
でも────
「はぁ~、やんなっちゃうよね」
誰が聞いてなくても、自分の声を聞きたいときがある。
虚構に向かって呟いたその同意は、もちろん誰が答えるわけでもなく空に消える。
お店が全焼するのも、誰もそれで怪我人が出ないのも想定内だった。
建物の修理費も合わせて組合の保証やら国王騎士さん達の謝罪金やらで、焼け太りすることもまぁ、想定通りではあった。
結果、あの場は丸く収まったし、しばらくお店を休業すれば、また今まで通りの生活を送れる。
今までより店舗を拡大するのも、夢じゃないかも。
いや、そのはずだったのに────
「やんなっちゃうよねぇ……」
今度は、床に腰を下ろしてそっと床を撫でてみる。
先日から風に飛ばされずに残ったススが、手にザラリと染みつく。
今まで通りの生活──そこに戻るまでに一番の障害となっているのは、僕自身のメンタルだった。
今まで頑張ってきたお店、培ってきた宝物──それが一瞬のうちに焼けてしまったのを見て、なんだか夢だったはずのマッサージ師という職業が、自分の中で萎えてしまったのだ。
辛いことが沢山あった、嫌なこともなくさんあった────しかし、それと同時に、やりがいややってよかったと思えることも、沢山あったはずなのに。
目の前でゴウゴウと燃える僕の店は、そんな心の中の情熱さえ、綺麗さっぱり燃やし尽くしてしまったようだった。
そんなことをボーッと頭の中でグルグル回転させていると、下の階から階段を登る音が近付いてきた。
もちろんこのビルは先日焼けて、僕以外の人は誰も近付かないはずだ。
下の階で店を経営していたおじいちゃん探偵が忘れ物でも取りに来たのか────と思ったけど、どうやらその足音はまっすぐこの店に向かってきているようだった。
「あのぉ~」
扉の前で誰がいるのかと確認をとるように、女の子の声がした。
多分、外からこのビルの現状を見て、本当に人がいるのか不安になっているのだろう。
そして運がいいことに、その部屋には僕がいた。
「あ、お客さんごめんね! 予約の人だっけ?
見ての通りこのお店先日焼けちゃってさ、もう今やってないんだよぅ」
「あ、いらっしゃった。そうじゃなくて────」
扉を開けると、私と同じくらいか少し下くらいの年齢の子が、こちらを不安そうに見ていた。
青白い髪がキラキラと光を反射して、照明も焼けてしまったビルの暗い廊下が、少しだけ照らされている気がした。
「そうじゃなくて、エリアル・テイラーさんの紹介でここに来たんだけど……
イスカ・トアニさん──ですよね?
あの有名なマッサージ店の店長さん」
「ん? それは僕だけど」
エリーからの紹介でお客さんなんて珍しい。
確かにエリーは僕の店が燃えたことはご存知だから、この子がお客さんということはないだろう。
エリーが忘れていた可能性もない、だってあの子の仲間を助けるあの子の仲間とあの子の仲間のお姉さんのせいで子のビルは燃えたのだから。
忘れてたらさすがの僕でもキレる。
「私、レベッカ・アリスガーデンていいます。
じつは、私新しい小隊のメンバーを募集してて、エリアルさんに相談したらイスカさんを訪ねてみて、と」
「小隊の募集??? 僕が? 僕そもそももう軍人でもなんでもないんだけれど」
「え、そうなんですか?? エリアルさんが勧めてくれたものだから、てっきりまた軍に復帰なさるのかと────」
「はぁ……あ、ちょっと待って……!」
軍への復帰、それは確かに魅力的な選択肢だった。
今の僕はしばらく働かなくても枯渇するようなことはない。
お店を再建できるくらいだから、慎ましやかに生活すればもう数年は働かなくても食べていけると思う。
一見状況的にはかなり余裕があるように見えるかも。
でも────でもマッサージ師続けるにしろ、軍に戻るにしろ、いつかは働かなければいけない。
そして今この子の出した条件は、かなりイイカンジの就職先なんじゃないかと思った。
確か、離職率が低いエクレア軍は、その対策の一環として、一度辞めた軍人でも同じ階級から復職できる制度もあったはずだ。
前に働いていた職場で過去の経歴そのまま働けるのなら、これを逃す手はないんじゃないか、と思う自分がいる────
「あっ」
「ど、どうかしたの?」
なるほど、これはエリーからの頼んでもない渡りに船、なんだ。
僕がこの条件を聞いて復帰すると読んでいたんだろう。
だとしたら、僕の熱意が燃え尽きたのも予想通りか。
くそぅ、全部読まれてるみたいで悔しいぞ────
「そうだなぁ、君の仲間になってもいいけど、でもそれに乗るのはなんか癪だなぁ」
「癪?」
つまり、ここで簡単に仲間になったら全部エリーの思い通りって事だ。
どうせならあの子が予想してなかったようなビックリするようなことをここでやって、エリーを呆れさせたい。
この子を巻き込んでしまうかも知れないけれど、まぁこれくらい未来の仲間だ、我慢してもらおう。
「いーよ、じゃあ僕とゲームして、勝ったら仲間になったげる」
「げ、ゲーム……?」
「うん、普通に仲間になってもつまらないしね」
ゲーム、その言葉にレベッカと名乗った彼女は少し怪訝な顔をした。
突然持ちかけられたこの言葉に動揺するのは当然だ。
話し合いでも実力を確かめるでもない、脈絡がないのは分かってる。
「げ、ゲームって何やるの?」
「んー、そうだな質問ゲームなんてどうかな。
やるのは初めて?」
「質問ゲーム──いいえ、友だちとやったことがあるから分かるけれど……」
子供の頃よく兄たちとやった言葉遊びゲームだ。
まずホストが何か一つ「もの」を思い浮かべる。
それを参加者が質問をしてゆき、ホストは「はい」か「いいえ」で答えてゆく。
参加者がホストの思い浮かべる事柄を答えられたら、ゲームクリアだ。
「僕がホスト、質問の制限回数なし、もちろん君の知ってる『もの』を、思い浮かべる。
このルールでどう?」
「え、でもそれじゃあ絶対に私が────」
「いいんだね? それじゃ始めようか、当ててごらん────」
※ ※ ※ ※ ※
エリアル・テイラーのことなら、結構前から知っている。
「僕ね、お金貯まったらこの軍を辞めて、マッサージ屋さん始めようと思うんだ」
3年前、僕が軍に入隊して数日した頃。
なんで僕らしくもない、あんなかとを突然言ったのか、今でも分からない。
でも、初めて友だちの2人に夢を話した時、彼女達は僕のことを笑わなかった。
「へぇ、そうなんですか。イスカって器用そうですもんね」
隣にいたエリアル・テイラーちゃんが、そう言った。
優しくて几帳面な子だけれど、ボーッと口を開けていることが多くて、死んだ魚の眼をしているところしか見たことがない。
「マッサージ私もよく行くけど、外ればっかなんだよね。
ちょっとやってみてやってみて!」
訓練所のロビーなのに臆面もなくソファーなうつ伏せになるのは、ミリア・ノリスちゃん。
背が小さくて体もちっちゃくて一見華奢だけれど、いきなりのこういう決断力や肝の座ったところは、彼女が大型新人であることを裏付けている。
実際先輩たちの間では、ミリアちゃんのことが早くも噂になっているらしい。
もちろん、よくも悪くも────
「うん、ここをこうやってね……」
「すっごい! 凝りがどんどんほぐれてく!!」
「え、いーな。私にもやってくださいよ」
「ダメだよー私が先だからね。ほらイスカ、もっともっと────」
辞めてしまった軍だけれど、確かに楽しかった時間があるとすれば、あのみんなで笑いあったあの隊の時間だろう。
エリーがいて、ミリアがいて、リゲル君がいた。
そしてロイドもいた。
3ヶ月後、あの事件まで僕たちは「普通」の軍人だったはずだ。