私の前に置かれたどっしりのチーズラザニアは、ひき肉や野菜、つるつるのパスタに香ばしいチーズの香りが混ざって、私の食欲を一気に沸き立たせる。
少し量は多いけれど、サラダと合わせて食べてしまえるだろう。
ナイフを入れると、季節の野菜と肉汁が滴り、少しフォークが入れにくい。
でも、私の食べ進める手を邪魔するそれは、オーブンで丁寧に焼き上げられた証拠だ。
まだ温かい一欠片を空中で冷まし、口元へ運ぶ。
すると、トマトの甘酸っぱさと、野菜の苦みが口の中に広がり、私に次の一口を急かす。
そういえば、この辺は観光地のため美味しい料理も集まりやすいのだった。
シーズンから外れたこの時期でもその例に漏れることはないらしく、チーズのとろみがナスやタマネギの香ばしさと相まって、後味の独特の臭みを消してくれている。
そして一緒に頼んだサラダもみずみずしくて、街で普通に食べる物より満足感がある。
ラザニアの中の野菜がたっぷりだったので頼んでしまったのは間違いかと思ったけれど、全然そんなことは無かった。
民泊が経営する食堂と言うのも、バカに出来ないんだなぁ────
「おいアンタ……アンタ!!」
「ホへ……??」
半分ほど食べ終わったところで、ナルスに呼びかけられていた。
彼の皿は既にからになっており、パンが半分ほど残っているだけだった。
どうやら先に食べ終わってしまったらしい。
「何ですか?」
「何ですかじゃねぇっての、本題だ本題。
オラっちはアンタとデートしたくてここにいるんじゃネェ」
だろうよ、こんなに気遣われない男性との食事はロイド以来だ。
アデク隊長でも少しは気配りというものをしながら食べてくれるので、案外そう言うのにあの人は慣れているのかも知れない。
「で、話って何ですか?」
「前の集会の時の話だ、オレっちのこと覚えてたなら分かるよな?」
「私何かしましたっけ」
「何もしてねぇからだよ!」
イライラとしたように叫んでくるが、私は構わずレモンジュースを一口すすった。
甘酸っぱくてさわやかな香りが口の中に広がる。
「へあ~」
「浸ってんじゃねぇで聞けよ!
オレっちの固有能力は、【アテン・ハット】。
これさえありゃ、オレっちの声を聞いた相手の注目を強制的にこちらに向けられる!
ついでに相手の場所も分かる!」
「へぇ、便利ですね」
「ありがとよ──じゃねぇんだ!」
私の適当な返しに、一瞬乗りかけてまた素に戻るナルス。
どうやらかなり乗せられやすい性格らしい。
「そうじゃねぇ、この固有能力は、魔力量でオレっちより実力のかけ離れたヤツにゃ効果ねぇんだ」
「欠点ですか、あまり気にすることじゃないんじゃないですか?」
「お悩み相談じゃネェからそれは今はどうでもいい!
問題はオラっちの能力に、アンタが引っかからなかったことだ──しかも2度!!」
悔しそうに拳を固めるナルス。
「かけ離れてる──とは言ってもそんなのあの場に集まった連中でもごく一部。
アデク・ログフィールドさんやララ・レシピアさん、ゾルゲの旦那なんかの上級役職のヤツらにゃ効かなかったが、おめえはちげぇ!
一体どういうことだ!」
2度──確かにどちらも、彼が固有能力を使った事に、私は確かに気付いていた。
1度目は今本人が行った通り集会の時。
自分の質問を通すため、彼はあの場で固有能力を使い会場全体の注目を集めていた。
そして2度目は──先ほどだ。
食堂の入口の前で私にまず声をかけたとき、彼は間違いなく固有能力を使って私に話しかけた。
恐らく、1度目私が引っかからなかったことがまぐれでなかったことを確かめたかったんだろう。
おかげで周りの人々も彼に目線が集まってしまったし、そのせいで他の人たちに喧嘩だのナンパだの噂されていた。
全く、私からしたらいい迷惑だ。
「確かに、私にあなたの固有能力は効きません」
「それが何でかって聞いてんだ!!」
「【コネクト・ハート】、あらゆる生物と会話の出来る私の固有能力です」
「会話ぁ? そんなものが────」
「あなたが私に話しかけた瞬間、あなたの言葉には独特の違和感──多分固有能力による注目を集める効果による普通の言葉との違いを感じました。
繋がる心は絶つことも出来る、私はそういう
「なにっ──?? オレっちのチカラはそんなことで防げるはずがネェだろ!」
私の能力を聞いたナルスは、驚いて声を荒げる。
そりゃあ、動物と話せるだけの相手に自分だけのチカラがはね除けられたなんて、信じたくても信じられないだろう。
「実際出来ましたよ、私は。
知り合いにも一人声を使う能力の人がいますが、その人の声も私には影響しないので、違いないかと」
「それは──うぅ……」
ナルスは言葉が見つからなかったのか、黙ってしまった。
【コネクト・ハート】は、声で影響を及ぼす魔法や固有能力に対しては、絶対の耐性を持つ。
この人みたいな声で人を操る系が主な対象だ。
もちろん、音に爆発的な威力を込めて発射する能力──なんてのがあったら、音そのものに物理的な力があるので私はどうすることも出来ないけれど。
ようはかなりピンポイントな耐性なのだけれど、それが今回たまたまナルスの固有能力に影響してしまったのだ。
でもこんな面倒くさいことになるなら引っかったふりしておけばよかった。
「オレっちの固有能力は、引っかかった人間を察知できんだ。
フリだけじゃ多分無理だろうよ」
「どうせこうなってたってことですね、かなり上級の嫌がらせじゃないですか」
「嫌がらせって、アンタ──いや、確かにオラっちのしてることは嫌がらせみたいなもんだ」
やっと気付いてくれたらしい。
これに懲りたら、2度とナルスが私に話しかけないことを願っている。
それがだめでも、せめてこういう騒ぎを起こすのはヤメてほしい。
「なぁ、オレっちの固有能力は鍛えれば、オメェを引きつけることもできんのか?」
「無理でしょう、私の知り合いの方が貴方よりも強力な声を持っていますけれど、やっぱり効果ないです」
「いや────」
あーあー、何か覚悟を決めたようにこちらを見つめるナルス。
今その目に嫌な予感しかしないからヤメてほしい。
「いつか──いつかアンタをオレっちの能力で振り向かせてやる……」
「えー、面倒くさいなぁ──じゃあ私の負けでいいですよ」
「それじゃあだめなんだ、覚えてろ!!」
そういって、ナルスは残ったパンを平らげた。
うわ、この人パン千切って食べてる。
デルス隊のメンバーは規律に厳しい、と言う噂は知っていたけれど、この人は例外だと思っていた。
少なくとも食事作法が身についている人間のようには見えなかったけれど、案外食べ方も綺麗でビックリした。
人は見かけによらないんだなぁ────
「なんでぇ?」
「なんでも……」
もちろん、失礼だから言えるわけがない。
「代金は置いとくぞ、じゃあな」
そう吐き捨てると、彼はお金を置いて帰って行ってしまった。
本当に話はそれだけだったようだ。
『本当に面倒くさい人だったなぁ──あ……』
口にラザニアを入れたら、すっかり冷めてしまっていた。
それでも美味しいけれどせっかくの良さが台無しだ。
本当に最悪の夕御飯だったことは言うまでもない。