震えるソニアちゃんと共に、私は近所の銭湯へとやって来た。
案の定、昼間のこの時間帯ならあまり人もいないためゆっくりとくつろぐことが出来そうだ。
「そう震えないでくださいって。
お背中お流ししましょうか?」
「そそそ、そんな!! エリアルさんにそんなことしていただくなんてあってはなりません!!
ごめんなさい気が利かなくて、是非こちらからお身体を洗わせて────」
「あーあー、分かりましたから。じゃあいいですから……」
どうにも私といると緊張のとれないソニアちゃんをなだめて、勝手に身体を流す。
昔から私はどうにも、昼間からお風呂に入る、というのに罪悪感に似た感情を覚えるのだけれど、それも含めて銭湯や入浴は嫌いでは無い。
「気持ちいいですねぇ……」
「えええ、とても!! とても気持ちいいです!!」
全然気持ちよさそうじゃないな────
「お、珍しい組み合わせだねぇお2人さん」
身体を洗う私たちに声を誰かがかけた。
見ると繁華街近くに店を構える、ぼったくりマッサージ店の元締め、イスカ・トアニだった。
「い、イスカさん?」
「こんな昼間からお風呂だなんて、いいご身分だねぇ。
あと、僕の店はぼったくりじゃないよ」
「いいご身分は貴女もでしょう、お店はいいんですか?」
「今日昼間はお店はお休み。今から帰って寝るんだよぉ」
疲れた顔であくびをしながら、イスカは私の隣に座る。
確か彼女の店ラ・ユグデミラは、曜日によっては夜からの営業。
どうやら明け方まで店を開いていたらしく、その顔には珍しく疲れの色が見えた。
「────そうだ、ソニアちゃん。少しだけイスカとお話ししていいですか? 2人だけで」
「え、えっ!?
すすす、すみませんお背中お流しいたしますので何卒!! 何卒見捨てないでくださ────」
「見捨てないですから、積もる話もあるので少しだけ2人にしてください。ね?」
「き────気が利かず申し訳ございませんでしたぁ……」
そう言うとソニアちゃんは俯いて、トボトボと湯船の方へと向かった。
「…………」
「何申し訳ない気持ちになってんの?」
「え? あー、いや……」
確かに私が申し訳なさを感じる必要はないかも知れない。
しかし、あそこまでペコペコされては、逆にこちらがどうすればいいのか分からなくなってしまうのである。
「それに用って何さ? お店の割引交渉なら、お友達価格で考えてあげるよ」
「いや、それはちゃんと正規で払いますから……
そもそもお友達価格って、店内で売ってる100ベストのアロマがタダになるヤツですよね……」
お友達価格をねだるわけでは無いが、銘打つ割にはショボい友情である。
それならば普通に買った方が、まだイスカの店が潤うので友情が感じられる。
「じゃあ買って帰ってよ」
「きーさんがお香苦手なので無理です。
いや、そうじゃなくて────なんであの子あんなんなんですか?」
今までは、ただ下の階の住人として挨拶しに来てくれているだけだと思ってた────いや思うことにしていた。
しかし、毎月私に菓子折を持ってヘコヘコと挨拶に来る彼女は、やっぱり客観的に見ても異常だと言わざる負えない。
そこにどんな理由があれ、私にそこまで謙らなければいけない理由など、立派にアイドルを務めるあの子にはないはずだ。
「知ってますよね、イスカなら」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく、ですけど。イスカって前から、知った方がいいことも知らなくてもいいことも、いっぱい情報もってるじゃないですか」
「うん、そうだね」
軍で人間関係の情報が欲しけりゃイスカに聞け、と言うのは私の同期たちの中ではとても有名な話だった。
以前ソニアちゃんはイスカの店によく行っていると何かのインタビューで言っていたのも聞いたことあるし、私とも顔見知りの彼女なら、もしかしたら何か知ってるかもと思ったのだ。
「そっかぁ、君は知らないんだねぇ」
「だから散々迷ってるんじゃないですか。
分かりません、お手上げです。
知ってることがあれば教えてください」
「ミリアだよ」
「────え?」
予想だにしない言葉に、私は耳を疑う。
「ミリアってどういう……」
私とイスカの中では、ミリアと言えばあのミリア・ノリスに他ならない。
私の親友で、隣の部屋────ちょうどソニアちゃんの部屋の真上にすんでいて、つい数月前行方をくらましたあのミリア・ノリスである。
「い、イスカ! 何かミリアについて知ってるんですか!?」
「知ってるよ。あー、でも君が思うような失踪に関連したことじゃないよ。
あくまでソニアちゃんの君への態度の理由が、彼女にあるって言うのを知ってるだけ」
彼女は呆れたように手を振ってみせる。
「あぁ、そうですか────」
しかし、やはり私の予想したとおりイスカは何かを知っていた。
ソニアちゃんが私にペコペコすることにミリアが関わってる────なんて思ってもみなかった。
「説明、してください────」
「あぁうんいいよ。
まず始めにエリー、君がソニアちゃんと出会ったのは、僕たちの隊が2年前解散した後。
エリーはバルザム隊に配属になって、その半年後ソニアちゃんが新人として入隊してきた。そうだよね」
「ええ……」
確かに、彼女との最初の出会いは忘れもしない、隊員が行方不明になる前のバルザム隊。
最初の頃は特に印象に残るような子でも無かったのを何となく記憶している。
「その後どうなった?」
「えっと……普通にあの子は私を追い抜いて、普通に昇級試験に合格して、普通に任務をこなして────
アイドルにスカウトされて、バルザム隊から移籍していきました」
「普通に?」
普通には普通に、だ。
アイドルにスカウトされたことはまったく普通じゃ無いけれど、そこまでの彼女は、特に取り立ててスポットを当てることもない、超平均的な隊員だったと思う。
「普通に────ね。
でもそれって君の言う普通だよね」
「そりゃそうですけど────」
「君のいう普通は────
普通に、君を見下して、虐めて、バカにしてたってこと、でしょ」
「いや、そんな言い方っ!!
いっ────いや、どうにも……」
どうにも、どうにも、言葉につまってしまった。
確かに、彼女にはそう言うところがあったかも知れない。
しかし、それはバルザム隊に入隊してくる後輩たちならほとんど誰もが私に向ける態度だった。
トップを目指す軍のルーキーたち、毎日を必死に過ごす新人さんにとって、いつまでもレベルの低い場所で二の足を踏んでいるように見える私への感情が、いい物であるはずがないだろう。
それはクレアもセルマも持っていた感情だし、別の隊のベティさんにも言われたことがあるのだから、ソニアちゃんだけが特別────と言うことは決してないはずだ。
「それを普通と言い切っちゃう君、ズレてるよ」
「ズレ────いや、でも関係ないじゃないですかそんなこと……」
「関係あるよ。だってそれを知ったミリアが、話を広めて、ソニアちゃんは一時期この街のお店がどこも使えなかったんだもん。
ミリアを筆頭に、この街からソニアちゃんを追い出そうとしてたの」
「えっ────」
「ふふっ、知らなかったでしょ」
持参したボディーソープで腕を洗いながら、イスカは飄々と語る。
「ちょっと辛かったみたいだよ、君の件であのお山の図書館は使えないし、市場も食べ物売ってくれる店がないし」
「またまたぁ────」
「ホントだよ、僕のマッサージ師の誇りにかけてホントホント」
その横顔、イスカが嘘をついているようには見えなかった。
どうやら本当に冗談ではないらしい。
私は今まで普通に商店街を利用して、普通に図書館を利用して、普通に家でのんびりしてただけなのだ。
「あの子が今、そんな風に苦労してるようには見えませんけど────」
「だから、苦労しないように、定期的な御挨拶を君に立てなきゃいけないんだよ。
ミリアが言ったんだってさ、『今までの事を全て悔いて一月に一度エリーのところに挨拶に行く』って条件で、街の人に交渉したんだって」
だからか────
ソニアちゃんが私と顔を合わせるといつもする怯えた表情。
考えないようにしていたけれど、きっと彼女は街の人々にされたことを、私を見る度に思い出していたのだ。
「なんで、そんな私が嫌がらせを少しされていただけで、そんな────」
「だから、それが君の悪いところだよ。
君が周りに及ぼしてる影響を、まるで理解してない」
「影響だなんて────」
そんなもの、考えたこともなかった。
図書館の妖精さんになぞらえた都市伝説になっていたり、街のアイドルが一部で迫害されていたり────
この2年間、知らないところで色々なことが起きていたという事実を、私はまだ信じ切れなかった。
「わ、私は一体どうすればいいんでしょう……」
「さぁ、本人の気が済むようにやらせてやればいーんじゃない?」
「そんな無責任な────」
「僕に責任はないもーん」
まぁ、言ってしまえばそうだ。
これを関係ないイスカに押しつけるのは間違いだとは思う。
ミリアが行方不明の今、もし責任があるとすれば────私か。
「そんな事私は望んでるんじゃないですよ……」
「んー、でもそうすれば周りの人たちは納得するし。
『定期的にエリアル先輩の元へご挨拶に伺い自分を懺悔することで、その他は普段通りの生活に戻れる』んだよ?
君の気持ちから離れて事が独り歩きしてる以外は、案外妥協点だと僕は思うけどね」
「…………」
とても嫌なことを聞いてしまった。
私一人が何かあったくらいで、この街は過剰だ、過剰すぎる────
「ふーん、君がそう思うんならいいけど。
周りはそうは思ってなかったってことだ」
「そんな、私はただ────」
「あーあー、そういうのいいから。
僕ちょっとのぼせちゃった、先出てるねぇ」
※ ※ ※ ※ ※
「来月────いや、もう今月か……
今月は必ず挨拶にお伺いします!!
ほ、本日は貴重なお時間をいただき、あ、ありがとうございました!!」
「いや、今日ので先月と今月分でいいですよ。
今度はイスカのお店にでも行きましょうね……」
「す、すみません、ありがとうございます!!」
そう言うと、ソニアちゃんは早足でアパートに戻っていった。
どうやら午後から仕事の予定が立て込んでいたらしい。
私にいってくれなかったけれど、もしおくれたらどうする気だったんだ────
「あーあー、約束しちゃった」
「まだ帰ってなかったんですか?」
ソニアちゃんが走り去った後をボーッとしていると、店からイスカがからかうように笑いながら出て来た。
「酷いな。お風呂の後のフルーツ牛乳、飲まなきゃ来た意味がないでしょう?」
嘘つき、ずっと私たちの会話をこっそり聞いていたクセに。
それに私はコーヒー牛乳派なので、フルーツ牛乳の件にも賛同しかねる。
「ていうかいいんだ、てっきりもう来ないでください、とか言うのかと思ったよ」
「来て欲しくは無いですけど────」
そう言ってから、私は先ほど買ったコーヒー牛乳を開ける。
「でも、うちに来るだけであの子が平穏に暮らせるなら私はそれで────」
「そう。全く、天然の八方美人さんの気持ちは分からないなぁ」
「八方美人だなんて、よしてくださいよ」
褒め言葉でないのは、彼女の表情ですぐに分かった。
まったく、こと抜け目なさにおいては彼女の右に出る者はいないだろう。
「ところで、今晩どうよ?」
「今晩?」
「僕の店でマッサージ、久しぶりに顔出してよ。
定価で勘弁してやるよん?」
あぁ、イスカは毎回私とバッタリ会う度に、この話を持ちかけてくる。
よっぽど経営が苦しいのか知らないが、残念ながら私にも予定があるのだ。
「いや、今晩は予定が────」
「ないでしょ」
「うっ……」
バレていた、やはりこの子は侮れない。
「それに実は、伝えたい情報があってね────」
「伝えたいこと────?」
「まぁ待ってるからおいで。来なくて公開しても知らないからね?」
「あ、ちょっと!!」
そのまま彼女は、スタスタと帰ってしまった。
『情報って、なに……』
その晩、私はイスカにマグロ村の真相を伝えられるのだった。