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帰りたい(93回目)  初めてのことで衝撃が


 村に戻った私達はみんなの治療や村の人を呼び戻すために散々忙しく動くことになった。

 幸いにも珍しくも、私もきーさんも今回はほぼ無傷だったため、みんなの手伝いをして回る。



 とりあえずみんなの容態の方が気になったのでそれとなく聞いてみる。


 まずベティさんは右股の骨折、このまま帰還して入院するようにとドクターは言う。


「スピカ、ごめんな。アタシのせいでこんなに……」

「ううん、いい……ベティちゃんが助かって良かった……」



 レベッカさんの青白くなってしまった髪は、特に問題がないらしい。


 本人がどう思っているかは分からないので言えないが、元々の自然な感じの緑と同じくらい、今の青白い髪は素敵な色だった。


「なんか不思議な色ですね」

「うん、能力の初覚醒でこういうことがあるってアデクさんが教えてくれた。

 でもこういう能力って扱いが凄く難しいみたい。これから頑張らないと」



 フェリシアさんの左足骨折は、山の中で丸一日無理をしたせいで、ベティさんよりさらに酷かったらしい。


「フェリシアさん、お手伝いしますか?」

「すまんな────いや、それより貴様!

 私の心配してる暇があったらセルマ・ライトの診察に付き合ってやれ!」

「え、セルマのですか? わ、分かりました」



 フェリシアさんに突き放され、しぶしぶセルマを探すと、既にドクターの診察を受けているとこだった。


「あー、これはヒドいね」

「やっぱりそうなるわよね……あ、エリーちゃん……」

「え……?」


 深刻そうに話しているドクターとセルマ。

 状況が分からないドギマギするしかなかった。


「ヒドいってどういうことですか?」

「今この設備じゃ何とも言えないけれどね、彼女の左目はこのまま失明、と言うことも考えた方が良いかも知れないと言うことだよ」


 傷ついた左目の診察をした後、ドクターはため息をつくようにそういう結論を出す。


「そんな……どうして……」


 その診断を聞いて、本人ではなく私が、愕然としてしまう。


「本来回復魔法というのは木属性の魔法を対象に当てることで、その人自身の回復を早めると言う効果を狙い体に行うものなんだ。

 彼女の目の場合は、眼球組織がザックリいってしまっていて、回復はしても完璧に元通り、と言うかが保証は出来ないんだ……」


 まぁ、その理論は私も知っていたけれど、だからといって納得できるものではない。

 聞き分けがないのは分かっても、仲間が失明するかも知れないだなんて、それはとても取り返しの付かないことなのだ────


「セルマはどうなんですか?」


 当てどころのないモヤモヤを、私は思わずセルマに向けてしまう。

 たが、セルマ本人は案外さばさばしたものだった。


「しょうがないじゃない、でも少し不便になるから皆には迷惑かけるかも知れないわ。

 そしたらごめんね」

「ん────それはいいんですけど……」

「今言っても仕方ないって事よ、取りあえず街に帰って大きな病院で見てもらうようドクターも言ってるし、落ち込むのはそれからにするわ」


 それも、彼女の性一杯の強がりだったのか。


 しかし、そこまで本人に言われてしまえば実際怪我をしたわけではない私には、何も言えなかった。



   ※   ※   ※   ※   ※



 セルマの診察が終わり、私はやらなければイケないことも沢山あるのについついボーッとしてしまう。


 なんというか、自分が発案した打開策のせいでセルマ達を危険に晒してしまった────のは別に仕方ないと割り切れるが、それで取り返しの付かない怪我をセルマに負わせてしまった、と言うのがショックだった。


 冷たいかも知れないが、正直ベティさんの足の骨が折れてしまっていたのは、治療すれば治るらしいし、気にしないよう、自分を言い聞かせられる。

 レベッカさんの髪の色も、アデク教官が放っているなら、あまり重大なことではないのだろう。


 でも、セルマは────



 じゃあもし私が廃工場に向かっていたら、どうだったか。

 それは、確実に眼だけではすまなかっただろう、絶対に死人が出ていた。


 それはスピカちゃんが救出に向かった場合でもでも、クレアの場合でも同じはずだ。

 あの場にいた中で、セルマだけが人質の2人を助けられた────


 だったら、彼女の負傷は最小の犠牲と言うことになる。

 あれが最小だなんて、そんなの────



“おい、何をしている人の子。前を向いて歩かないといつの間にか隣の国にいるかも知れんぞ”


「あ、お馬さん────」



 村の中をフラフラと歩いていた私は、気付くときーさんと馬小屋の目の前まで来てしまっていたようだ。


 目の前にいるのはもちろん逃走時助けてくれた馬。

 あの後ドクターに連れられ、無事に村に帰って来れたようだ。



“何か探していたのか?”


「え、あー……スピカちゃんが見当たらなくて。

 桃色の髪の女の子なんですけれど、見ませんでしたか?」


“いや、馬の私に君らの言う色で言われてもハッキリ分からんのだが────少しオドオドした雰囲気の小娘なら、ドラゴンの男と向こうに向かったぞ”


「へ? アデク教官ですか……?

 あ、ありがとうございました」



 馬に案内された通り、村の外れに行くと、確かにそこにはスピカちゃんがいた。


 そしてなぜか、目の前にいるのは────


「む、ムカデやろー……」

「ひゃん────あ、エリーさん……」


 私に気付いたスピカちゃんが肩を震わせる。


 よく見たらムカデやろーはセルマの鎖で縛られていて、意識もないようだ。

 とりあえずスピカちゃんに危険はないようだけれど────


「脅かしてしまってごめんなさい。え、何してるんですか?」

「見張り……アデクさんに頼まれたの」

「そ、れ、は……」


 まぁ、確かにスピカちゃんならいざとなったら狙撃できるし、まだ体力も残っていそうだから見張り役には適しているのだろう。


 でもトラウマを持った相手と2人きりで、しかも14歳の少女に見張りをさせるなんて、あまりいい判断だと私は思えなかった。


「ていうか、そもそもなんでこんな人がいないところに」

「ほら、百足やろーがいたら村の人、怖がっちゃうし……

 少し離れた────この辺がいいって、アデクさんが」

「あの人そう言うところには気が回るんですね……

 ごめんなさい、こんな役スピカちゃん一人に任せてしまって」

「ううん、いいの……やれる、から」


 そういうスピカちゃんだけれど、やはり表情は強ばっていた。

 これは、役が務まっても後々それが原因でこの子に悪影響がありそうである。


 いや、でも私がスピカちゃんと交代しても、ムカデやろーが暴れ出したとき抑えられるほど強くないし────


 仕方ないかぁ────


「よいしょっと」

「え? えっと、エリーさん────な、何してるの……??」


 スピカちゃんの隣に三角座りで腰を下ろした私に、スピカちゃんが少し驚く。


「いや、ちょっと村の方が忙しくなってきたんでここでサボらせてもらおうかと。

 スピカちゃんも、隣に座りませんか?

 私、朝から立ちっぱなしだったので、もうヘトヘトで……」


 スピカちゃんはそんな私を咎めるでもなく、じゃあ失礼しますとモゴモゴ言いながらちょこんと隣にしゃがみ込んだ。


「ここ、風通し良くて気持ちいいですねぇ」

「うん……さわやか」



 その会話を最後に、2人の間に沈黙が流れる。


 お互い縛られたムカデやろーを見つめていたが、それにも飽きたので膝の上にきーさんを乗せて、見張りの片手間に撫でていた。



 そして結構時間が経ち、そろそろ誰か呼びに来る頃かなぁ、と思っていると、ボソリと呟く声が隣で聞こえた。


「あのね、スピカ初めて人を撃ったの」

「────セルマから聞きました。勇敢で凄かったと言ってました」


 唐突に投げかけられたカミングアウト。

 その話自体はセルマからの報告で把握していたことだったけれど、スピカちゃんの口調からはそれだけではないなにか・・・を感じた。


「そんなこと、無いよ。実はスピカ……恐くなってきちゃって。自分でしたことが────」


 多分、ムカデやろーといる間ずっと考えていたのだろう。

 スピカちゃんのその口調は、相当思い詰めている感じがした。


「自分でしたこと────って、ムカデやろーを撃ったことがですか?」

「うん……練習台の木や、野生の動物に撃ったことはあるけど────人は初めてで。

 リーエルさんにも、訓練で撃ったことはあるけど、あの人には当たっても、結構平気だったから」

「そうですか、それは今回の事で考えてしまうのも、無理ありませんよね」


 サラッとリーエルさんが隊の訓練で、サンドバックになって指導してるという事実を知ってしまったが、今のは聞かなかったことにする。

 人には多分知らなくてもいいことが沢山あるはずだ。


「うん、しょうがないの────かな?

 リーエル教官や、フェリシアさんも言ってたけど……その────初めての闘いの時や、その後は、凄く後悔するって……」

「闘いの間は大丈夫だったんですか?」

「うん……実はね────」


 わたしのかみのけ、ほっぺたひんやり、全身をなでるように、なでるように、なでるように────


「不思議な呪文ですね」

「うん、リーエル教官に、教えてもらった────おまじない。

 撃つときにこれを言うと、いいんだって……

 このおまじない、闘いの間は効いたけど……今怖くなってきて……震えて……」


 そういうと、スピカちゃんは自分の腕を身体の前で交差させて、肩をギュッと握りしめた。

 私はその小さくうずくまったその背中を、そっと撫でてやる。


「話してくれて、ありがとうございます」

「ごめんね、エリーさんに言っても、仕方ないのに……」

「いいえ、私も経験はあります────アデク教官もそういう葛藤はあると言っていました。

 あんな凄い人でも感じてるんですから、きっと考えてしまう人は、永遠にぬぐえる物ではないと思います」


 むしろアデク教官は、その闘いの葛藤に推し負けて、一度は軍を辞めている。

 【伝説の戦士】と呼ばれていた彼の絶頂期なのに、それでも彼の心を蝕んだ、ある意味最強の敵かも知れない。


「エリーさんは、どうしてるの……?」

「気持ちですか────どうもこうも。

 私はしたっぱ歴長いですが、初めての実践はついこないだですし、スピカちゃんとそう変わりませんよ。闘って、後悔してます」


 それでも、スピカちゃんは闘ったのだ。


 なりふり構わず、友だちを助けるために闘いに赴き、そして勝利を掴んだ。

 それでも闘ったことに彼女は後悔しているのだから、それは私なんかがどうこうできる問題ではないだろう。


 でも、ホンの少しでもスピカちゃんの役に立てれば────


「ねぇ、スピカちゃん。実は私、軍に入るまではずっと、とても平和なところにいたんです。

 闘いや殺しなんか滅多に起こらない、いや実際どこか遠くでは起こっていたんですけれど、それを人ごとだと考えられるぐらいには平和な場所でした」

「そう────いい、ところだね……」


 ゆっくりと頷きながら、スピカちゃんは答える。


「でも、軍に入って闘いを覚えていくうちに、実は見て見ぬ振りをしてきたものは、どこかの誰かが必死に守ってくれた誰かのおかげだったって、気付いたんです。

 毎日必死で訓練して、毎日ヘトヘトになって家に帰って、それでも明日死んでしまうかも知れない人たちが、いるって気付いたんです。

 実際にそういう人たちの一部に、自分がなって、初めて────ですけど」


 もちろん、頭ではそういう誰かがいることは分かっていた。


 けれど、頭で分かっているのと実感するのは違う。

 なって初めて、それを実感した────させられた。


「スピカちゃん、守りたい誰かを守るには、時々誰かを傷付けなきゃいけないって、私が入隊した頃の教官が言ってました。

 でも、それってあまりにも悲しすぎる事だと私は思ったんです────」


 スピカちゃんは、このムカデやろーに攻撃をしたけれど、それで彼が死んでしまわないよう、最大限の努力はしたはずだし、実際こうやってムカデやろーは生きている。

 それに、ムカデやろーを捕まえたことで、村の人やスピカちゃんの仲間はきっと、何か大きな物が救われたはずだ。


 傷付けた事実があるなら、守ったはずの「何か」も無視されていいはずがない。


 精霊保護区のゴリラ────ちょこちっぷしぇいくさん言っていた事を改めて思い出す。



 命を賭け、誰かを守り、誰かを切る。正義だ悪だは知らねぇが、護ってやっても石を投げるなんて大勢いる。その中で貴様がそれでも手に入れた礼は、貴様の財産だ。受け取っておけ────



 あの時はピンとこなかったけれど、彼はそう言うことを言いたかったのかも知れない。


「だから、せめて────その────何て言うんですかね、えっと、上手くまとめらんないんですけど……」

「ゆっくりでいいから、聞かせて欲しい……」

「は、はい……そ、その……多分、こういう気持ちって、なくなったらお終いだと思うんです。

 闘いが恐い、戦場が恐い────人が恐いって」

「そう、かな……そうかも。なんか、分かる気がする」


 恐い、闘いたくない、人を傷付けたくない────


 私達は、傷付けることを目的として活動しているわけじゃない。

 傷付けなければいけないときには傷付けるけど、そうでないときに力を振るうのは、ただの暴力だ。


「だから────またこういう気持ちになったら、私でよければ聞きます────って、聞くことしか出来ないんですけれど」

「本当────?」

「それで、スピカちゃんの気持ちが少しでも良くなるなら、もちろん」


 むしろ、それが私にできる性一杯だ。

 頭では考えていても、こんな月並みなことしか言えないのが、今の私だ。


 アデク教官やリーエルさんたちなら、もっと気の利いたことが言えるのかも知れないけれど────


「ありがとう、エリーさん────話してくれて。

 少しだけ、楽になった……気が……する……」

「スピカちゃん??」


 スピカちゃんはそっと私の肩に頭を預けてきた。

 そしてそのままスヤスヤと寝息を立て始めてしまう。


『相当お疲れだったんですね……』


 楽な姿勢に体を動かしてやり、私はムカデやろーの見張りを続ける。



『あ、この体勢以外とキツい────ん?』

「ぐぅっ────あぁ? なんだここは?」

「え、なに……?」


 しばらくすると、ムカデやろが起き出した。

 ついでにその声に触発されスピカちゃんも目を醒ます。


「ムカデやろーが起きたんです」

「えっ……!?」

「大丈夫ですスピカちゃん。

 今はムカデも崖と工場の下ですし、厳重に縛られています。

 落ち着いてください」

「────────あっ、ご、ごめんなさいごめんなさい……」


 スピカちゃんは、すぐに平静────とまではいかないがそこそこの落ち着きを取り戻す。


「そ、そうだよね、捕まってんだもんね────」

「ははっ、たしかに捕まってんな!!

 だがテメーら知らねぇだろう?

 このオレ様のバックに何が付いてるかを!」

「バック?」


 そういえば、リーエルさんは「黒幕がいるのでは」とポツリと言っていた。


 そんな一言で表してはいけないほど結構重大なことだった気もするけれど────


 まぁそこはリーエルさん、闘いのプロだ。


 「最初から公に関わってこないのなら、傍観を決め込むつもりなのでは?」と言っていたし、実際何もおきずに今に至る。


 まぁ、一つ介入があったとすれば「あれ」か。


「バックって、貴方を後ろ盾してる人って事ですよね?

 今回あなたを助けに来てはくれなかったじゃないですか。

 セルマとクレアを森で引きずっていった何か────あそこで介入にてきたのがその“黒幕”ですよね?

 でも本当に邪魔するつもりなら、あの場で2人を排除しておけば良かった────

 あなたが捕まっているのも合わせると、その“黒幕”って積極的に闘う気はないんじゃないですか?」


 フン、と鼻を鳴らした。


「半分正解、半分ハズレだ、クソ女」

「どちらがハズレですか?」

「今回の作戦は積荷を奪い取るだけじゃねぇ!

 新開発された魔物の実用実験だったんだぜ!?」

「なっ────」


 魔物の実用実験────その予想だにしない言葉に、私は驚愕をする。


 なら、あの巨大なムカデは、単なる契約制霊ではなく、コイツらによって被検体にされたサンプルだったということか。


「実験は他者の介入を避けるのが、倫理ってやつだろ!?

 だが、オレ様が捕まった以上、アイツも情報が敵に転がり込むことは避けるはずだ。

 情報を持つオレ様を、あのお方はどうせ助けに来なきゃいけねぇんだよぉ!」

「なんて情けない……」


 スピカちゃんが思わず隣で苦い顔をする。


 確かに情けないことかも知れないが、この男は向こうにとっても利用価値のある人材と言うことだ。

 それを捕まえられた、というのはきっと私たちにとっては大きいだろう。


「そうとなれば、なおさら貴方は渡しません。

 こちらにはアデク教官もいるんです。

 【伝説の戦士】を相手にするほど、敵も貴方を必要としているとは思えないんですけどね」

「ふん、チッせぇ考えだな、それはエクレア軍幹部を脅威と思うヤツだけだ!

 この名を聞いても、その男は余裕だと言ってられるか?」

「その名────?」


 「その名」────つまり“黒幕”の名、聞いた瞬間そう直感付ける。


「いいかぁ、教えてやるぜぇ!?

 あの便利なムカデたちも、オレ様に村から食料を奪えばいいと指示したのも! ま────」


 ドサリ────と。



 多分気付いたときには遅かったのだと思う。


「え────?」

「エリーさん、伏せて……!!」

「えっ?」


 訳の分からぬまま、スピカちゃんは転がり込むようにきーさんと私を抱えて近くの茂みにダイブした。


「えっ、あっ? な、何が────」

「静かに、今、打たれた……!!」

「えっ……」


 少し首を動かしてムカデやろーを遠目に見ると、彼の眉間辺りから、血が噴き出していた。

 そしてピクリとも動かない。


「っ────!!」

「じゅ、銃声はしなかったけど────敵、あんまり、遠くにいない……!

 今──今、出てったら、2人ともやられちゃう……から!」


 震えてるスピカちゃん、それでも咄嗟の対応は適切だった。

 そしてそのまま1分、2分と緊張の時間が流れていく。



「な、何も起きませんね……」

「まだだめ────狙撃って事は、相手きっと、すないぱー……

 だったら2,3日は、こうやっててもへっちゃら、だから……」


 つまり、その間私たちは動けず、こっちに誰かが来ればその人も危険に晒されると言うことである。


 まさか仲間を口封じのために撃つなんて────

 私もスピカちゃんも、多分アデク教官さえこの襲撃は予想できていなかったのだ。


「エリーさん、とりあえず、みんなに危険知らせないと……!」

「わ、分かりました────」


 だったら、また頼ってしまうけれどアデク教官のところだ。

 ここから影に隠れて、彼の元へ行くしかない。



「おーい、リーエル隊の子、帰るぞ~」

「げ、アデク教官────」


 しかし、張り詰めた空気を破るかのように、のほほんと手を振りながら歩いてきたアデク教官。

 あの場所なら、確実にスナイパーの射程に入ってしまっている。


「あ、アデク教官っ、ここは危険ですっ。先ほどムカデやろーが狙撃されましたっ」

「は、何言ってんだ? って、うわホントだ、マジか────よっ!」


 瞬間、金属同士が響くような音が周りに木霊する。


「え、えっ……!?」

「あっちか? いや、それはねぇな……なら────りゅーさんあの一角探ってくれ! 焼いて構わねぇ!」


 アデク教官が山間の見晴らしの良さそうな崖に向かって指を差す。

 するとゴウッと身体が飛ばされそうなほど強い風が吹く。


「お前さん達! 吹き飛ばされるなよ!!」

「きゃ────!!」

「これは……」



 そして風が止むと、辺りにはまたいつ物静かな山岳地帯の風景が広がっていた。

 先ほどまでの、全ての空気が張り詰めたような物静かさとは違い、よくある牧歌的な静かさだ。


「今りゅーさんを行かせたから、その勢いで風が吹いたんだ。

 空に昇っちまうとドラゴンは、腹の色を擬態させて姿を隠せる。急で驚いたろ?」


 アデク教官は呑気にそう言いながら、先ほどりゅーさんを行かせた山の手の方を見ていた。


「何も掴めなかったか────お前さん達、とりあえず大丈夫だ。もう出てきていいぞ」


 それを聞いてようやく私達は、胸を撫で下ろすように茂みから顔を出す。


「目的はコイツの口封じ、オレへの狙撃は嫌がらせってとこか」

「アデク教官も狙撃されたんですかっ?」

「ほれ」


 アデク教官が腕をまくると、少量だが血が滴っていた。

 先ほどの金属が響くような音がしたが、その音がそうだったんだろうか?


「良かったです、何事もなくて────」

「いや、敵は相当なやり手だった。

 本気で来られたら少なくともオレじゃ、かなり苦戦してただろうな。

 こんな大物が引っ張り出されちまった以上、何事もなかったとは言い切れねぇだろうよ」


 なら、スピカちゃんが咄嗟に私を茂みに隠してくれたことは、正しい判断だったのだろう。

 あの反応の早さには、脱帽せざる負えない。


「はぁ、明らかに死んでんな」

「そうですか……」


 アデク教官が、ムカデやろーの死体を確認してため息をつく。



 彼は紛いなりにも見方の救出を信じて、ここで待っていたのだ。

 そんな矢先に訳も分からず脳天を一撃だなんて。


 苦しまずに死ねたのがせめてもの救い──とも言えないほどヒドイ有様だ。


「スピカちゃん、助けてくれてありがとうございました────あっ、スピカちゃんっ?」

「うぅ……」


 アデク教官が倒れそうなスピカちゃんを支える。


 先ほどまであれだけ心を痛めていたのに、立て続けにこんなことが起きたのだ。

 気持ちの面でも、真正面から受け止める事なんて出来ないだろう。


 かく言う私も目の前で人が、死んでしまったという事実は、未だに信じられなかった。

 あんな話をスピカちゃんに偉そうにしておいてなんだけれど、今は藁にもすがりたい気持ちで心が震えている。


「お前さん達は、フェリシアと街に帰れ。詳しい現場検証は街から人を呼ぶから、それまでオレはこの死体を見張ってる」

「アデク教官はいいんですか? 他に任務あったんですよね?」

「よくねぇよ、でも怪我人集団のお前さん達がいつまでもここにいられるよりマシだ。分かったら荷物まとめろ」


 しっしと追い返され、スピカちゃんを支えながらトボトボ戻る。

 きーさんもさっきのは相当効いたようで、付いてくる足取りもいつもより力なく頼りない。


 初めての闘い、初めての勝利、初めての人間の死────

 私にとってもスピカちゃんにとっても、いろいろなことがありすぎた、衝撃的な進級試験だったろう。


「エリーさん、ありがとう────」

「いえ、私も先ほど助けていただいて、感謝しています。帰りはなるべく早く帰りましょう。

 馬車は一台壊れてしまったので7人で1つの馬車ですね」

「乗れるかな……」

「大丈夫ですよ、フェリシアさんは怪我しているので、運転は私とセルマに任せてください」




 しかし、帰宅の道は心の疲れか、殆どをセルマに任せてしまうことになる。


 2日半、あまり喜ばしくない任務の最後に、道すがら余計な口を開く者はいなかった。


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