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帰りたい(89回目)  隠れて逃げてやり過ごす


 森の中────冷たい空気が流れる森を、私は馬で駆けていた。


 奇襲が成功した後、ムカデを引きつけることに成功した私は、ムカデやろーや人質の2人のことはみんなに任せて、単身で森の中へ逃げ込んできたのだ。


 こんな時に呑気な話かもしれないけれど、森は夜中とは違い、とても穏やかな朝の日差しに包まれている。


「おっと、どうどう、ここで大丈夫です。

 急なことなのに協力していただきありがとうございました」

“礼には及ばんよ。本当に場所はここでいいのか? なんならもう少し向こうまで運べるが”

「大丈夫です、ここでのムカデの足止めが目的なので。

 荷馬車専門の馬なのに、無理をさせてしまってすみませんでした」


 私に応えた相手は、私達をエクレアから村まで運んでくれた、大型の雄馬だった。

 相手は精霊ではないが、それでも私の能力ならばある程度の会話は可能────というより、この馬がとても賢く協力的なのが幸いした。


 直前までは走ってこの森までムカデから逃げてくるつもりだったけれど、これだけ準備のための差を開けられたのはまさしくこの雄馬のおかげだ。



「なぜ私たちに協力してくれたんですか?」

“君らは知らんかも知れんが、私にも軍の誇りという物はあるのだよ。貸し出しの馬だがね”

「それは、知らなかったです……」

“騎手を必ず生きて街まで送り届ける、それが私の矜持なのだ。

 他はどうだか知らんが、少なくとも私はそう考えているから、君に協力したのだ”


 一般的に、エクレア街からから任務のために遠征をする軍人には、事前に申し込みをすれば専用の馬が貸し出される。

 割り当てはそれぞれのスケジュールや馬の体調などにより決められるため、若い馬が貸し出されることもあればこの馬のように長く軍に所属している場合もある。


 もちろん任務は危険が伴う物もあるため、殉職して街に戻ってこないと言う事もしばしばあるのだ。


 人も、おそらく馬も────



“これからどうすればいい、私自身あのバケモノと遭遇するのは避けたいのだが?”

「えぇ、森を抜ければその先に崖、そこに橋が架かっていて向こうにドクターが待っているはずです。

 ここからは私の役目なので、どうか貴方はそちらに向かってください」

“あいわかった、帰って来いよ、若い力”


 そう二つ返事を返すと、馬は森の奥へと消えていった。


“若い力って。あの馬、生きてる年数は君とそう変わらないけどね”

「台無し……」


 額を触って軽く嗜めると、肩の上に乗ったきーさんはその敏感な髭が少し揺れた。

 そして先程私達が馬で走ってきた方を、静かに見る。


“来たよ”

「はい……」


 張り詰める空気、ヒラヒラと舞い落ちる木の葉────

 景色は秋の森そのものだが、捕らえようのない緊張感が肌を撫でる。


 この気配、音は無くても確実に、ムカデがすぐ近くまで追ってきている。

 それをいち早く察知できた私は素早く大木で身を隠し、呼吸を整えて息を潜める。


「はぁっ───きーさん、手鏡に……」


 肩のきーさんを変身させると、そっとその鏡面を木の端から突き出す。

 反射され映るその先には、何かうごめく不気味なシルエット────


『いた……』


 森の中を音も無く移動する巨大なハンターが、スルスルと私達の数十歩後ろを通り過ぎていた。

 その黒光りするボディは何度見てもゾッとするけれど、今はもちろんそんな場合ではない。


「────っ……」


 見つかるか見つからないかという、ギリギリの緊張感に包まれ、額から一筋の汗が垂れる。


 以前気配を消すことに関しては一流だとアデク教官に言われた事があるが、実際動物や魔物にも効果的なのかどうかは試したことがないためかなり不安だった。


 しかし、今のところどうにかこちらの場所には気付かれてはいないらしい。

 追ってきた私達を森の中で見失ってしまい、ムカデはそれを必死にそれを探そうとしている。


 このままやり過ごせればいいのだが────


『そうはいかないか……』


 手鏡に映るムカデは、スルスルとこちらに近付いていた。

 どうやら私を見失い、散策の方向をこちらにと決めたらしい。



 大丈夫、今いる場所はバレていないはずだ────


 そう考えても、村を地震のように揺らしたほどの怪物が近付いてきていると考えるだけで、心臓の鼓動が一気に3倍には早まった気がした。



 もちろん私の役目はあのムカデの「揺動」なのでご主人様のところに戻って大暴れされないようにこちらに引きつけておきたいのは事実だけど、だからと言って積極的に対面したいわけではない。


 本来ならなるべく時間を稼いでやりすごしていたいのに、全く私は運がいいのか悪いのか────



 まぁ、そんなことを溜め息で吐いていても始まらないので、まずはこちらから仕掛ける。


 そっと音のしないよう、足元の小石を拾い、眼を細めながらそれを投げる。


「よっ……」


 小石は狙い通り、ここから少し離れた木の根元に落ちる。

 するとその音を敏感に察知したムカデが、脇目も振らずそちらに突っ込んでいった。


 まぁ、あの巨体なら予想通り────なのだが、その突進で生えていた木が2,3本程なぎ倒され、ついでとばかりに尾の付近に転がっていた岩も粉々に砕けた。


「うわぁ、あれは私たちだけじゃどうにもなりませんね」

“うん、この森の中でマトモに闘う方が無謀だと思うよ”


 以前森の中でボスウルフェスと闘ったときも、ぶつかった木がなぎ倒されるという事があったが、今回はそれと比べても、かなり倒された木は太い。

 セルマのようなバリアがあるならまだしも、あの突進の威力でぶつかってこられた日には、まぁ五体満足ではいられないかも、と考えるのがまずまずの健全な発想だろう。


「気が向かないけど続きやりますか、自分で言い出したことですし」

“気を付けてね”


 小石を拾っては投げ、木の影に隠れては身を隠し気配を消し────


 そうやって少しずつ、ムカデが森の奥に進むよう誘導してゆく。

 緊張と緊張の間に、つゆとも満足できぬほどの短く熱い呼吸を繰り返し、繰り返し、繰り返す。


 僅かでも油断したら気が持って行かれそうな緊張感の中、ひたすらそれを反復する。


 本当は進んでやりたくもないこの仕事だが、こんな風に気配を消し続けなければいけない作業は、多分他の3人では難しいだろう。

 それに、ムカデやろーを叩くなら、やはり私より火力の高い他の3人の方が向いている。


 消去法でも選出でも、結局は私の仕事なのだ。



「ん、やっぱり……」


 そして最初はムカデのぶつかるその威力に目が奪われてしまっていたが、よく見ればその突進にも違和感があることに気付いた。


「かなり直線的ですよね、スピカちゃんから聞いたイメージとはかなり違います。

 まぁそうでなかったら困るんですけど」

“うん、指示する人間が近くにいないから、だろうね”


 昨日森の中でリーエル隊の面々が襲われたとスピカちゃんから報告を受けたときは、確か倒れたレベッカさんとベティさんを、ムカデが足を搦めて攫われた、と言っていた。


 もしそれをあの大きさの生物がやるとしたらそれはかなり複雑な作業になるが、今のムカデにその繊細さは全く見当たらない。


 昨日は恐らく、近くでムカデやろーご主人様がこのムカデに指示を送っていたので、そのような「人攫い」まで出来たのだろう。

 けれど、今回はそのご主人様は引き離されてしまっている。


 音がする方、または気配がする方、敵がいる方にただ突進。

 威力は凄まじく一度喰らったら次がなくとも、一度も喰らわずやり過ごすことが出来れば何とかできそうだ。


 それさえ分かれば、次にやることは一つ────



“ホントあれやるの? 大丈夫?? マジで危ないよ?”

「分からないですけど、まぁやらないと。きーさん、とりあえずネックレスにでも」


 きーさんは心配そうにこちらを見つめながらも、黙ってネックレスになる。

 首にそれをかけると、落ちないようになっていることを確認して、また軽く息を整える。


 別に、きーさんに変身してもらうのは私から離れなければ、何でもよかったのだ。


 そう、私の手元から離れなければ────



「ふうっ」


 また、大きめの呼吸、ギリギリムカデに気付かれない大きさで、ありったけの冷気を肺に詰め込む。


 横目でチラリと確認、距離は適切な長さを保っている。


 やるなら今しかないか────せーのっ────


「こっちですっ」


 私は大きな声を上げて、ムカデの注意をこちらへ引いた。

 気付いたムカデは、ゆっくりとこちらに首をもたげる。


 一瞬眼が合い、刹那お互いが動き出す。


「来てくださいっ」


 ムカデが私を追いかけ始めた、先程森を荒らしていたときと同じように、追いつかれたらひとたまりもない。


「“ウィステリアミスト”!!」


 一瞬の隙を突いて振り向きざまに小規模な霧を発生させる。

 移動するムカデには全くと言って言いほど効果がなかったが、一瞬の目眩ましにはなったはずだ。


 その隙に少しだけ左に逸れて、誘導の微調整をする。


「つぎはこっちっ」


 この作戦は、勝算は低くはないがとても危険が伴う────


 だからこそ、自分が提案した案をみんなが反対した気持ちは、とてもよく分かる。



 作戦の全体像────まずスピカちゃんがムカデやろーに馬車を覗かせて、顔を出してきたところを私が不意打ちする。


 やつがムカデをこちらに寄こしてきたら、近くの森へ逃げて、気配を消しつつ、セルマの人質救出やムカデやろーの撃破まで時間を稼ぐ、という算段だった。



 敵の撃破を優先とするこの作戦は、正直攻撃力に乏しい私には向いていない。

 逆に、ムカデの誘導ならば気配を完全に消せる私以外に適任がいない。


 つまり、この役目は私しか出来ない────換えの効かない重要な役目なのだ。



「ぐっ────」


 危うく木の幹に足を取られつんのめりそうになったところを、横に身をかわしてなんとかムカデから避ける。


 もちろん、ただ誘導するだけならばこんな風に森の中を走らずとも、気配を消していればいい。

 でも、ムカデやろーを仲間達が倒したとしても、ヤツが目覚めたとき、復活したムカデが迫ってくる危険は残る。


 ならば、ここでこの魔物を倒してしまうべきだ。


「もう少し────」


 だから、私でもあのムカデを倒せる方法を考えた。

 本来ならこんな危険は侵したくないけれど、今はつべこべも言ってられない。


 目指すは森を脱けた先、その先の吊り橋の向こうに。


 そして────森を抜ける!!



「ドクター、用意をっ」

「やっと来かテイラー君!!」


 打ち合わせ通りだ────崖の向こうではドクターと雄馬が待っていた。

 それを確認すると、急いで橋を渡り、離れた対岸の彼らの元を目指す。


「早く!! もうそこまで来てる!!」

「くっ……」


 揺れる吊り橋に気を使いながら、そこをギリギリのバランスで走り抜ける。


 後方からは巨大ムカデ、それが気を抜いたら自分に接触しかねない距離にいる。

 高い吊り橋に臆することもなく、ただ目の前の私を仕留めるためだけに猛進しているのだ。


「急いで早くっ!」

「ゆ……れ────ますっ」


 とても足場が悪い平均台を走っているようなもの。

 手すり代わりの綱があるが、ギリギリでも立てるバランス感覚と集中力が要求される事に変わりはない。



「あっ……」


 瞬間、ムカデに大きく吊り橋を揺らされ、バランスを崩し足を踏み外す。

 一瞬体が浮き上がり、綱を持つ手が滑ってしまう。


「しまっ────ととと??」


 しかし、不意に滑り落ちた綱が、手元にまた吸い付いてきた。

 慌ててなんとか体勢を戻し、また対岸へと向かう。


 危ないところだった、けれどこれは────


「あ、きーさんっ」


 ホンの少し、落ちそうになった私をホンの少しを後押ししてくれたのはきーさんだった。

 胸のペンダントから猫の姿に戻り、全力で羽ばたくことで私の身体のバランスが保たれたのだ。


 全身を浮かせるほどの力はこの猫にはないが、少しだけの後押し────危険を冒してまで私を助けてくれたらしい。


「ありがとうございますっ」


 そのまま私の頭の上に降り立ったきーさんを確認すると、崖の対岸へのラストスパートをかける。


「もう少しだテイラー君!」


 そしてドクターに促されるまま、ついに吊り橋を渡り終えた。


「お願いしますっ」

「そぉりゃっ!」


 ドクターの振り下ろした斧が、勢いよく吊り橋の縄を断ち切る。


 一瞬、何が起こったか分からないような眼と視線が重なったが、重力によってそれもすぐに見えなくなった。


 私とムカデを乗せても大丈夫だった吊り橋が、目の前に迫ってきたムカデごと、奈落の奥底へ沈んでゆく────


「よかった……」


 これで、リーエル隊4人の無念も晴らせただろうか。

 まぁ、元凶はそれを操るムカデやろーなので、あの魔物には申し訳ないのだけれど。


「でもよかったです、これで────」

「テイラー君まだだっ!!」


 ドクターの叫びに私が反応するよりも早く、体に不意に浮遊感が訪れる。


「えっ……?」


 揺れる景色と追いつかない頭。


 これは────体が浮いている?


 そう気付いた瞬間、自分が崖から落ちている事に気付いた。



 吊り橋と共にムカデが落ちる時、その巨体が暴れて岩肌に当ったのだ。

 それで崖の一部が崩れて、端に立っていた私諸共巻き込まれたんだ────多分。



 何か叫ぶドクターの手が、私の伸ばした手をすり抜けてらどんどん離れてゆく。



 あ、ヤバイ────


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