こんな夜中に、こんなきつい登山をするなんて思ってもみなかった。
「エリーちゃん頑張って、もうすぐよ」
「は、はい……」
振り返るセルマに、私はなんとか追いつく。
今、私達は楽しくハイキングに来た────訳ではなく、リーエルさんの指令で、敵の潜伏している廃工場まで行き、人質になった2人の安否を確認しに行くところだ。
クレアはまだやり残した作業があったらしく、スピカちゃんはもう少し治療が必要なため、今回は私とセルマだけの出動だ。
この山も昼間普通に登ったら気持ちいいんだろうな、とか思ったが、私は断然ベッドで暖まっていた楽しいので、まぁそんな変わらないか。
「ほらほら頑張って、もう少しよ!」
「よくそんな、スルスル、行けます、よね……」
暗い山道の中、なんとか踏み入れても安全な場所を見つけては、一歩踏み出しそれを繰り返す。
無意識にやっているとはいえ、永遠と繰り返すその作業は、着実に私の精神力をゴリゴリ削っていた。
「ほら新しい魔法杖買ったのよ、伸縮自在のやつ。これがあるから随分楽だわ」
「あ、ズルい……」
1人だけ楽しているセルマに毒づくと、足元をスルスルと相棒が駆け上がっていた。
「きーさん、私も杖がほしいです……杖になってください……」
すると、きーさんはパタパタと私の頭上まで飛んでくると、そのまま私の上に飛び乗ってきた。
「ぐえっ」
「ふふっ、自分で歩けって言ってるのね」
こんな山道なんだから、手伝ってくれてもいいのにケチな猫である。
しばらくご飯抜きにしようかな。
「きーさん、じゃあせめて地図お願いします」
すると今度は大人しく、ここいら一帯を写した地図に変身してくれた。
なんて気まぐれなんだろうこいつ。
「えーっと、目的地の廃工場はこの辺のはずなんですけど」
「あれじゃない?」
セルマが指差す方向、山道に広がる切り立った崖の下を少し行ったところに、確かに茶色く酸化した建物らしき物が見えた。
周りには全体的に不気味な雰囲気が漂っているが、どうして夜の廃墟というのはこうも嫌な感じがするのだろう。
「むかし、なにかで聞いたことがあるわ。
暗闇────何が潜んでいるか分からないからこそ、人は何かが潜んでいるように思えてしまうの……
あ、自分で言ってて怖くなってきたわ」
「何やってるんですか」
とりあえず身をかがめて双眼鏡で確認をしてみる。
まぁ、一応確認はしてみたが、案の定月や星の光がある夜でも、やはり暗くて何が何だかだった。
「セルマ見えましたか?」
「見えるわよ、工場の中までは無理だけど魔術使えば短時間なら夜眼が効くの。
周りには────特に人の気配はないわね」
「フェリシアさんもですか?」
「ないわ」
ここへはフェリシアさんは辿り着いていないのか。
森の中、2人を探して足を引きずりながら彷徨うフェリシアさんを思うと、胸が苦しくなる。
「とりあえず、中を確認してみないと、2人が生きているのかも、そもそも敵が約束を守るつもりなのかも分からないわね」
「やっぱり向こうまで行かなきゃなきゃダメですか……?」
「こっからじゃ見えないもん」
セルマは簡単に言ってくれるが、それは中々「しんどい」ことである。
こんな急な崖の上り下りもそうだけど、なにしろ敵がどこに潜んでいてどこに罠を張っているか分からない状態である。
気を張ってあそこまで行くのはなかなか「しんどい」。
「グダグダ言ってないでさっさと行きましょう?
時間、そんな余裕ないわよね」
「はーい……」
ため息をつきつつも、やるしかないのでさっさと準備をする。
持ってきたロープを木に縛り、身体を固定する用意をする。
何とか下まで長さが持てばいいのだが────
「何してるの?」
「何してるのって、ここを降りる準備を────」
「いや、そんなの面倒くさいじゃない、これ使いましょうよ」
そういうとセルマは、指先に正方形の板を出現させた。
彼女の十八番の“バリア”である。
「“バリア”?」
「これを足場に、空を歩けばあそこまで行けるわよ。
こっちの方が早く降りられるし、行き来も自由。
そうね、工場の屋根からなら敵からもバレにくいんじゃないかしら?」
「あっ、そっか。お願いします」
セルマはそれに承諾すると、屋根までの一本道を作った。
一歩一歩バリアの道を踏みしめながら、ソロソロと空中を歩く。
まるで、星の下、空をフワフワと歩くような感じで、中々奇妙なものである。
「うぁ────ととと」
「落ちないように気を付けてね」
「は、はい……」
時折吹き付ける風が私を煽り、危うくバランスを崩しそうになる。
セルマが幅を広めにとってくれているので落ちることはないが、かなり恐ろしい。
「エリーちゃん、あと少しよ」
「んっ、ととと────はぁ、着きましたね」
セルマのあとをついて行き、私は何とか目的の工場の上まで辿り着くことが出来た。
「怖かったです……」
「あれ、この前私の“バリア”使って、ダスト君切ったときはなんともなかったじゃない」
あの時は、緊急のことでそこまで頭が回らなかったんだ。
まぁ、今回も緊急と言えば緊急だけど、改めて考えてみるととても怖い体験だった。
今が夜中だというのも大きい。
「帰りもこれだから覚悟しておいてね」
「うぅ、とりあえず2人の安否確認をしましょう」
「あの穴なんかいいんじゃないかしら」
みると、向こうの方に工場の屋根に経年劣化から崩れ落ちた穴が開いていた。
大きめの穴なので、侵入するにしても見下ろすにしても絶好のポイントである。
「あ、この屋根崩れないかしら」
「だ、大丈夫……だと思うことにしましょう……」
そっと穴まで近付き、中の様子を確認する。
私は暗くて見えないが、ボヤボヤと何かが光っている気がする。
「何か見えました?」
「えぇ、さっきの男が中でたき火をしてるみたい」
夜眼が効いているセルマは、下を見下ろしながら続ける。
「えっと、ムカデは────みえないわ。あっ、あれは────うん、間違いないわ、レベッカちゃんとベティちゃんよ!」
セルマが少しだけ声を弾ませながらそう伝えてくれる。
「2人の様子は?」
「うーん、意識はないけど、とりあえず息してるから生きてるみたいね。
でも傷が残ってるわね、多少出血もしてるみたい。
治療してあげたいけど今は我慢してもらわなきゃいけないわ」
「大丈夫なんですか?」
「擦り傷だけど、なんとも言えないわね……
でも今助けたくてもあの男が近くにいる、手が出せないわよ」
「そうですか……」
あわよくば2人を助けよう、などと考えていたが、そこまで甘くはなかったようだ。
しかし、とりあえず2人の生存は確認されたのだ、よしとしよう。
「敵はどんな感じですか?」
「肉焼いてるわ、肉」
「えー、私達、夕食もロクに食べてないのに……」
敵が呑気に夕食をとっている間、私達はこうして常に気を張って忙しく作業しているのだ。
そう考えると、なんだか敵に腹が立ってきた。
いや、まぁ今までは2人と安否や救出方法にしか頭が回らなかったので、多少私も冷静になったからかも知れない。
「フェリシアさんは?」
「やっぱりどこかに隠れている様子はないわね。
あと────ムカデもいない」
「え?」
敵は魔物を近くに置いていないのだろうか。
なら、今が2人を助けるチャンスかも知れない。
「セルマ、2人でかかればあの男倒せますかね?」
「いや、見えないってのは、どこかに隠れているかも知れないってこと。
こんな暗闇じゃ相手に有利すぎるわ、それは控えるべきよ」
「分かりました────」
救出できるかも知れない仲間を目の前にして、何も出来ない────
それは歯痒いことだが、危険が伴うなら仕方のないことだろう。
「まぁ、さっさと戻って私達もご飯にしましょう。
スピカちゃんとクレアちゃんにも仕事預けてきちゃったし」
「そうで──す────」
その時、一瞬のイヤな予感が背中を撫でた。
いや、
これは人間の音でも植物の音でもない、この音は────
「セルマっ」
イヤな予感に従って、セルマを引っ張り屋根の上を転がって退避すると、次の瞬間轟音が響いた。
「きゃっ!」
見ると、先ほどまで私達がいた場所から、屋根を突き破ってムカデの尾が突き出ていた。
「ば、ばれた……??」
私達は体勢を何と立て直し、ジリジリと後ろに下がる。
すると尾はスルスルと下がっていき、後には先ほどより広がった穴だけが残る。
「行ったのかしら……?」
「まだです、多分────こっちっ」
私のすぐ隣を、再び尾が貫いた。
また寸での所でかわすが、やはり肝を潰すような際どさだ。
「危なかった……」
「エリーちゃんまだ油断しないで! そこは────」
そこは、まで聞こえた時、私の身体がふ、と空中を浮かんだ。
一体何が────
「そこは屋根が崩れ安そうだから────ってエリーちゃーん!」
セルマの叫び声が聞こえる中、私の身体はどんどん奈落へ落ちてゆく。
まずい、下はかなりの高さがある、落ちたらひとたまりもない────
「きーさんっ」
慌ててきーさんを呼ぶが、きーさんも咄嗟のことでまだ屋根の上だ。
まるでスローモーションのように、身体が下へ下へと落ちてゆく感覚が背中から広がる。
全身を包み込み私の不快感を圧迫してゆく。
まずい、せめて落ちてから生きていますように────
「エリーちゃん!! 手を!!」
私が完全に諦めかけたとき、突然穴からセルマの手が伸びてきた。
慌ててそれを掴もうとするが、明らかにここまで落ちた私には届かない。
「セルマ──ごめ────っ」
「こなくそおぉぉぉーー!!」
しかし、叫び声とともにその手はみるみる私に近付いてきて、絶対に届かないはずの私の腕をしっかりと掴んだ。
「えっ────」
「しっかり捕まって、飛ぶわよ!!」
「えぇっ……??」
痛いくらいに捕まれた腕が更に力強く握りしめられ、それと同時にセルマの逆の手が光を放つ。
「これは────」
「“空を駆け行く、神風を、今我の手に、そして心に、宿り給えと、我は願わん”!! ぶっ飛べええぇぇぇ!!」
セルマの手から光を放つその手には、杖が握られていた。
無駄に長い詠唱の後、その杖は何かに押されるようなスピードで、次の瞬間的────発射された。
「わわわっ」
一瞬のうちに身体が今度は上へと舞い上がり、先ほど落ちた穴を通過した。
「んん────エリーちゃん下!!」
「え……?」
見ると、ムカデが私達を追って再び穴から這い出てきていた。
しかしそれはもう遥か下で、私達に追いつくことは絶対にない。
「あっ、きーさんは───」
「ここよ、背中に張り付いてる!」
見ると、杖を掲げているセルマの背中に、ちゃっかりきーさんが乗車していた。
よかった、ムカデの餌食にはならずに済んでいたようだ。
しばらく上がると、杖は上がる速度を落とし、空中にフワフワと浮くだけになった。
セルマに手伝ってもらいながら、私はその杖にまたがらせてもらう。
「セルマ、が杖で飛んでる────こんなことも出来たんですね」
「ううん、出来るようになったの。
凱旋祭の前からアデク教官に指導してもらいながら、つい最近やっと完成して────
2人は試したことなかったから少し不安だったけど、何とか成功したみたい!」
熱を帯びた口調でセルマが語る。
私の訓練の成果が発揮されたように、セルマの訓練も無駄ではなかったようだ。
「あ、でもちょっとキツいかも────」
「セルマぁ?」
「だ、大丈夫よ、平気平気! ってあれ? あれれれ?」
「セルマぁ? セルマぁ?」
「だだだ、大丈夫だからぁぁぁ!!」
そして案の定、力が持たずに降下していったセルマの初2人飛行は、森の半ばで急に終わりをむかえた。
その頃には大分降下していたので木に引っかかって怪我も無くすんだが、帰ってからクレアにはしこたま笑われ、スピカちゃんにはしこたま心配された。
タイムリミットまで、残り6時間半────2人の生存が確認できた。