病院の待合室、そこは異様なほどに静まり返っていた。
アデク教官、店長、そして私たちが着くより前にここにいたリーエルさん────
元々同じ小隊であるはずのこの3人が同時に対面するのは教官がこの街に帰ってきたあの日以来だが、3人がそれぞれ声をかけることはない。
元同僚なのに、今の3人はこんなにも溝が深いのか────
「………………」
「………………」
「…………Zzz」
あれ、リーエルさんだけ寝てない?
そういえば、普通に空気の読めないうえに2人と別に仲の悪くないリーエルさんが黙っているのはおかしい。
なんだ、なら喧嘩している2人が会話がないのは当然か。
そして地獄のような沈黙が永遠に過ぎてゆくかと思い始めたその頃、ようやく病室のドアが開いた。
たった今病室で作業をしていた看護師さんが、ゆっくりと出て来たのだ。
「リーエルさん、リーエルさん起きてください」
「はっ、寝てましタ!!」
はいはい、おはようございます。
「
アデク教官は出て来た看護師さんに体調を訪ねる。
「朝から変わりはないです、まだ意識は戻りません。
今はハーパーさんが付き添ってくれています。
あなたたちも、ここで待っているより中に入ってはいかがですか?
貴方達はご家族とそのご友人、ということなので、病室への入室は問題ありませんよ」
「そうか、ありがとうDr.ララ」
「また何かあったら呼んでください、患者の元に駆けつけるのがララの使命ですから」
そうして看護師さんが行ってしまうと、3人はまたうなだれる。
いつもお世話になっている面々のぐったりした様子に、私もついつい暗い気持ちになる。
「いや、ていうかエリアル。お前さん何で付いてきてるんだよ」
「え、私ですか?」
「そうだよ、3人とも帰れつったろ。なんでお前さんだけ付いて来てんだ」
「いや、何となく気になって……」
「今すぐ帰れ」
そう言って、アデク教官は病棟の出口の方を指差す。
「分かりました、すみませんでし────」
「いいえ、エリーさん。貴女にも来て欲しいわ」
引き留められ振り向くと、そこに立っていたのは初老の女性────もう一人の軍のトップ、ハーパー・モーガン最高司令官だった。
病室の外にいる私たちに気付いて出て来たらしい。
「ハーパーさん……」
「エリーさんも来たなら、一目会っていってください。
それに皆さん、気持ちは分かるけど、そこにいると他の患者さんに迷惑になってしまいますよ。
そうしてるなら、せめて中でやって頂戴」
「は、はい……」
ハーパーさんに怒られて中に入ると、アンドル・ジョーンズ最高司令官はベッドで寝かされており、空気を圧縮して酸素濃度を高める魔道具が口に当てられていた。
他にも身体の活性力を高めて身体を回復させる機器や、尿を排出するための細い管などが繋がれている。
本人の顔や体型は普段と一切変わらないのに、こうしているだけで一人の人間という物がとてもはかなく見えてしまう。
「ハーパーさん、朝からのおじいちゃんの状態を教えてほしいわ」
「そうですね、朝起きてこないことを心配して見に行ったら、既にこんな感じでした。
一時は心拍まで停止して、何とか糸は繋いだと言うところですが、今もお察しの通り芳しいとは言えないです。
元々高齢な事もあり持病もいくつか持っていましたから、充分あり得るタイミングだったと思います。
広域には老衰だと、ドクターからは診断を受けました」
「そっか……おじいちゃん……」
店長は、ベッドの横の椅子に腰掛けるとゆっくりとアンドル最高司令官の手を握った。
「くっそ、なんだよじじい! 散々オレのことバカにしやがって結局自分はこんな有様かよ!!」
「アデク、ここ病院デス。怒ってもいいけド、も少しだけ静かにしてくだサーイ」
「あ、悪い……」
リーエルさんが静かにアデク教官を制する。
珍しい、彼女が誰かをなだめることがあるなんて、思ってもみなかった。
「ちょっとエリーさんちょっとちょっと」
呼ばれる方を見ると、部屋の入口の方でハーパー最高司令官が私を手招きしていた。
「少しだけ、特に話があるわけじゃないんだけど、久しぶりに貴女とお話ししたいわ、いい?」
「はい」
促されて、廊下に出る。
あの3人だけにしておいてもよかったのか不安だが、まぁ私よりあの人たちと付き合いの長いハーパーさんがいいというならいいのだろう。
「エリーさん、来てくれてありがとう」
「いえいえ。そういえば、店長────カレンさんって、本人があまり語りたがらないので詳しくないんですけど、確かアンドル最高司令官の孫でしたよね」
「そうよ、アンドルの娘の娘に当たるわ。
以前アデクと街から出ようとしたとき止められてから折り合いが悪かったらしいけど、いざという時にはちゃんと駆けつけてくれるのね」
そういえば店長の出身、マイラー家はけっこうな名門で、貴族の界隈でも頭一つ抜きん出たブルジョア一族だ。
ドマンシーバイトのティナちゃんもそこの一族なので、何となく本人から話を聞いたことがある。
「でも、アデク君が来てくれるとは思ってもみなかったのよ。
ほら、貴女もご存知の通りアンドルとアデク君て……」
「えぇ、滅茶苦茶仲が悪かったです。
それに、カレンさんが真っ先に相談しに来るのがアデク教官だというのも驚きました」
「そうですね、それも何となく風の噂で聞いてたわ。
結局なんだかんだ言ってあの子たちもまだまだ子どもなのね────」
その後もハーパー最高司令官としばらく話していると、病室にいた3人が出て来た。
やはりというか何というか、意気消沈としており、3人ともいつもの覇気を感じさせない。
「満足できましたか?」
「あぁ、ハーパーさん、ありがとう」
「ありがとうございマース」
「……ありがとぅ」
店長は、リーエルさんに支えられていた。
今回の出来事が余程響いているらしい。
「ハーパーさん、じじいがいなくなって大変だろ。
軍の業務でオレに何か出来ることはあるか?」
「そうですねぇ、業務自体はアンドルがいなくてもしばらくは何とかなりそうですけど、一番困るのは『パーフェクト・コマンド』が出来なくなること、ですね」
「『パーフェクト・コマンド』────」
「パーフェクト・コマンド」は、いわば最高司令官だけが持つ「強制業務執行権」のことである。
軍の隊員たちは、「上からの命令は絶対」という理念を持ちがちだが、実は命令に従うか否かは本人達に基本自由が認められている。
もし意にそぐわない命令や、
しかし、軍の最高司令官が使う「パーフェクト・コマンド」は、それらの拒否権を全て無効にし、軍に所属する隊員ならばその命令を受け入れ、実行しなければならないという規則がある。
本当の緊急時以外使うことはほぼないが、その緊急時が明日起こっても不思議ではない。
「もう一人の最高司令官にやらせりゃいいだろ、『パーフェクト・コマンド』は、最高司令官2人の決議で出来るはずだろ?」
もう一人の最高司令官、世間一般には公開されていないが、ハーパー最高司令官は当然知っているはずだとアデク教官は思ったのだろう。
「それは無理ですね、
もちろん彼女がやってくれるといえば別ですが────」
「重大任務? こんな時に緊急事態に最高司令官が直々にか?」
「そうです、それにその人はとても忙しい人なので、緊急事態にいつも本部にいるとは限りませんから……」
周りに沈黙が流れる。
ありもしない緊急事態の事を話し合う大人の面々だが、やはり「何かあったとき」というのは組織として必ず配慮しておくべき点なのだ。
「ま、まぁモーガン最高司令官もそのうち目覚めるかも知れないですシ?
後任も含めて決めるのはそれからでないと何も出来ないのでハ?」
「まぁ、それが妥当、それしかない、としか言えませんね……
そうだアデク君、リーエル、カレン、あなたたち誰か後任の最高司令官やってみない?
あの闘いを乗り越えた3人なら、きっと世間も認めてくれるはずよ」
「え、ワターシはちょっと……」
「オレもヤダね、権力なんて今の身分で手いっぱいだ」
「私もイヤ、もう軍は卒業したの」
3人とも口を揃えていやがる。
バラバラの3人なのに、こんな所はそっくりだ。
「はぁ~、後任探しも含めてまた忙しくなるわね……」
愁いを帯びた目で、ハーパーさんはため息を付く。
「まぁいいわ、リーエルとアデク君は幹部の仕事もこれから忙しくなるし、頑張って頂戴。
貴女達ならまたお見舞いにいつでも来ていいから、たまにはよろしく頼みますね」
「了解デス」
「分かったよ」
それを皮切りに、3人は病棟を各々出て行く。
私もここにいたって出来ることはない、今日はもうやることもないしきーさんも先に帰っているだろうから、家に帰ろうか。
「あ、そうだ最後に────」
病棟を出ようとするとハーパーさんが私を呼び止めた。
「エリーさん、次の昇級試験は受けるの?」
「はい、そのつもりです」
「────そう、頑張ってね」
頑張ってね、か────
「ありがとうございます」
そう返事して私は、ロビーを通って病院の外に出る。
いつも通り賑わいを見せる見慣れた街────今まで最高司令官が守ってきた街がそこにはあった。