セルマ・ライト────あの日までの自分は独りぼっちだった。
生まれたばかりの時洪水で両親を亡くし、地方の村からこのエクレアという都市の孤児院に引き取られ今日までこの街で住んでいる。
もちろんこの街での暮らしは、貧乏ながらも温かい物で、誰かに虐められたり暴力を振るわれることもなく、孤児院の友達や保母さんたちもとても私に優しくしてくれたけれど。
だから、独りぼっちといっても、周りに誰もいなかったわけではない。
でもその孤児院は、子ども達同士が、周りとの距離があるような気がしていた。
孤児院と言う性質上、心に傷を負った子が多かったから?
院自体に金銭面での余裕がなく、貧乏だったので自分たちのことで精一杯だったから?
それとも、どうせ自分たちは里親に引き取られたり自立するので、信頼関係はいらないと思っていたから?
多分、全部だったと思う────全部、全部をひっくるめて、院自体によそよそしい雰囲気が常に流れていた。
だから、自分も、みんなも、独りぼっちだったと思う。
少なくとも、あの時までは────
「うぅ……ううぅ……」
13年前、セルマ・ライト4歳────その時自分は木に登って降りれなくなってしまっていた。
どうやって木に登ったか、そもそもなぜ木に登ったか、そこまでは覚えていないけれど。
とにかく、4歳の子どもである自分にとって絶望的な状況だった。
大声を出して助けを求めなかったのは、あの孤児院の雰囲気が、それをしてはいけない、誰かに迷惑をかけてはいけないと幼いながらにも悟っていたからかも知れない。
「うぅ……ううぅ……」
途方に暮れた自分は泣き疲れてしまったこともあって、その細い腕から力が抜けようとしていた。
多分、あの時落ちても、軽い擦り傷で済むような高さだったと思う────
でも幼い子どもであった自分には、たったそれだけの高さが恐怖でしかなかった。
そして、泣き疲れて体力もなくなってきた自分は、もうすぐ枝から落ちそうになっていました。
もう、死んじゃうのかな────そう思うと、再び涙があふれ出してきて、それがまた体力を奪って────
そしてついに、自分自身も諦めかけたその時、声が響きました。
「君、大丈夫──じゃないよね?」
下を見ると、一人のお兄さんが私を見上げていた。
今声を出せば助けを求められる、そう思い声を出した。
「あ……たすけ────」
しかし、喉から声が出て来ない。
このままじゃ危ないと思うのに、このままじゃ死んでしまうかも知れないのに────
「ちょっとまって、今助けるから」
「えっ……」
しかし、何も言っていないのにお兄さんは私を助けてくれる。
ひょいと身体を持ち上げ、スルスルと木を降りて、私はようやく地面に立つことがでた。
「うっ……う!!」
自分は安心からか、涙をこぼしてしまう。
「よしよし」
お兄さんは自分の頭を優しく撫でくれた。ただ、優しく────
そしてようやく涙が涸れると、なんとか声を振り絞る。
「あ、ありがとう……」
「いいよ、気にしないで。それより怪我はない?」
「う、うん……」
木に登って降りれないから助けてもらった、たったそれだけなのに、そんな彼に釘付けになってしまっている自分がいた。
「ホントにありがとう……」
「別に大したことないよ、それより君、どうして大声を出して助けを求めなかったの?」
どうしてか──言葉にするのは難しかったけれど、私は一生懸命言葉にする。
「えっと、みんなが、変だから……」
「え?」
「あのねあのね、みんな友達はいるけど凄く仲のいい子がいなかったり、いつも敬語の子がいたり、みんな仲良くないの」
自分が今まで感じてきたこと、それを率直にお兄さんに投げる。
「そっか、君は気付いたんだね……
そんなに小さいのに、ここがおかしいことに気付いたんだ」
今思えば、たった4歳の自分が、他の環境を知らない私が、なぜその事に気付くことができたのか、それは分からない。
でも、それは確かに感じていた違和感だった。
「あのね────えっと君、名前は?」
「セルマ」
「そっか、セルマちゃんか。よろしくね」
「よ、よろしく……」
「それでね、セルマちゃん」
お兄さんは、諭すように────と言うより言い聞かせるようにしゃべりだした。
「この園は、確かにおかしいと僕も思う。
君の言うとおり子ども達はよそよそしいし、それを先生もよしとしている。
他の人から見たら、きっと気付かないような事だけど、僕も今まで暮らしてきてそれは思っていたよ」
「そうなの?」
「うん、でもね────」
お兄さんは、噛みしめるように続ける。
「でもね、それは決して悪いことではないと僕は思うんだ」
「いいこともあるの?」
いいことってなんだろう──幼い私には、それは見当も付かなかったけれど。
「いいことというか、普通のことだね。
親から離れて元気でいるより、悲しんだり誰かと距離を置こうとすることの方が、自然な事だと僕は思うんだよ。分かるかな?」
「分かんない」
「そっかそっか、いつか僕の言葉を分かってくれると嬉しいな」
多分、彼は、私が分かるとは思っていなかったと思う。
今でも正直そのことばはよく分からないし、きっと当時の彼でもよく分かっていなかったのではないだろうか。
でも、自分にとって、そんな彼の思春期の見栄っ張りが、とても輝いて聞こえた。
「でももしこの園をどうにかしたいと思うなら、君が変えてったらいいよ」
「え?」
その提案は、とても魅力的なのと同時に不安いっぱいの言葉だったと、記憶している。
無力な自分に本当に出来ることなのか────
「お兄さん、自分自信ないわ……」
「出来るさ、もしかしてみんなに遠慮してるなら、心配いらないよ。
本当はここの園のみんなだって、誰かと関わりたいと思ってる子たちばかりなんだから。
君が困ったら、きっと助けてくれるよ」
「分かった、やってみる」
「少しずつ、やっていけばいい」
そうしてお兄さんは、自分の手をもう一度握った。
助けてくれたての温もり、初めて味わう、手放しに頼れる優しさ。
心の中で反芻させながら、何度も思い出した
温もりを、温もりを、そして初めて生まれた、心のドキドキを────
「あの、お、お兄さん……」
「なに?」
「お兄さん、お名前なんていうの?」
「僕? 僕の名前は────」
それが、彼との初めての出会いだった。
「僕はリフレ・エルメスだ」
※ ※ ※ ※ ※
リフレさんと出会ったあの日以来、不思議と園の違和感を、もう少ししっかり向き合ってみることにした。
むしろ、これが正しい在り方なんだと、決していいことではないけれど、ないよりは絶対マシなことなんだと。
きっと、それほど気にすることじゃないんだわ────
その日以来、彼の言っていたことを自分なりに消化していった。
そして、初めて知る、お兄さんに感じたあれが恋心だったことに────
そして時が流れ、2年後彼は園を出ることになった。
「お兄ちゃん、行っちゃうの……?」
「うん、この園は貧乏だからね、働ける奴は早く働いて、口ぶちを減らしていかないと回ってかないんだよ」
「クイブチ……?」
「君にする話じゃなかったね」
そう言うとリフレさんは、大きな手で私の頭を撫でてくれた。
彼もまだ14歳、でも6歳の私には、その手がとても大きく、そして温かく感じる。
「お兄ちゃん、また帰ってくるよね?」
「もちろん、それまで他の子と仲良くしてなよ」
「うん!」
お兄ちゃんのおかげで、もうすっかり他の子たちとも遊ぶことが出来るようになった。
それに、自分が困ったら誰かに助けを求めることも出来る。
「よし、僕がいなくても大丈夫そうだね」
「ねぇ、お兄ちゃんは何のお仕事する人になるの?」
「え、僕? そうだね、兵隊さんて言えば分かりやすいかな?」
「兵隊さん!!」
兵隊さんなら、幼い私でも知っていた。園の前をたまに通る人たち、笑顔で私達に手を振ってくれるおじさん達、あれが兵隊さんだ。
「私! 私も兵隊さんになる!!」
「え、セルマちゃんが? お花屋さんになるんじゃなかったの?」
「兵隊さんになるって決めたの!! ね、いいでしょ?」
リフレさんは少し困った顔をしましたが、やがて私に囁いた。
「セルマちゃんには一杯時間があるよ、ゆっくり焦らず決めると言い」
「うん、分かった」
その言葉を言い残すと、リフレさんは園から去って行く。
それから9年、彼はたまに帰ってきては園にお金を置いたり、物資を調達してきてくれた。
9年も経つうちに国からの補助も出るようになり、園にも多少余裕が出て来て、私達は以前のように貧しい暮らしをせずに済むようになった。
「え、私に補助金ですか?」
それは突然のことだった。来年からエクレアにある軍に就職しようとしていた自分に、園の保母さんが誘ってくださった。
「そう、補助金よ。これから2年間、貴女は勉強して、キャリアアップに有利な資格を得ることが出来るの。悪い話ではないでしょう?」
「でも……」
私は正直迷った。なにせこの園はいくら生活が楽になったと言っても、そこまで余裕があるわけでない。
それに────
「どうして自分なんですか?」
それは当然の疑問だった。なぜ私に声がかかったのか、コネも実力もない私がなぜ選ばれたのか。
「なぜって、推薦があったからですよ」
「推薦? だれの?」
「誰って、リフレ君よ」
「り、リフレさんの────!?」
その後、補助金とリフレさんの出してくれたお金によって、私は2年間勉強をすることができた。
彼に報いるためにも、必死で勉強をして、資格を3つも取ることが出来た。
辛かった日々だけれど、それでも頑張れたのは────
「よし!」
そしてこの春ついに入隊を果たした私は、今日から始まる新生活に向けてもう一度教室の前で気合いを入れる。
その後待ち受けているどんな困難でも、彼を思えば、きっと乗り越えられる気がした。
※ ※ ※ ※ ※
凱旋祭が終わり、セルマ・ライトという自分自身の生活が戻ってきた。
しかし、何もかも終わったわけではない──だから、自分でけじめを付けなければイケないと、自分に言い聞かせる。
あの日、エリーちゃんとは仲直りしたけれど、仲直りしたからと言って全てが元通りではない。
お互い、割り切ったつもりでもどうしても「違和感」というものが残ってしまう。
彼女とまたいつものように普通にお話しが出来るようになるためにも、早く関係性の修復をしなければならない。
そのためにも、自分自身で、エリーちゃんとまた仲良くしようと、心に決めていた。
まずは、彼女を食事に誘うことから。
「あ、いた」
ちょうど、暇そうなエリーちゃんが向こうから猫ちゃんをなでながら歩いてくる。
いまだ、今話しかけるんだ!頑張れ自分!頑張れセルマ・ライト!!
「エリーちゃん、あの……さ」
しまった、ごく自然に話しかけようと思ったのに、とても不自然になってしまった。
こ、ここから会話ってどうすればいいんだっけ?
えーっと、まず急に話しかけたことを謝って、違う違う、用件を先に──
それも違うか。ね、猫ちゃん可愛いね、
ダメだ、そんな話をしだしたら永遠に自分の話したいことが話せない。
えーっと、えーっと────
「あ、ちょうど良かったセルマ」
「ひゃ、ひゃい!?」
予想もしていなかったエリーちゃんからの返答に、思わず変な声が出てしまった。
ちょうど良かったって、何が────?
「明日の日の出の時間、街の門まで来てくれませんか?」