長かった凱旋祭が終わり、すぐに私たちの日常は戻ってきた。
全体としては国王の暗殺は阻止、敵の捕獲は失敗したが、死者や民間人への被害は出ず、ほぼほぼハッピーエンドと言ってもいい幕引きとなった。
しかし、もちろん私の心は優れない。
「あの日お前さんと別れたところで、オレとリーエルの記憶が、なくなっているんだ」
アデク教官のその言葉が、頭の中でグルグルと反芻して駆け巡る。
どういうことだ────?
単に忘れているだけ、それは絶対に考えられない。
ならば、何か意図的に記憶が消されているはずだ。
そしてそれは、私の頭の中にも起きていた。
ミリアと対面した瞬間、何か決定的な記憶が剥がれ落ちた────
あれからいくら考えても、それに関する記憶は一切私想起されることは無かった。
“手紙届いてたよ。さっき変な男が置いてった”
今日も今日とて、ボーッとしてたら、きーさんが届いたらしい手紙を咥えてもってきた。
「変な男? 後で読むので置いておいてください」
“いいの? なんか高級そうな匂いがするけど”
「高級そう?」
私が興味を示すと、きーさんはベッドを駆け上り私の膝の上に座った。
読めってか?
「そうですよね、そうでしたね、ボーッとしてたらきーさんにも伝わるんでしたもんね」
“嫌味っぽいなぁ”
開けたら爆発する爆弾とかだったら怖いなぁ、と思いながら、最大限に警戒しながらペーパーナイフ(きーさん)を使い慎重に開封し、中身を確認する。
〈親愛なるエリアル・テイラー女史へ。
いつも息子が世話になっている。
それと、今回のミューズでの一件では、君や君の仲間に迷惑をかけてしまった。
仕方ないこととはいえ、君には特に重圧をかけてしまっていることは自覚している。
だからこそ、私は君に対する説明責任の役割を果たさねばならない。
と言うのも、今回の騒動は予め予想されていたことだったからだ。
流石に裏からの侵入はこちらも把握していなかった誤算だが、私の暗殺が計画されており、それにミリア・ノリスが加担する可能性が高いという情報は得ていた。
だからこそ、かつて同じ師の元で学んだ君たちなら、もし彼女と出会ったとき説得できるのでは無いかと思い、隊のメンバーと共に君を護衛に組み込むことにした。
結果は私の期待とは反することになってしまったため、やはり今後も彼女はこの国の敵として認識していかなければならないことになる。
アデク・ログフィールドとリーエル・ソルビーというこの国でも随一の戦士が彼女を逃がし、尚且つ記憶を抜き取られた事については、私やアンドル最高司令官も含め知る人は少ないが、それ故に慎重な対処をしていきたい。
彼女のこの街から出ることになった一連の行為も含め、予め止められなかったこと、それは我々の責任だ。
どうか君や彼女に、最良の未来が訪れる事を願っている。〉
「これって────」
国王からだ──きーさんの言う高級そうな匂いとは、つまり王宮の空気のことだろうか。
しかし、国王からの文書は、直筆サインと、封のためのロウが王国のマークを記している必要があるはず。
としたら、これは内密に、かつ国王個人的に書かれたものか────
そしてそれと同時に、この手紙は彼にとって非常にまずい物だと言うことも分かる。
本人が書いた証拠こそないにしろ、もしこんな「王からの謝罪文」が見つかれば、ともすれば不正を肯定してしまうような文が見つかれば、この国はお終いだろう。
反対派の鎮圧が武力では出来ない事とかね────
リゲル君がこの間言っていた言葉を思い出す。
表立ってはいないが、それはこの国にも国王の反対派がいるという王族からのお墨付きだ。
少なくとも立場的には軍という組織に属している以上、国王の地位が揺らげば今の私も無関係ではいられなくなる。
「きーさん、変な男って────」
“んー、変だけど怪しい人ではなかったよ。どこかで会ったような……そうだこないだの凱旋祭前日に君と話してた男だよ”
「あー」
リゲル君か、王子本人がここに手紙を届けに来たのか。
それならば、多少手紙の安全も保証されるだろう。
しかし、それでもやはり手紙を送るのは危険なことなはず──いや、それほどまでにミリアの一件はイレギュラーなのか?
軍の裏切り者に、幹部が2人もちょろまかされて、挙げ句の果てに、その彼女の手で国王暗殺も行われてしまった。
それでも国王が、ミリアに対して厳しい対処をしない理由は、彼も何かしら彼女の離反に「違和感」を感じているからだと思う。
どちらにせよ、この国王からの「温情」にも、時間制限はある、それまでに私が何とかしろ、そういう意味もこの手紙には含まれているようで、正直恨めしい。
私は何回かもらった手紙に目を通すと、それをその場で燃やして、灰になったものを水道に流した。
手元にあるだけで危険なのだから、私の頭以外に保管しておく意味はない。
「そろそろ行ってみないとですね……」
“どこに?”
「これですよこれ」
そういうと私は、荷物からはみ出たキーホルダーを取り出す。
キーホルダーに付いている鍵は4つ。
この部屋の鍵、ドマンシーの従業員ロッカーキー、訓練場のロッカーキー、そして────
“お隣の子の部屋の鍵?”
彼女から渡された、隣の部屋の合い鍵。
いつでも自由に出入りしていいよと彼女が逮捕されるよりもずっと前に私に渡したものだ。
しかし、彼女がいなくなったあの日から私はあの部屋を訪れていない────
「そろそろ頃合いじゃないかと思うんです。色々調べて、ロイドにも頼んで、私は敢えて一番手がかりになりそうな場所の捜索は避けてしまっているんですよね……」
“は?”
思い付かなかったわけではない。ただ、行く気になれなかったのだ。
あの日から、彼女の部屋の前を通るたびに明日こそは明日こそはを繰り返し、今に至ってしまった。
「でも、この間ミリア本人に私は会ってしまいました。
なぜあの子が裏切らなきゃならなかったのか、どうして私たちの元から離れていったのか──その理由を、私は知りたいです……」
何も見つけられないかも知れない、けれど何か見つかる可能性が高い場所。
本当なら彼女が帰ってこなくなった時点で真っ先に何かあるべきだろうと探すべき場所だ。
“いや、ちょっと待ってよ”
きーさんがため息をつく私の膝に乗ってきた。。
「どうしたんですか?」
“エリー、忘れてちゃったの? あそこにはこないだ行ったじゃん……”
「え? まさか」
いや、そんなはずは無い。私はミリアと別れてから、あの部屋には入っていないはずだ。
今まで勇気が出なかった私の臆病さが原因だけれど、それを今ようやく決心したんだから。
“いや、一緒に行ったじゃない。君は
「あんな物……? きーさん、もしかして何かと勘違いしてます?」
“そんなはずないよ。もう直接見た方が早いな。隣の部屋、すぐに行こう”
そういうときーさんはそそくさとカギを尻尾に引っかけて扉の方に向かってしまった。
「あっ、まだ心の準備が……」
“ダメ、待たない”
「分かりましたって、もう」
※ ※ ※ ※ ※
彼女の部屋に入り、私は手袋をして調査を開始した。
「あれ……?」
私がまず気になったのは、ミリアの部屋がいくつか人の介入がされている点だ。
いや、もちろん私が捜査するまでもなく軍の捜査は行き届いているようであり、要所要所物の配置などが置き換わっているが、それだけではない。
その後、誰かが一回この空間で何かを家捜ししたような、そんな違和感がミリアの部屋には残っていた。
「この部屋、本当に誰かが一度入ってる……」
“本当に思い出せないの?”
「えぇ、全く……」
数ヶ月前までよく出入りして見慣れた部屋。
特に目立つものもなく、家具から魔道具、食材や雑誌に至るまでそのままだ。
でもそれから一度も、私はここへは来ていないはずだ。
“じゃあ、違和感を感じないの? それまで生活していたなら、誰かが捨てない限り野菜なんかの食材もそのままだろ”
「確かに……この部屋、食材がどこにもありませんね」
ミリアは自炊していたし、野菜も毎晩摂っていた。
それがないというのは、きーさんの言う通りやはり不自然だ。
「いや、でもあの日ちょうど切らしていたのかも……」
“ホントに?”
「────いいえ、確かにまだ残ってたはずです……」
でも、信じたくないのだ。
忘れたくないはずの記憶がこぼれ落ちている。
こんな不安なことだなんて、思ってもみなかった。
“本当に何も思い出せない?”
「ええ、まぁ」
この部屋の光景は、あの日で止まっている。
記憶の端にも、この部屋に来た光景は全く映らない。
するときーさんは、本棚から一冊の本を引っ張り出して私の目の前まで持ってきて見せた。
「これ何? なんだ、ただのアルバムじゃないですか」
“いや、よく見てみて”
正直、きーさんの言うことがよく分からなかった。
なにも──目立つ──箇所は────あれ?
『えっ、なにこれ』
“やっと思い出した?”
いや、思い出してはいない、しかし、おかしいのは分かる。
ペラペラとめくるアルバム、その写真の要所要所に、絶対に有り得ない物が。
私が見逃すはずのないものが、写ってる────
「まさか────っ」
そうだ、全てそう。
アルバムは3冊、子どもの頃の何気ない一コマ、私との写真や旅行先での変なポーズ。
でも、これもこれも、これもおかしい。
これが、こんな写真が、あり得ない、あるはずがない。
だってこんな、この人は────
「ミリアは、あの子は……騙されているんだ……」
“前回も、そう君は言ってたよ”
「えっ……?」
いや、なら違う。
もし私がここに来るのが2度目で、きーさんの言う通り、1度目の記憶が全てなくなっているのだとしたら。
そうか────
「違ったんだ……騙されたのは