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帰りたい(62回目)  失態

 お互いの荒い息づかいが聞こえてくる。


「勝った────」


 地面に大の字になって肩をゆらしつつ、路地裏の湿った空気を肺いっぱいに吸い込む。

 危ないところだったけれど、敵の猛攻を防ぎ、私たちは勝利を収めたのだ。


「エリーちゃん、ありがとう……貴女がいなかったらどうなってたことか……」


 セルマはこの間まで大声で言い合いをした相手だが、今はそんなことどうでもよかった。

 お互い無事、そのことに安堵の波が押し寄せる。


「いいんですよ、それと、改めて、今までごめんなさい。

 つまらない意地を張っていたのは私もお互い様なのに、売り言葉に買い言葉でつい────」

「じ、自分も、ごめん! エリーちゃんの言うとおり、仕事に私情を持ち込むべきじゃなかった……ううん、そうじゃない」


 セルマは首を横に振り、私に頭を深く下げた。


「貴女には八つ当たりしてた、リアレさんとの時間が自分は取れないのに、どうしてって、エリーちゃんだけどうしてって、それからそれから────むぐっ!」


 立て板に水で謝るセルマの口を、私は指で押さえた。


「これ以上謝られたら、おあいこフェアじゃないです」


 このあいだの件は、私にも問題があったのだ。

 これからお互いに申し訳なかった気持ちを引きずることはあっても、少なくとも今はおあいこフェアで留めておくべきだ。


「わ、分かったわ。今は我慢する」

「ありがとうございます。それより今はもっと大事な────」

「あれ、あの子いないじゃない!?」


 みると、先程倒したはずのダストは影も形もなくなっていた。


「に、逃げられたわ……」

「うわ、やっちゃいましたね。どうりで痛がる仕草が演技っぽいと思った」

「え、演技!?」

「少なくとも、逃げるだけの体力は残してました」


 しかし、それを引いても驚くほどの逃げ足である。

 たった数秒ほどの時間だったのに、逃げられるとは思いもしなかった。


「どうしよう、リアレさんと合流した方が良いのかなぁ? それとも追いかけた方が良い?」

「そうですね、これ以上深追いするのも危ない気がしますし、一旦リアレさんのところに戻った方が────」


 キーン──────その時、私の耳に「音」が響いた。

 耳に絡みつく、高い音────


 ボスウルフェスのあの鳴き声に似ている、人間には絶対に聞こえない「音」────

 もしボーッとしていたら、こちらに紛れた“システム・クロウ”の声だと思って、気にも留めなかっただろう。


 でも、気のせいかも知れないけれど、この音は────


「────セルマ、ちょっと先に戻っていてくれますか?」

「どうしたの?」

「いや、今何か聞こえたような……」


 確かに聞こえた────この音を────いや、このを。

 私は知っている・・・・・・・────


「エリーちゃん、どこ行くの!?」

「すみません、出来るだけ早く合流しますから」

「わ、分かった!! 先に戻ってるわ!」


 セルマと別れ、私は先程リアレさんと別れた方向とは逆方向に走り出す。



“なんかあったの?”


 手に持っていた槍が黒猫のきーさんに戻り、肩に飛び乗る。


「すみません、どうしても気になることがあって」

“いいよ、付き合うから早く行こう”


 先程「声」が聞こえた方までやってきた。

 しかし、周りを見渡してもそれらしき人影は見当たらない。


 周りには家と家の間に干された洗濯物、ゴウゴウと音を立てる換気扇、そして何年も使われてなさそうな、古いゴミ箱────試しに蓋も開けてみたが、中は空だった。

 見失った?それともヤッパリ気のせい?


“エリー、このゴミ箱底が板だよ”

「え、うそ」


 きーさんに指摘され、ゴミ箱の底を確認してみると、そのゴミ箱は確かにきーさんの言う通り底に板がはめてあるだけだ。

 隅の部分を指で持ち上げてみると、簡単にゴミ箱の底が剥がれる。


 これは────


『隠し階段だ……』



   ※   ※   ※   ※   ※



 エリーちゃんと別れた後、ダスト君を追いかけた私はとりあえずリアレさんの元に戻ることにした。

 リアレさんの事だから、今頃先ほどの3人組のリーダーらしいあのリスキーと言う女性も倒してしまい、もしかしたら入れ違いになってしまうかも知れない。


 そんな呑気なことを考えながら先ほどリアレさんが闘っていた広場まで来ると、まだ闘いが終わっていない事を自分は悟った。


 空気が張り詰めている────


「リアレさん────あっ……」


 不安を押し殺しながらもそっとその場を覗き、その光景に思わず声を上げそうになる。

 戦闘は終わっていた。しかし、自分の考えが甘かったことに気付かされる。


「【麒麟】とか呼ばれてもてはやされている幹部も、こうなってしまえば、ただの大人しい鹿ですわね……」

「く────そ────っ!!」


 リスキーにリアレさんが頭部を踏みつけられていた。

 リスキーというの女の腕をよく見てみると、その中には小さな女の子が捉えられていた。


「人質……」


 おそらく混乱する大通りから紛れ込んでしまった少女がここまで入り込んでしまい、そのままあの女に人質に取られてしまったのだろう。


 いや、それともこの近くに住む子どもだったのかも知れない、どちらにせよ残念ながら、人質がいたままでは、リアレさんは彼女に遅れを取るしかなかったのだ。


「一時はどうなることかと思いましたけど、ワタクシは運がよかったですわ」

「…………」


 今のリアレさんの表情は、とても歯痒い顔をしていた。

 自分だって同じだ、フェアな闘いなら、絶対にリアレさんが負けるはずないことを知っている。


 せめてもの救いは、人質の女の子に傷がないこと、そしてリスキーにまだ女の子を傷付ける意思がないことだろう。

 可愛そうに、人質に取られてしまった無垢な少女は、身動きが取れず、助けの声も上げられずただただ震えていた。


「散々手こずらせてくれてっ、このっこのっ!!」

「がっ!!」


 なんども、なんどもリアレさんの顔を踏みつけるリスキー。

 私は、その光景に最早耐えられなくなっていた。


「『ズルいズルくないは今さら関係ない』、でしたわね?」

「ぐっ────」


 先ほどのリアレさんの言葉を逆手に取った挑発。

 精神的にリアレさんを追い詰めてゆく。


「り、リアレさんっ!!」


 私はついに耐えきれず、私はその場に飛び出してしまった。


「セルマっ!! どうしてここに!?」


 リアレさんの目が見開かれる。


 正直今自分が出て行っても、力になれる可能性が低いことは分かっている。

 それでも、このままその場を見てやり過ごすなんて事は、到底出来なかった。


「あら、お嬢ちゃん戻ってきちゃったんですのん?

 先輩の醜態を見て、情けなくなっちゃったのかしらん?」

「醜態だなんて思わないわ、リアレさんを離して」


 しかし、リスキーは不敵に笑うだけで従ってくれるつもりは毛頭ないようだ。

 まぁ、そりゃそうか────


 こういう時、自分の周りの人間、身近な人間はどうするのだろう。


 アデク教官なら────おそらく圧倒的な力でねじ伏せるだろう。

 あの人なら、その力も技術もメンタルもあり、きっとこの状況を逆転する「運」も持ち合わせているから、それが可能なのだろう。


 クレアちゃんなら────以前の彼女なら、きっと突っ走っていた。

 しかしあの子は変わった、どうするかと言われれば思い付かないけれど、以前のように突っ走ることはないはずだ。

 もしかしたら、自分と同じように考えるかも知れない。


 あの子なら────エリーちゃんならどうするだろう?

 彼女は、自分自身に力がないと思っている謙虚なところがある。


 実際そんなことは無いかもしれないけれど、運に身を任せたり、無謀な挑戦をすることは中々ないはずだ。


 なら、こんな状況でも、彼女は一番の安全策を選ぶだろう。

 無謀な運にも過信した実力にも左右されない、より確実でより堅固な方法を────


「リスキー、だったわよね、貴女?」

「そうですわ、さっき名乗ったでしょう?」


 得意げに、その女は反応する。

 よし、こちらの話を聞くような「余裕」が、彼女にはある。


「そういえば、あのダストとかいう少年は、私達が倒したわ」

「えっ!? へ、へぇ、そうですのん……」


 話のフリに、一瞬彼女の目が揺らぐのを見逃さなかった。


「リスキー、その子には手を出さないで」

「それは分からないですわ、人質、なんですからん」


 なら、こうするしかない。今の状況を打破できる、最適解を────


「分かった、ならこの私を代わりに人質にするといいわ」


それは、賭けだった────

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