「いい加減にしてください!!」
気がつくと私は、その一言で喉が枯れるほど声を張り上げ叫んでいた。
私が最後にこうして怒鳴り散らしたのはいつ以来か、最早それさえ思い出せない。
それほどに、私がこうして声を張り上げることは稀だ。
本当は私だって怒ったり感情をむき出しにしたりはしたくないのだ。
死んだ魚の眼でボーッと口を開けて、何があっても「まぁいいか」で終わらせた方が何倍もマシだ。だって、後で後悔するに決まっている。
でも、でも────今度ばかりは。
「なんで! そんなに! 子ども! なんですかっ!!」
だから、やってしまったとは思いつつも、私の声だけが別の人格を持ったように暴走して、止まらない。
「な、なんでってエリーちゃんが何にも分かってないからでしょ!」
「分かってますよ!! セルマはリアレさんと時間が取れなくて嫉妬してるだけだって言ってるじゃないですか! 本当にそれだけでしょう!!!」
「それは────それは!!」
セルマは何か言い返そうとしたが、先の言葉が出てこなかったらしく口籠もる。
「仕事とプライベートの区別くらい付けてくださいよ!! そんなこともできないで半年近くも訓練続けてたなんて笑えますね!!」
「だって──だって……」
俯くセルマに、私は更にまくし立てる。
「そんな
「く、下らないってどういうこと!? 下らないことってどういうこと!?」
セルマが私の言葉に反応して、さっきとは打って変わりズカズカと迫ってきた。もうお互い、相手のことなど考えてはいない。
「下らないから下らないって言ってんですよ!
仕事と私情まぜこぜにして、そういう人私大嫌いです!!」
今の状況といい、今までといい、自分のことを棚上げしていることはよく分かっている。
それでも自分の中のどうしようもなく溢れる波を、私は止められなかった。
「そもそもセルマ貴女がいけないんじゃないですか!!
こんなこと言ったら何ですけどリアレさんがこの事知ったら────」
「うるさい! うるさい!! エリーちゃんなんか──アンタなんか!!」
子どものような単語しか出ないセルマと、相手の悪いところをとにかくまくし立てる私。
対照的なようで、私達はその実、同じように頭が真っ白だった。
「何ですか!? 私のせいなんですか!? 私のせいにするんですかっ!?」
「アンタなんか────アンタなんか
「えっ……」
そう言われて、私の頭に電撃が走ったような衝撃が落ちた。
私は、どこかで高を括っていたのだ。
セルマなら、分かってくれる。どんなに言い合っても、私が本当に傷つくことは言わないはず。甘えていた。
「セ────」
だから、その言葉は────
「セル……マ……」
「あっ……」
頭がクラクラする。ダメだ、このままではどうにかなってしまいそうだ。
「エリ────」
「ごめんなさい」
呟くと私は、部屋を出ていた。
※ ※ ※ ※ ※
その後、セルマが資料整理をどうしたのか私は知らない。
ただ怒りにまかせてがむしゃらに私は出て来てしまったので、後にも戻れず全てを丸投げする形になってしまった。
もしかしたらセルマが全てやってくれたのかも知れない。
彼女もイヤになって仕事をほったらかしたのかも。
でも、そんなこと今の私には関係ない。
怒りの感情に狂った私は、気がつくと訓練場のロビーのソファーに座り込んでいた。
酷いことを言ってしまった、酷いことを言わせてしまった。
後悔の感情が溢れて溢れて溢れて、ため息となって肺の奥から漏れ出した。
もうなんだか色々面倒くさくなってきた。全てをほっぽり出して、ずっと布団に籠もっていたい。
さっきの言い合いで言い過ぎたのは確実に私だ、後悔の感情に押しつぶされそうになる。
いや、でも──でも、だ─────私にだって我慢の限界はある。
確かにセルマに怒ってしまった私も悪かったかも知れないが、あの態度はあんまりではないだろうか。そもそも、恋だの憧れだの邪魔だとはいわないがそれが仕事に影響するほど私情を持ち込むというのもどうかしている。そりゃ特訓を付けて貰えるのはありがたいけれどこっちだって好きでセルマの憧れの人を選んで一緒にいるわけではないし、得に彼が男性として好きというわけではない。セルマだってその程度のこと分かるはずだしそれをあんな風にぶつけてくるというのは単なる嫌がらせややつあたり以外の何物でもなく、そこは彼女の一番悪いところであり、直すべき所だと思う。そう言うところは腹が立つしなぜ今まで直してこなかったんだろう、人間関係で困ったことはないのか?困っても直さなかったのか?そもそも最初から会ったときだって人を妖精さんだのなんだのと呼んできて、彼女は悪い意味での乙女なのだ。頭の中に花が咲いていることは別にいいのだが、それを私達に押しつけてきたり自分の思い通りにならなかったらわめき散らすところなんか、アデク教官やリアレさんに比べても子どもであり、それ以上に餓鬼なのだろう。セルマはリアレさんへの憧れで入隊したといっていたが、その程度の覚悟で軍での生活が務まると思っていたのならやはり彼女は頭に花が咲いてるし、餓鬼なんだ。今からでもd級試験を受ける前に軍を脱退してリアレさんについて戦場でも物資の補給でもどこかへ行ってしまった方が彼女のためだしお互いイヤな思いをせずにすむだろう。それに
『いたっ……!』
先程血が流れた手の甲に痛みが走り、私はとっさにそこを抑えた。
傷がまた痛んだのかと思ったが、よく見るときーさんの歯形がついていた。
「こら、何するんですか」
“落ち着いてって、ヤな感情、とんでもなく溢れてきてる”
「あっ……」
そうきーさんに言われてリアレさんが言っていたことを想い出す。
共鳴はなるべく気持ちが高ぶったら落ち着いて、嫌な感情がパートナーに流れ込まないようにする以外、まだコントロールの方法はないと。
今私は感情のコントロールが出来ずに剥き出しにセルマに怒ったことで、きーさんにその思いが伝わっていたのだ。
「すみま……せん……」
“んん、んーんんん……うん、収まってきた収まってきた、大分落ち着いたね”
「本当にごめんなさい……」
そのごめんなさいは、きーさんへの謝罪の言葉であると同時に、セルマへの謝罪の言葉でもあった。
今の私は頭の中だけでも相当嫌なやつになっていたに違いない。
“本当にらしくないね、そんなに辛かった?”
「つい、カッとなってしまって」
“まぁ、僕も人間の言葉はアデクと暮らしていたおかげで多少なら分かるし、表情で何話してるか何となく推測できたけど、後半は君もセルマちゃんも、どっちもどっちな事言ってた気がするな”
「う……」
きーさんの言葉が胸に刺さる。そっか、私が正しいと思ってあの時はああ言うことをいってしまったけど、端から見ればどっちもどっちなんだな。
「申し訳ない、私ここ最近きーさんに迷惑ばかりかけてますよね」
“いや、いいんだよ。それにあの麒麟の男が言うには、慣れれば感情が高ぶったときでも僕らの気持ちは同期しないように出来るんでしょ?”
「そうですね」
“すぐにあの男みたいに合体することじゃなくて、感情のコントロールを最初の目標にしてみようよ”
そうだ、たしかにこの間リアレさんに“精霊天衣”を見せられて私も強くあれが印象に残ってしまっていた。
でも、彼らもあそこに至るまでには色々な回り道や、遠回りがあったはずだ。
まず私たちは、この感情のコントロールをする回り道から始めなければならない。
「分かりました、第一目標ですね」
“そうだよ、カッとなっちゃうのも時には必要かもだけどさ、さっきの君だって良くなかったって”
「ご、ごめんなさい……」
そうしてきーさんは私の手の甲の噛み後を肉球で撫でながら呟いた。
“目標だよ、
「きーさん……」
正直、感動した。きーさんとは一番近くにいて一緒に暮らしている分、家族みたいな物。
いつも照れくさくなってこうして腰を据えて話す機会が少ないけれど、いざ落ち着いてみると、中々きーさん自身も私のことを考えてくれているのだ。
私はそんな優しい子猫を抱きかかえ────ん、まてよ?
「きーさん、もしかして私に知られたら不味い感情とかがあるんですか?」
“ん? なんのことかにゃあ?”
あからさまな語尾。
そして明らかにそのエメラルド色の瞳がきーさんの目が泳ぐ。
「……そろそろ発情期でしたっけ?」
“分かってるなら言わないでよ!!”
なんだ、感動して損した。
きーさんはただ発情期の感情を知られるのが恥ずかしくて、早くこの問題にけりを付けたかったのか。
“もう、本当に君はデリカシーないんだから”
「ごめんなさい」
私は笑いながら答える。
しかし、きーさんが怒ったと同時に、私の中に少し恥ずかしくて腹の立つ気持ちが流れ込んできたのが、今確かに分かった。
もしかしてこれがきーさんの感情か。
だったらきーさんには今まで、本当に不快な思いをさせていたことになる。
ならば私もコントロールを出来るようになるのは早い方が良い。
初めて決めたパートナーとの目標は、私の中で確かな物となる。
外を見ると、空はもう夕焼けだった。少し肌寒い。夏が終わり秋が来る。
そして─────凱旋祭が、始まる。