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帰りたい(52回目)  いい加減に


 セルマが機嫌が悪かった日の午後も、訓練はいつも通りある。


 どんなに気が滅入っていても、やる気より時間がない方が問題な私にはやらなければいけないことをしない選択肢など、どこにもないのだ。


「全然集中できていないね」

「そ、そうですか?」


 私の様子を見かねたリアレさんは、ため息をつくように私を嗜めた。


「“魔力纏”はいつも通り順調なのに、“魔力共有”はイマイチだ。

 心が乱れている証拠かな、そんなんじゃ精霊との心も揃わないよ」


 いや、そもそも友人にあんなこと言われたすぐ1時間ほど後だ、集中と言われてできる方がどうかしている。


「何か昼休みにあったの?」

「え、えぇまぁ色々と……」


 言葉を濁す私を、彼はそれ以上追求しない。

 もし追求してきたらいってやるつもりだったのだが、


 何が原因て、貴方ですよね────


 しかしそれを言ってもどうにもならないので私は言葉をつぐむ。


「リアレさん、精霊と心が乱れていることって“魔力共有”がうまく行かないことどんな関係があるんですか?」


 彼も集中できていないことに関しては追求する気はないようなので、私も割り切るだけ割り切ってしまうことにした。今は忘れる努力をしよう。


「あーなるほど、まだ説明してなかったかも。

 そうだねぇ、ほらテイラーちゃん、君が機嫌が悪かったことできーさんと喧嘩しちゃったことないかな?」

「え、それは────あり……ます」


 聞かれて戸惑う。リアレさんが言うような事はままあった。

 言葉が通じる分きーさんとは口喧嘩にもそれなりに発展しやすいのだ。


 この間もミリアの部屋に入る前にきーはんと喧嘩をしてしまったばかり。

 普段は上手くやっていても、どうもあの相棒とぶつかってしまう時がしばしばある。


「大抵私がきーさんに当たってしまって────」

「いや、一概にそうとは言い切れないんだ。

 精霊と契約すると、感情が共鳴するからね」

「共鳴?」


 共鳴、知ってはいても私生活ではまず使うことのない言葉に、私は思わず聞き返す。


「そう、共鳴。契約した精霊と人間は、どちらかが強い感情を感じるともう片方にもその気持ちが移ってしまうことがあるんだ」

「あっ」


 私にはそう言われてピンとくる節がいくつかあった。


「じゃあ、あのきーさんと喧嘩してしまったのも……」

「うん、君が元々機嫌が悪かったならそれがきーさんにも伝わって、お互いが機嫌悪い状態になったことが原因だろうね。

 お互い嫌な気持ちになれば、そりゃ喧嘩にもなるさ」


 そういえばあの時は、確かきーさんを撫でているうちにお互いの喧嘩が落ち着いたのだったか。

 そう考えると気持ちが共鳴、つまり同調していたというのは十分納得できる話だった。


「じゃあつまり心が乱れていると“魔力共有”がうまく行かないって言うのは?」

「“魔力共有”をするときはお互いの息を合わせなきゃいけないだろう?

 どちらかの気持ちが揺れていたら、共鳴してお互いの気持ちがガタガタになっちゃうよね」


 そう言われると、今日の私の気持ちはブレブレだ。

 セルマのせいでえらい複雑な感情になっている。


 それがきーさんにも伝わっているから、今日はうまく行かないということか。


「だから“魔力共有”する時は一回落ち着くこと、いいね?」

「はい」


 リアレさんの指導に思わず背筋が伸びる。


「あっ、そうそう、それともう一つ共鳴と言えば。

 こないだ“精霊天衣”をした後に僕があくびしてしまったの覚えている?」

「えーっと……多分、はい」


 確か一度だけれど、“精霊天衣”の後リアレさんは疲れた様子で会話の途中、あくびをしていた。


「あれって確か、精神力を使い果たしたから、でしたっけ?」

「うん、それも原因の一つなんだけれど、フィラメントと感情の共鳴をしていたって言うのもあるんだ」


 そういうと、リアレさんはポケットほコツコツと叩いた。

 確かあの場所にはケースに入った彼の相棒、“零細・麒麟”のフィラメントが眠っているはずだ。


「“零細・麒麟”は本来、一日の活動時間が一時間強、後はとにかく眠っているって性質でね。

 この間“精霊天衣”していたときも無理矢理起こしてしまったんだ」


 少し申し訳なさそうにリアレさんは言う。


「て事は……フィラメントの眠気と共鳴してリアレさんも眠くなったって事ですか?」

「そうそう」


 なるほど、強い気持ちと言えば喜怒哀楽をイメージしがちだが、眠気や怠惰的な感情も強ければ共鳴してしまうのか。

 じゃあきーさんがいつものんびりしてるのって私のせいかも知れない。


「あと、共鳴は眠気や強い感情以外にも起こりえるんだよね。

 珍しい例だとフェロモンや異臭をまき散らしたって例も確認されてるよ」

「い、異臭を……」


 想い出す、“迷いの森”での騒動。

 あの時は自分でも気付かなかないほど微量だったが、あのくさい匂いを街のど真ん中でもまき散らしている人がいるかと思うと、ぞっとしない。


 きーさんが異臭をまき散らすわけではないが、気持ちの暴走を私がしてしまうかも知れない以上、きーさんとの気持ちの共鳴はどうもデメリットばかり感じてしまう。


「あの、それってコントロールするにはどうすればいいんですか?」

「うーん、完全に切り離すのは難しいよ?

 なるべく気持ちが高ぶったら落ち着いて、嫌な感情がパートナーに流れ込まないようにする、以外ないかな。

 完全にコントロール出来れば“精霊天衣”も目前なんだけど」


 答えにならないような答えだ。

 もしきーさんと気持ちが共鳴しているなら、もしかすると私の嫌な部分も、きーさんには伝わっているのかも知れない。


 セルマに対する嫌な気持ちも、早く忘れてしまいたいのに、相棒には伝わってしまっているのだ。

 私のせいできーさんまで気分が悪くなっているかと思うと、なんとも申し訳ない気持ちになるのだった。



   ※   ※   ※   ※   ※



 セルマが私に怒鳴った日から、彼女に会う機会は何度かあったが、私に対する当たりは日に日に強くなっていった。

 機嫌の悪さは、一時的な物ではなかったようだ。


「セルマ、私何かしました?」

「知らない」


 話しかけてもそっぽを向いてしまう。


 言葉をかけても返ってくる返事は一言二言。

 事務的な会話でさえ成り立たないときもある。


「ねぇ、本当に何か────」

「エリーちゃんがしたと思えばなんかしたってことなんじゃないの!?

 機嫌悪いと思うなら自分で考えてよ、私が知るわけないじゃない!!」

「…………」


 そう言われていい気分がする私ではない。いや、すごく感じ悪い。

 まぁかくいう、私も口では彼女にそう聞きつつ、本当の原因は分かっているのだ。


 でもそれが私ではどうにもならないからこそ、どうしようもないからこそ、理不尽な理由でセルマが怒っているようで私もうんざりしてしまう。


 その後セルマと2人で資料整理をする機会があった────


 普段なら何気ない会話をして、何か話題があればそれなりにお喋りもするが、今日はお互いに沈黙を貫いていた。


 でも、この機会に彼女と話を付けなければ。いつまでもこのままはまずい。

 だから私はセルマに話しかけるタイミングを伺っていた。


「セルマ、そこの資料取ってくれませんか?」

「…………」


 会話のきっかけになれば────

 私は小声でセルマに頼んでみるが、無視されてしまった。


「あの、忙しいならいいんですけど……」

「はいっ」


 セルマは2度目は無視せずに資料を渡してくれたが、その反応には無視よりも悪意が込められていた。


「あっ……」


 乱暴によこされた資料は、机の上を滑って床に落ちる。

 何枚かまとめてページ順に整理されていたが、バラバラになってしまった。


「ちょっとセルマ……」

「…………」


 まぁいいか。私は資料を拾い上げると、軽く埃をはたいてから順番通りに並べ替えた。

 また話すのは今度の機会にしよう。



 セルマと帰りがけに鉢合う機会もあった────


「セルマ、あの、明日の予定でアデク教官から伝えて欲しいと言われたんですけれど……」

「─────ちっ」


 私が話しかけただけであからさまな舌打ち、私にわざと聞こえるようにしているところがタチが悪い。


「え、えっと明日は授業が始まるのが少し早くて8:30から────」


 言い終わる前に、セルマは黙って部屋を出て行ってしまった。

 困るのは自分なはずなのに、今は私と話す方が嫌らしい。


 まぁいいか。二度手間だけどクレアに頼んで伝えておいてもらおう。

 私は釈然としない気持ちでロッカールームを後にする。



 セルマと廊下ですれ違う機会があった────


 向こうが話したくないなら、私から用事がない時わざわざ話しかけるのはよそう。そう思い始めた矢先だった。


「いたっ」

「…………」


 すれ違うとき、彼女と肩がぶつかってしまう。

 いま少しボーッとしていたかも、周りに注意して歩かなければ。


 だって、わざとセルマがぶつかってくるはずないんだし────


 念のために通り過ぎる彼女の背中に私は声をかける。


「セルマ、今のわざとじゃないですよね?」

「…………」


 まぁいいか。私はそのままセルマを見送った。



 そんな日々がしばらく続く。

 凱旋祭が近付くにつれ、彼女の私への嫌がらせもより明確な物になってきた気がした。


 まぁいいか、まぁいいか、を心の中で繰り返す日々。


 まぁいいか、まぁいいか、まぁいいか────



 よくねぇよ。


「リアレさんのことですよね」


 我慢の限界だ、私は再び二人きりになったとき、ついにセルマを問い詰めた。


「……何が?」


 彼女はこちらを見ることなく作業中の資料整理を進める。

 しかし集中し切れていないのか、こちらに興味がないふりをしても、手元の資料整理の速度が落ちていることを私は見逃さなかった。


「せっかく久しぶりに会えた憧れのリアレさんが、私といる時間の方が長くて焼き餅妬いてるんですよね」


 不意を突かれたセルマは興味ないそぶりを突き通せずわずかにこちらを見たが、すぐに目線を戻した。


「────違うわよ」

「違わないですよ、セルマは自分勝手に私とリアレさんの事が気になってるんです」

「違うってば!」


 大声で怒鳴るセルマ。

 いつの間にか作業の手は止まり、こちらを睨んでいた。


 その目には涙さえ浮かんでいる気がする。

 彼女の怒りが、興味ない振り、聞こえない振りを押しつぶして私に迫ってくる。


 しかし、感情的に怒る彼女など怖くない、私は怯まずに続けた。


「違わないです、いい加減子どもじゃないんですからそれくらい割り切ってください、私だって我慢の限界なんです。

 恋心かなんか知りませんけれど私情を持ち込まれてもこっちは────」

「違うって言ってるでしょ!!」


 そう叫んだセルマが、手に持っていたペンを私に投げつけてきた。


 飛んできたペンの先が私の左手に当たり、そのまま部屋の後方へ滑るように消えてゆく。


「いっ────」


 肌に擦れた黒のインク、わずかに抉れた手の甲の皮膚。

 そして滲む赤い液体────痛い。


「あっ、ごめ────」


 セルマが聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

 手の甲から滴った真っ赤な雫が、一滴、二滴と床に垂れて、いびつなシミを作る。


 痛い、痛いけど────

 落ち着いて、落ち着いて、落ち着いて────


 私は自分から流れる血から目を背け、深呼吸をして冷静になる。

 ここで私が言い返しても、意味がない。


 今落ち着いてセルマを諭せば、きっと彼女は分かってくれるはずだ。

 少し怪我をしただけ。しかもセルマは私に申し訳ないと思っている。


 これはお互い冷静になってゆっくり話し合うチャンス、だからそれを逃す手はない。

 2人で冷静になればこの数週間の誤解も、イライラも、嫉妬も、反骨心も、口の中の苦い何かも、全てきれいさっぱり取れるはず。


 明日からは元の関係、とまではいかなくても、この気まずい状態からは逃れられるはず。


 そうだ、それがいい、全てが完璧。

 また私が我慢すればいいだけの話だ。


 じゃあ、まずは最初の発言に気をつけなけいと。


 私はセルマと仲直りしたいのだから────


「いい加減に────」


 あっ


「いい加減にしてください!!」


 気がつくと私は、その一言で喉が枯れるほど声を張り上げ叫んでいた。





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