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帰りたい(33回目)  精霊保護区と精霊たち

 草原を抜ける風が気持ちいい。


 相棒を迎えに行くと言ったアデク教官は、管理人さんとともにスゴイ勢いで山の見える方角へと走っていった。

 管理人さんの背中に乗るか乗らないかの一悶着合ったが、どうやら乗せる本人がいやがったようで、アデク教官は足での移動となった。


 残された私達は、案内された来客用のロッジに荷物を置くと、時間をつぶすために外に散歩に出てきた。


「ここの全体の地図借りてきましたよ~」

「え、見せて見せて!」

「なんでも教官たちが走って行ったあの山の向こうには湖やジャングルなんかもあって、それ全部が保護区の一部みたいです」

「うわぁ~、すげぇ広いな。そこまでして精霊って管理する必要があるのか?」

「ありますよ、精霊はサウスシスの宝とも言われるほど人々の生活には欠かせませんからね。

 種を途切れさせないように、一定量はこういった地区を作って護る必要があるんですよ」


 まぁ、自然の弱肉強食の中で精霊同士がどう生きていくかは別として、少なくともこの公園に人の手が加えられることは少ない。

 そういう意味では精霊である管理人さんも、この土地の精霊のバランスを取る役割を、精霊自身で担っていることになる。


 いわばここは精霊たちだけの小さな「国」という見方も出来るかも知れない。

 管理人さんが政治やら外交やらの役割を持ち、外の人間の住む「国」とはほぼ鎖国状態。

 外から手を加えることなく、自分たちを護り続ける檻────檻とは時に、自分たちを護るためにも必要なのだ。


「ねぇ、でもここって他の動物がいたら、あまり意味はないんじゃない?

 人間じゃなくても他の動物が介入しちゃうんじゃ……」

「いや、ここには精霊以外いないそうですよ。

 四方は完全な壁に囲まれていて、私達みたいなゲストも簡単には入れない、陸の孤島状態ですね」

「詳しいんだな、あんた入るときはここのこと自体知らないみたいだったじゃんか」

「小屋で配ってたパンフレット見たんですよ。ほらこれ」

「え、どれどれ……って、なんだ。この部分音読しただけじゃないか!」


 そりゃそうだろう、君は何を期待してたんだ一体。


「あれ、でもあそこにいるバッタ見てみろよ。普通のバッタじゃんか。虫は普通にいるんだな」


 草むらの陰からぴょこんと出てきた大きさもごく普通のバッタにクレアが近づく。

 どうやら抜き足差し足で近づいて、素手で捕まえようとしているようだ。


「あんまりいじめちゃかわいそうよ」

「昔から虫を傷付けずに捕るのは得意なんだ……」


 充分に近づいたところで、クレアは手を伸ばす。

 するとバッタは、ぴょんと一歩逃げる。

 どうやら手を伸ばすクレアに気付いたようだ。


「あー、気付かれちまったか。ってうおおあぁぁーー!!」

「どうしたの!?」

「ばばば、バッタが!!」


 そこで私達は確かに見た。先程のバッタの頭上に金色の輪っかがかかり、垂直にゆっくりと空に昇っていく姿を。

 その姿はまるで天使で────


「え、えええええ!? ししし、死んじゃったのか!?」

「ちょっと! 一体あのバッタに何したのよ!」

「何にもしてねぇよ!」


 近づいただけで死んでしまったバッタに焦る2人。

 結構不味いことをしてしまったんじゃないだろうか?


「えええ、エリアル! どうしようエリアル!!」

「えー、私ですか?」

「リーダーだろ!? 何とかしてくれよ!!」

「……」


 こんな時だけリーダーかよ、とも思ったけどクレアの慌てようからガチで焦っているようなので、仕方ない、助け船を出してやるか。


「ロッジにあった本をきーさんに記憶してもらっていて良かったです。きーさん、さっきの本よろしくお願いします」


 持ち上げると、きーさんはもにょもにょと本の形に変わっていく。


「それは……?」

「『詳しく分かる!精霊大図鑑neo』という図鑑です」

「随分と直球な本もあったものね……」

「でも内容は保証できそうですよ。

 あ、あったあった。さっきのは“エンジェル・バッタ”という精霊の一種ですね。

 外敵が近づくと天使みたいに空に昇っていくそうです。

 空に昇るのは逃げる手段というだけで、本当に死んでしまったわけではないようですよ」

「そ、そうなのか、よかった……」

「び、ビックリしたわ……なんかせっかく天使なのにバッタって、少し不憫な生き物ねぇ……」


 “エンジェル・バッタ”の飛んでいった方向をボーッと眺め、太陽に刺激されたセルマは軽くくしゃみをした。

 草原に風が吹いて、のどかな時間が流れる。


「あー、さっきのバッタみたいな精霊、まだいないかしら」

「さっきのはそこの草むらから出てきましたね」

「どれどれ……」


 少し背の高い草むらをかけ始めたセルマ。

 女の子は虫が嫌いな子が多いけれど、あまり気になるタイプではないようだ。


「あ、いた、ダンゴムシ! ダンゴムシなのにオレンジよ。 ほらほらこれ────イタっ!」


 かがみ込んだセルマは、草むらに隠れていた何かに頭をぶつけて上を見上げた。


 そこには木────の影から姿を現した何かが見下ろしていて─────



「ぎゃあぁぁぁぁーー!! クマーーーー!!」


 セルマがぶつかったのは、黒い毛並みを持つ後ろ足で立ち上がった、巨大な巨大なクマだった。


 それはそれは巨大、多分この中で一番背の高いクレアの倍はある。


 先程までは少し背の高い木と草むらに隠れて見えなかったが、あの大きさは精霊でなければまず有り得ないだろう。


「セルマ下がれ!!」

「ひぃっ!」


 クレアとセルマがクマと距離を取り、臨戦態勢に入る。

 するとクマはうなり声を上げ始めた。

 心臓ごと震えるような鳴き声が響き渡る。


「お、襲ってくるのか……!?」

「あんなおっきなクマ勝てないわよ!」


 するとクマは前足を振り上げ、その鋭い爪を私達に向け────ずに目頭を押さえた。


「え?」


 そして大きな声をあげて涙を流し始める。

 その姿はまるで幼稚園児のようだ。


 うおーんうおーんと、嗚咽とも叫び声とも取れるような声が響き渡る。


「えっ、え!?」


 私とクレアは混乱したが、セルマはさらに混乱しているようだった。

 なにせぶつかっただけであの巨大が声をあげててびーびー泣き始めたのだ。


「えー、っと……痛かったの? ご、ごめんね? ごめんね!?」 


 慌てるセルマ。

 先程から引き続き、私はきーさんの変身した大図鑑をめくる。


「この子は~あ、これですこのページ。この子は“クライ・ベアー”ですね。外界からのストレスがあるとすぐに泣き出してしまうそうです。

 力は強いけれど人は滅多に襲わない性格で、しかもあまり人前には姿を現さないそうですよ」

「じゃあなんで自分たちの前に出てきたの」

「私達が楽しそうに話してたから気になって出てきたらセルマに泣かされちゃったんですかね?」

「え、これって私が悪いの!?」


 セルマのその大声に反応して、クマがビクンと身体を震わせ、さらに大きな声で泣き出す。


「わ、わー! ごめん! ごめんなさい!」

「ちゃんと泣き止むまで面倒見ろよ~」

「泣き止ませるのにはコツが必要らしいですよ~、頑張ってくださ~い」

「え、ええ!? こ、コツって何!?」

「そこまで書いてないですね」

「そんなぁ~……!」


 明らかに「面倒くさい」と「困った」を掛け合わせたため息をつくセルマを、私とクレアはその後しばらく笑いながら眺めていた。

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