もうすぐお昼にさしかかろうとしたとき、事務室でベルが鳴った。
けたたましい音が耳に響く。
「うるさいぞマイラー! 早くこの音を止めろ!」
「あう────
上司に怒鳴られ
うるさい音が止まりやっと一息つき振り返ると、私に指示をした先程の上司は悠々と弁当箱を開いていた。
大きい声で怒鳴り散らすだけで自分は偉いと思ってる人なので、私は正直この人が大嫌いだ。
まぁ、今日は私が友達と交替で勤務するため早めにお昼をいただいていたので、私がやることに変わりはないのだが。
「迷子か、珍しいな。私が行くゾ?」
丁度私との交代のために戻ってきたルーナが気を使ってくれる。
「いや、いいよ。ルーナはもうすぐお昼でしょ」
「そうか、気をつけるんだゾ」
相づちを打ち、私は司書室を出た。
「にしてもベルが鳴るなんて珍しいな」
私は一人言のように呟きながら図書館の階段を下りる。
※ ※ ※ ※ ※
ここはエクレア国立大図書館。この国の知識の全てがここにあるとまで言われるこの図書館には、その蔵書量に見合うだけの広大なスーペスが存在する。
図書館は中は迷路のようになっていて、だからたまに帰り道が分からず迷ってしまう人もいるのだ。
しかしそんな迷子さん達が野垂れ死んでしまい、腐ったミイラが発見されたなどと言うことになったら一大事。
その対策として、非常ベルを至る所に設置しており、それを押すことで私達司書が助けに駆けつけるというわけだ。
今回も誰かしらが迷子になったのだろう──私はエレベーターで下りて、ベルの押された階にたどり着く。
この辺は魔術やら魔道の研究本があり他と比べても膨大な量の蔵書数を誇るため、特に迷いやすい階なのだ。
薄暗い道を右に左にと進む。ここに入ったばかりの頃は不安だったが、今ではすっかり図書館内の移動も慣れたものだ。
押されたベルはこの辺か──到着すると、近くには一人の男性が椅子に座って本を読んでいた。迷子になったクセに呑気なものである。
「お待たせしました、国立図書館司書のティナ・マイラーで────」
「おっ、やっと来たか」
「す!?」
不覚にも、話しかけてから気付く。私はこの男性に見覚えがあったのだ。
「あっ、貴方は確か────アデク・ログフィールドさん……でしたっけ?」
そう、確かこの前うちのお店に来て事件を起こしたあの────
「え、君誰だったかな? 会ったことある気がするけど思い出せねぇ」
私はその言葉にカチンときた。まぁ、会ったのはあんな騒ぎの中だし忘れていても仕方ないだろうが、それを堂々と公言されるのは凄く癪だ。
「まぁ、いいです。早いところ────」
「マイラーってことはカレンと同じ苗字──あ、想い出した。
お前さんそういえばこないだカレンの店で働いてたバイトの子か。リタを呼びに行ってた子」
「そ、そ、そう、ですけれど」
今さら想い出してもらっても、私のログフィールド氏への怒りは消えていなかった。むしろ言葉を遮られて腹立たしい。
「こないだはご来店ど、う、も!!」
「あぁ、べつに」
先日、この男は私のバイト先兼下宿先であるカフェ・ドマンシーで大暴れをした張本人だ。
いや、正確には
そもそもこの男が店に来なければあんなことにはならなかったんだし。
「非常ベル押したって事は、迷子になったんですよね。案内するので早く帰りましょう」
「まてまてまて、そう焦るなって。オレは迷子になんかなっちゃいねぇぞ」
「はぁ?」
じゃあ何か、悪戯か?舐めてんのか?私達を。
「邪魔したいだけなら用はありません、さようなら」
「待てって、お前さん本当に人の話聞かないな! さっき、ここで女の子を見たんだよ! だからベルを押した」
「女の子……ですか?」
「そう、女の子。10才に、ならないくらいの。
見つけて声をかけようと思っが、見失った」
女の子がいただけで通報したのか?何考えているんだ。
いや、もしかしてこの男が女の子に通報されたんじゃ──私はますますログフィールド氏に警戒心を強める。
「ここのエリアは13歳未満は保護者の同伴無くして立ち入り禁止です。見間違いじゃないんですか?」
「立ち入り禁止だし、見間違いじゃないからベルを押したんだろ」
なるほど、つまり迷子を見つけたので、それを私に探させようとしているのか。
確かに小さい女の子をここに入れてしまったのは私達司書の責任だし、それを自分たちで探せというのは妥当だ。
正直こんな男に
「分かりました、ご協力ありがとうございます。ここからは私が捜索しますので────」
「いや、オレも探す。見つけたのも見失ったのもオレだし、ここで放り出すのはお門違いだろ」
「いや、しかし────」
私は迷った、この男をどう追い払おうかと。
でもここで私がそうですかとこの男を置いて捜索を始め、この男の方に再び少女が現れても面倒だ。
それにこの男には色々、聞きたいことがあった────
「分かりました、ご協力感謝します」
「いや、いいよ────」
「その代わり! そ! の! か! わ! り!! 絶対に邪魔しないでくださいね!?」
「しないよ! 君、本当にオレのこと嫌いだな!」
当たり前だ、なにせこの男はおねーちゃんの敵なのだ。
私はわざと、この男────ログフィールド氏がついて来れないよう、早足でその場を後にした。
※ ※ ※ ※ ※
その後女の子の捜索を始めたが、それらしき影は中々見つからない。
それどころか、いくら早足で歩いてもログフィールド氏は私に付いてくるし、振りきろうとしても振りきれず、ついには私が観念してしまった。
「あの……おねーちゃんとどういう関係なんですか?」
私は沈黙に耐えきれなくなってついに口を開いた。
この男と話すのは嫌だが、気まずさがそれを上回ったのだ。
「おねーちゃん?」
「あっ──カフェ・ドマンシーのカレン・マイラー店長です」
私はとっさに言い直す。私達の関係を知らない相手と分かっていても、ついついいつもの癖が出てしまったのだ。
「おねーちゃん、おねーちゃん────苗字もカレンと同じみたいだけど、あいつの妹────じゃねぇよな?」
「いや、おねーちゃんと言っても、私達は
「そうだよな。あ、じゃあ君はあのじじいとも────」
「って、なんで貴方にこんなこと話さなきゃならないんですか! それより質問に答えてください!」
この怒り方は少し自分でも理不尽かとは思ったけれど、無視した方も悪い。
まず私の質問に答えるのが筋なはずだ。
「あぁ、まぁ元々軍で同じ隊だったんだよ。それ以上でもそれ以下でもないから」
「ならどうして、この間みたいなことになったんですか?」
「まぁ、ちょっとした行き違いでお互いカッとなっちまったから、かな?」
「ほんとうですかぁ?」
正直、私の中ではこの間のことは十中八九ログフィールド氏が悪いと信じていた。
おねーちゃんとログフィールド氏が言い争いになっている時はリタさんを呼びに行っていて詳しい内容を聞くことは出来なかったけど、この男はおねーちゃんを泣かせるようなことをしたのだ。
「なぁ、こないだ店で起きたことはカレンから手を出してきたことだろう?
なんで殴られたオレがそんな邪険にされるんだ」
「おねーちゃんは訳もなく人を殴る人じゃありません。
身内があんなに嫌っている人なら当然良い感情抱かないのは普通ですよね?」
「まぁ、な……」
「それに店内をあんなにして、あとで大変だったのリタさんだったんですからね!?」
そう言い放つと、男は流石にバツの悪そうな顔になった。
「あー、店に迷惑をかけたことは悪かったよ。せめて感情的になる前に場所を変えるべきだった、スマン」
「本当ですよ!!」
図書館の利用者にこれだけ文句を言うというのは初めてだが、この人は私にとって因縁の相手なので、ガンガン言わせてもらう。
「分かったらこの後おねーちゃんに謝りに来てくださいね!」
「え、何でそうなる?」
「このままあの話題に触れられない私達の気持ちにもなってくださいよ!
おねーちゃんに謝って、仲直りして、もう会わないで!」
「嫌だね、オレが悪いわけじゃないし」
目を背けるログフィールド氏、いじけた姿もますます腹立たしい。
それに、さっきいってることと違うではないか。
「嘘つき! さっきは自分が悪いって言ったじゃないですか!!」
「店側にはな、アイツにはこの件に関しては悪いとは思ってねぇよ」
がああぁぁーーーーーーーーっ、ムカツク!!
本気で人をおちょくるつもりらしい。
「ていうか本当に女の子なんていたんですか!?
図書館の妖精さんの都市伝説に似てますけど、まさか悪戯じゃないですよね!?」
「はぁ? 何だそれ」
本当に知らないという顔で男は答える。
「『小さな女の子の亡霊が目の前を歩いていて、ついて行くと大聖堂の入り口まで連れて行ってくれる』って噂ですよ。知ってて悪戯でベルを押したんじゃないんですか?」
それを聞いて、ログフィールド氏はしばらく考え込む。
「あー、思い出した。『図書館のどこかに巨大迷路が広がっていて、その奥に伝説の精霊を封印する鍵が眠っている』って噂なら聞いたことがあるな。ただそっちは全く心当たりがない」
あぁ、確かにそちらの噂も聞いたことがある。
亡霊も大神殿も正直信じていないが、この図書館の司書の間で知らない者はいないだろう。暇つぶしのネタにはもってこいなのだ。
「オレがその噂を聞いたのは何年も前だが、噂ってのは変わらねぇもんだな」
「本当ですか? まさか探してみたらエリーちゃんだったなんてオチじゃないですよね!?」
「エリーって、エリアル・テイラーか? なぜあいつが出てくるんだ」
「それは────いや、やっぱいいです」
彼女のことを説明しようと思って止める。
エリーちゃんがこの図書館をよく利用すること、そして新人の司書の仕事を時々手伝ってくれること、そしていつの間にかいなくなっていること────そのせいで彼女が【図書館の妖精】と司書の間で呼ばれていること。
一からの説明が面倒くさいし、億劫だ。
それにあの子は私より一つ年下でそろそろ17歳になるくらい。
10才より小さい女の子ではないし、小柄だけれど年齢に大きく反するような見た目もしていない。
何より胸が────とにかく、見間違うはずがない。
それに正直この人とはあまり会話をしたくないので、そんな盛り上がりそうな話は避けるべきだろう。
「あ」
「うぇぶっ!! きゅ、急に止まらないでくださ────」
「いたぞ」
不意にログフィールド氏が足を止め、呟いた。
「いたって何がです」
「あそこ見てみろ。女の子、いるだろ」
「え? 女の子なんてどこにも────」
いた。長い金髪に赤いドレス、とても顔立ちの整った少女が、そこに。