かぽーん。
「アッハッハ! それは災難だったね!」
「笑わないでくださいよ……」
私は今、ミリアと大衆浴場に来ていた。
普段なら多くの人で賑わっているのだが、今日は閉店時間が近いと言うこともあり、広いこのお風呂には私とミリアしかいなかった。
なんだか、こんな広いお風呂をたった2人で使っていると、もったないようなのびのび出来るような変な気持ちだ。
「でも、この間の事件で一番重傷だったのってあんただったって事でしょ?
魔力使い果たしてそのまま3日間ベッドから起き上がれないなんて本当に残念な燃費だよね!」
ケタケタと笑いながら腹を抱えて笑うミリアを睨みつけながら、私は体を洗い始めた。
先日の戦いから3日間、ミリアの言う通り私はベッドから起き上がることが出来なかった。
しかもその後ほぼ2日間ぶっ通しでアデク教官のお説教を聞かされていたので、シャワーは浴びていてもしっかりとお風呂に入るのは数日ぶりだ。
傷んだ黒髪にシャンプーのいい香りが吸い付く。
「まぁまぁ、そんな睨まないでよ、あんたの復帰祝いだと思って、お風呂代と湯上がりのコーヒー牛乳はアタシがおごるからさ」
「あーどうも」
やっぱりお風呂上がりのコーヒー牛乳は欠かせない。
そこを突いてくるとは、やはりこの幼馴染みは侮れないな────
まぁ、でもなんていうかアデクさんに怒られて実は私は結構参っていたので、こんな軽口をたたける親友がいることはやはり心地がいい。
「そういえばミリア、アデク教官との接触には成功したんですね」
「うん、それは感謝してる。a級に上がってこんなすぐに幹部とのパイプが持てたことは私にとってメリットだよ。
それに何よりイケメンだって事確認できたしね!」
「そうかなぁ? まぁ、よかったですね」
相変わらずミーハーだなぁ。
でも、幹部とパイプを持つ、というのは私がミリアにアデク教官への伝言を頼んだときに提示したメリットだ。
アデク教官はミリアの名前を覚えていたようだし、ミリアにとっても悪い話ではなかっただろう。
昇級式のこの軍隊において、aランクまで上がった軍人はさらに出世するため、どうしても実績かより偉い人とのパイプかが必要になってくる。
若い上にaランクに成り立てのミリアの場合は実績などまだないので、当然後者が必要というわけだ。
でも確かに幹部とのパイプを持てるというメリットはあっても、私達はミリアに間接的に救われる形となったのも事実だ。親友相手といえどもその辺はしっかり感謝してはいる。
まぁ、照れくさいので口に出す事はないだろうけれど。
私は体を洗い終えると、湯船に向かった。
適温に温められたお湯に足を付けると、少しずつ体を湯船に付ける。
「ちょっとちょっとエリー! 湯船にタオル付けるなって何度言ったら分かるの!?」
「はっ、危ない!!」
「しっかりしてよ……」
後から来たミリアが慌てて私を止める。
私はよく湯船にタオルを付けそうになるのが癖みたいな物だった。
「相変わらずボーッとしてんだから……」
呆れながら湯船につかったミリアは「ん~」と伸びをした。
私も後に続くようにタオルをぬれない場所に置き、改めて体をつける。疲れが体の芯から消えていくようだ。
こんな広いお風呂だし、少しくらい泳いでもバレないだろうか?
「じぃ~……」
「はっ、泳ごうとなんてしてませんよ!?」
「いやいや、そうじゃなくて……」
ミリアの目線は私の胸に吸い付いていた。
「な、何ですか……」
「少し、胸、大きくなった?」
ミリアは頭を抱えた。そんなに私の成長が気に入らないのか。
「オマエ、ゼッタイ、ユルサナイ、ユルサナイ……」
「怖いです怖いです!! ごめんなさい!」
悪くもないのに謝ってしまった。
顔を水面から半分だしこちらを濁った目で見つめるミリアは、私よりも死んだ魚の眼をしていた。
まぁここ数日はストレスの日々だったので、そのせいだろう。
それでもこのまま睨みつけられたままは怖いので慌てて話題を変える。
「そ、そうだ、今回の件で私達少しだけ昇級しましたよ」
「え、そうなの!? おめでとう!! エリーが昇級なんて久しぶりじゃないの!?」
「まぁ、いつぶりくらいでしょうか? これで一歩ミリアに近付きましたかね」
「バカ。まだまだはるか先だわ、私がいるのは」
そう言いつつもミリアも私の昇級を喜んでいることはよく分かった。
実際に昇級できたときは嬉しかったし、直ぐにでもミリアに知らせたかったが、ここ数日忙しくて出来なかった。
「えーっと、前がf-3だから、f-2になったの?」
「いや、f-1ですね」
「おぉ二段階も。次はe-6だから、そのうち試験も受けられるね」
「あー、それは緊張します」
エリアル軍ではe級に昇格すると昇級試験を受けることができ、合格することで晴れてd級に昇進できるのだ。
逆に言えばそれまでは私達は研修期間、d級兵士になることでやっと授業や訓練も終えた一人前の軍人として扱ってもらえる。
まぁ、所詮は研修期間なので普通は1年もあればd級に到達できるのだ。
2年以上f級の私はかなり足踏みしてしまった。
「そういえば来月試験があるよね」
「まぁ、私が受けるのはクレアとセルマが追いついてきてからですよ。あの2人もf-6からf-4に昇級ですし、すぐe級にも上がれますって」
今回は、私も置いて行かれたくない。
2年の間に私を追い抜いていった同僚は数知れず、しかし2人のように信頼したくなる仲間は、あまりいなかった。
これからも2人と一緒にいたいからこそ、負けたくない。
「まぁ、こっちはそんな感じで怒られっぱなしでしたけど、ぶっちゃけこの数日一番大変だったのはリーエルさんですよね」
「そだね」
この間の後、リーエルさんや門番さん、本人証言により、クレアは門番さん達が既に眠らされた後に門を通過したことが分かった。紐ベルトはどうやらその時に落としたものらしい。
疑いの晴れたクレアは勝手に門を通過したことで大目玉を食らっていたが、まぁそれですんだようだ。
クレアの除名処分、結構危なかったんだぞ、とアデク教官は言っていた。
恐らく軍本部も幹部であるアデク教官が隊長だからということで、この件を大事にしたくなかったというのだろう。
「結局門番さんを襲った犯人は
あのとき門は開いていたのでその事にも当然気付くべきでしたが、『クレアが門を出て行ったかも』と思ってた私達はその事に気付きませんでした。
結局あの蜘蛛女も仲間の門の突破から注意を逸らすための囮だった─────って、ごめんなさい。そんなことaランクのミリアなら知ってますよね」
「ん、まぁ……話には聞いたよ」
ミリアは半分聞いてもいないような様子で答えた。
「でも結局リーエルさんはどうして、あんた達を街の外に派遣させたの?」
「あぁ、それは街の中に何人敵が入ったか分からない以上、中より外の方が安全だと判断したみたいです。
もしあのまま私達が帰っていたら、帰り道敵に囲まれるかもしれないし、街を護るにも幹部のリーエルさんが門を護った方が敵をこれ以上侵入させることもありませんしね」
「なるほど、」」
その後、街の中に侵入していた敵もほぼ全て軍の活躍で掴まったそうだ。
その件については結構リーエルさんが奔走したらしい。
しかし門番さん達を一瞬で倒した女だけは見つからなかったとか────
「エリー、あのさ……」
「ん、どうしました?」
「────ごめん、何でもない」
ミリアは何かを話そうとしばらくモゴモゴしていたが、静かに目を逸らした。
「何ですか、言ってくださいよ」
「え、えーっと……あ、エリー洗濯物ここに来る前取り込んだ!?」
「あー、忘れちゃいました」
それを聞いてミリアは青ざめる。
「そういえば天気予報で夜中から雨振るって言ってたんだよ!」
「え、嘘、早く帰りましょう! きーさんも外に出しっぱなしです!」
私達はお風呂から出ると、急いで体を拭いて外に出た。
「エリー! お会計しとくから先に行ってて!」
「コーヒー牛乳、コーヒー牛乳を────」
「分かったよ! 買っとくから早く!」
髪の毛も乾かぬうちに、走って店の外に出る。って、あれ?
「どうしたの、早く行って!」
「湯船のところにタオル引っかけたままでした」
「このノロマ!」
※ ※ ※ ※ ※
結局慌ててお風呂屋さんを出たが、空には雲一つ出ていなかった。
どうやら天気予報は外れていたらしい。案外アテにならないものだ。
「ご、ごめんね……」
「いやいや、大丈夫ですよ。
きーさんもそろそろ心配になってきた頃なのでちょうど良かったです」
「そっか……」
ミリアはボーッと空を見上げる。
「ねぇ、エリー。さっき言いかけたこと」
「どうしました?」
「あんた、いつも死んだ魚の眼でボーッとしてて、そのせいでおっちょこちょいで反省もしないけれど────」
「ちょっとちょっと」
なんなんだ急に。私の悪口大会でも始まったのか?
「何が言いたいんですか?」
「私がいなくなっても大丈夫……?」
「えっ?」
暗い中、ミリアから表情は読み取れない。
「ま、まるで、ミリアもうすぐ死んじゃうみたいな言い方じゃないですか。病気にでもなったんですか?」
「そうじゃないけどさ……急に不安になることってあるじゃん?」
「なんですかそれ」
それ以上ミリアは何も喋ろうとしない。
代わりにコーヒー牛乳の瓶のカチカチ鳴る音だけが響いている。
「あ、そうだミリア。明日のバイトのことなんだけれど────」
「まちなさい2人とモ。そこを動かないデ」
「わっ」
急に声をかけられ驚いて振り向くと、建物の陰からリーエルさんが現れた。
しかもこちらには銃を構えて────
「リーエルさん、危ないじゃないですか、どうしてそんな────」
「いいかラ、エリー、貴女は帰りなさイ」
「え、ミリアは?」
「ここに残ってもらう」
もう一人、今度はいつの間にかアデク教官が真後ろに立っていた。
リーエルさんのように銃を構えているわけではないが、その目は警戒の色が見えた。
「幹部が揃って2人も……どうかされたんですか?」
ミリアが静かに問う。しばらくの沈黙の後アデク教官が切り出した。
「お前さんを拘束するために来たんだ」
「っ…………」
小さくしたうちをするミリア、その光る眼光は幹部2人を睨みつけていた。
「ちょ、ちょっと待ってください、どうしてまた……?」
「ミリア・ノリスに反逆者の疑いがかかっているんでス」
「なっ……」
ミリアは目を閉じたまま動こうとも、反論しようともしない。
「あ、アデク教官。それは何かの間違いではないですか?
だってほら、この間の蜘蛛女を捕まえれたのもミリアのおかげみたいな物ですし……」
「いや、軍警がしっかりとした情報を元に調べ上げたことだ。
ミリア、お前さんはこないだの事件で、任務の途中仲間とはぐれたけれど、エリアル達と遭遇する前どこにいた?」
「……言えません」
「ちょっと、ミリア……!」
ここで反論しなければミリアは連行されてしまう、それは本人もよく分かっているはずだ。
「先日の件を調べていてずっと不思議だったんだ。
街の入り口近くにはオレたちが敵を探すために捜索をしていたのに、どうして敵はその包囲網をかいくぐって門までたどり着けたのか」
「さぁ、敵の運が良かっただけでは?」
「違うな、手引きをした者がいるんだ。この軍に裏切り者が」
「それと私と、どう関係が?」
二人は目を合わせたまま互いに警戒を緩めない。まさに一触即発の雰囲気だ。
「お前さんが一番怪しいんだ、ミリア・ノリス。
お前さんはあの日、仲間とはぐれたふりをして敵兵を門の前まで誘導し、門番達を眠らせて敵兵達を街の中へ入れた。違うか……?」
「それは……言えません」
「まぁ黙秘権もある。答えられないならせめて一緒に来てもらうぞ。いいな?」
「はい……でもこれだけは、約束してください。エリアル・テイラーは、この件とは無関係です。
この子に疑いの目が向けられないことだけは約束してください」
「それが分かっているかラ、エリーを巻き込まないためワターシ達も幹部二人がかりなんデ来たんデス」
「そうですか」
それ以上は何も言わずに眼をつむり、2人の元に歩いて行くミリア──これでは罪を認めているようなものだ。
「ミリアっ」
私が腕を引っ張ると、彼女は振り向かずに呟いた。
「エリー、先に帰ってて。私もそのうち疑い晴らして帰るからさ。それに買ったコーヒー牛乳が暖まっちゃうでしょ? 家にはきーさんも待ってるでしょ?」
「でもっ、でも────」
「いいから」
ミリアは静に私を諭す。静かな声だったけれど、その声はついてくるなと私に確かな圧力を感じさせた。
あんなに強く握りしめたはずのミリアの腕が、スルスルと私の指の隙間から離れてゆく。
そして私の手の中に残るのは、彼女の細い腕の柔らかな温もりだけ────
「お願いします」
「いいのですカ?」
「大丈夫です」
幹部2人と静かに歩き出すミリアを、私は止めることが出来ない。
その日を境に、私の親友ミリア・ノリスが戻ってくることはなかった。
~ 第1部2章完 ~
NEXT──第1部3章:一攫狩猟のディフェンスウォー