暖かい昼下がり、庭に吊されたハンモックでうたた寝をする老人。
5歳のアタシはその老人に駆け寄る。アタシはその人のことが大好きだった。
「じいちゃん、じいちゃん!」
「おーおー、どうした? あ、クッキー食べるか?」
「ありがと!」
モグモグとクッキーをほおばるアタシを、幸せそうな顔でじいちゃんはのぞき込んでいた。
そうだ、じいちゃんの顔を見て思い出したけれどアタシはここにクッキーを食べに来たんじゃなかった。
「ねぇ、じいちゃんじいちゃん! 今日もね、お話聞かせてもらいに来たの!」
「お話ってまた昔話を聞かせてほしいのかい? 残酷なのも多いから婆さんや君のお母さんに止められてるんだけどなぁ……」
「ダメ……?」
アタシはじいちゃんの顔をのぞき込む。こういう顔を孫にされるのがじいちゃんにとって弱いことも、アタシはよく知っているのだ。
「仕方ないなぁ~。皆には秘密だぞ?」
「うん、じいちゃん大好き!」
じいちゃんは昔話を語りだす。
これが幼いアタシにとって一番楽しいひとときだった。
どんなに甘くておいしいお菓子も、どんなに仲のいい友達も、じいちゃんの昔話の魅力の前ではとても及ばなかった。
じいちゃんの語る昔話は、童話や物語なんてつまらない物じゃなく、いわばじいちゃん自身の武勇伝だ。
アタシのじいちゃんは隠居してからは静かに家族と暮らしている自慢のやさしいじいちゃんだけれど、昔は泣く子も黙る軍人さんだったそうだ。
じいちゃんは軍人さんの中でもとっても強くって、色々なところも冒険したという。
沈没船で戦った骸骨、地下神殿での幽霊との遭遇や、空飛ぶ竜との大決闘────
信じられないような夢のある話を、いつもアタシは目をキラキラと輝かせて聞いていた。
もちろんアタシは年齢を重ねるにつれじいちゃんの武勇伝を信じなくなっていった。夢のある話を現実じゃ有り得ない話だと感じ始めていた。
それでもアタシは変わらずにじいちゃんの元に通い続けたのはきっとじいちゃんが大好きだったから。
じいちゃんとの宝物はアタシが大人になっても変わらない物だから。
だけどそのじいちゃんはアタシが10歳の頃、突然病気で死んでしまった────
周りの大人は大往生だった、孫娘にも看取られて、幸せな人生だったろうといったけれど、アタシは納得いかなかった。
死という物を始めて体感したからというのもあるけれど、じいちゃんの昔話が聞けないのはとても悲しかったし辛かった。自分の半身を失ったような感覚にさえなった。
もっとじいちゃんの話を聞きたい、もっとじいちゃんと一緒にいたい。でもじいちゃんは戻ってこない。
だったらアタシがじいちゃんのために何ができるのか────
そうだ、アタシも凄い軍人になってじいちゃんに負けないくらいいっぱいの武勇伝を作ろう。じいちゃんの昔話が本当だったのかこの目で確かめよう。
じいちゃんの孫はこんなに凄いんだと、誰にでも胸を張って生きれる立派な人間になろう。
10歳のアタシはそう誓う。それがアタシの持った初めての夢だった────
※ ※ ※ ※ ※
「や……め……ろ…………は……な……せ……!」
蜘蛛女の手にどんどん力が入ってゆく。まずい、意識が朦朧とし始めた。
アタシは結局作戦を果たせなかったのか──軍人失格だ。
いや─────アタシはまだ夢を叶えてない!
「ぐあっ!」
突如蜘蛛女の手から力が抜け、アタシは地面に倒れ込む。
蜘蛛女は私の首を絞めていた右手をかばいつつ素早くアタシから距離をとると、その腕を押さえうめき声を上げた。
あぶねぇ!今じいちゃんがあの世で手振ってた!!
「ぐっ、くかっ!? これは……」
蜘蛛女の腕には鋭い針が刺さり、血が滴り落ちていた。
そう、アタシが刺した針が────
「ハァハァ……仕込み針だよ……アタシのじいちゃんの武勇伝の一つなんだ……靴下に忍び込ませた仕込み針で巨大蜘蛛を打ちとったんだとさ。まさかアタシにも役に立つ日が来るなんて、全く世の中何が起きるか分かんねぇよな」
「貴様……」
蜘蛛女がこちらを睨みつけてくる。
いや、睨むと言うよりこちらの警戒を強めたのか。
状況的には危ないが、じいちゃんの武勇伝がアタシの窮地を救った、今のアタシはじいちゃんを誇りに思う気持ちで胸がいっぱいだ。
「ふぶぶっ、私は案外貴女たちを見くびりすぎていたのかもね……でももういい、もういいわ、貴女たちにはもう沢山! これでお終いにしてあげる!」
蜘蛛女はそう叫ぶと左手を頭上にかざした。すると腕から沢山の糸が絡まり、巻き付き、一個の大きな玉が完成する。
「なんだ?」
すると蜘蛛女のかざした玉に火がつき、燃える球体に早変わりする。
ジリジリと焼け焦げる様は、いわば小太陽────
「これは────」
「私の能力と属性魔法の合体技────この技を食らって立っていた者はいない、なんてお約束の言葉でも貴女なら充分驚異かしら? もちろんこんな技避けるのも簡単なのだけれど、果たして今の貴女にそれが出来る……?」
「ぐっ……」
蜘蛛女の言う通り、多分今のアタシにあれを避ける事は難しい。
先程首を絞められて体力は限界、足元には粘着質の糸での足止め。
3分という時間が迫ってきているのは確かだが、目の前のピンチにアタシはどうすることも出来なかった。
「喰らいなさい! “スパイドコロナ”!」
蜘蛛女が投げる構えを取り、火球を振り上げる。もう打つ手が─────
ドンッ────
アタシが死を覚悟して身構えたとき、近くの草むらから間抜けな音を出して、きれいな色の光が空に打ち上がった。
「何!?」
「あ、あれは……魔道花火の光?」
そのうち上がった花火の色は青、水色、白、灰色で────その光はアタシの顔を照らし、夜の夜空に煌々と輝いた。
花火は夜空に吸い込まれて見えなくなっていき──やがて消える。
「ふっ、ふぶぶっ!」
花火が消えると、急に蜘蛛女が吹き出した。おかしくておかしくてたまらないとでも言うように。
「何がおかしいんだよ!」
「あれを打ち上げたの貴女のお仲間ちゃんでしょ? だってあれじゃあ自分の位置を大声で知らせてるようなもんじゃない!」
確かにそうだ、この状況で花火を打ち上げたってなんになるのか。
しかし作戦と言うからにはしっかりと考えがあるのだろう。そしてアタシの役目はその仲間を守ることだ。
「ふぶぶっ、その顔は貴女、仲間を信じてるって顔ね……」
「当たり前だろ、お互い命かかってんだ!」
「いいわ、だったら……」
蜘蛛女は振り向き、颯爽と歩き出す。左手には火球を掲げたままだ。
「おい、どこ行くんだ!」
「決まってるじゃない、何かされる前にそこの草むらにいるお仲間ちゃんを始末するのよ! 貴女はそこでせいぜい見ているといいわ!!」
「なっ!?」
そんなことをさせるわけにはいかない、すぐに追いかけなければ!
しかし先程のダメージで体は思うように動かなくなっていた。
「くそ、くそっ! 動けよ、このっ!」
そういう間にも蜘蛛女は花火の上がった方向に歩き、草むらの前まで来て──動きが止まった!?
「ん? したっぱちゃん。何か感じない?」
「あん?」
蜘蛛女が怪訝な顔でこちらに訪ねる。
敵に聞かれて始めてアタシも気付いた、そういえば地面がこころなしか揺れているような────
しかしその震動は少しずつ大きな揺れに代わり、さらに地響きのようなうなり声も聞こえてきた。
「オレーのすーいーみーんじぃーかーんーをぉーっ!」
そのうなり声が何かを叫んでいると分かったとき、確信した。
この声にアタシは聞き覚えがある!
「はっ!? ややや、ヤバいヤバいヤバいヤバい!!」
急に焦りだした蜘蛛女はそう叫ぶと、火球を川に投げ捨て、走って逃げ出した。そうしてる間にも揺れはどんどん近くなり────
「返せぇっ!!」
そこっ!?
森を突っ切り、木をなぎ倒し、流星のごとく影が現れた。
その陰は蜘蛛女を殴りつけると、彼女を吹っ飛ばす。
その威力は凄まじく、地面を削り木々をなぎ倒し、最後勢いが薄れ岩にぶつかるまで止まることがなかった。
通った後はまるで隕石が落ちたような大きな溝を作り、一撃の威力がとんでもなかったことを物語る。
「あっ、あっ……」
唖然としていると、その影の主が声をかけてきた。
「あー、お前さんたちもやっぱいたか。大丈夫か?」
「あ、アデク教官!!」
それはアタシ達の教官であり、隊長であり、幹部の一人である【伝説の戦士】、アデク・ログフィールドその人だった。
「どうしてここが!?」
「aランクのミリアって言う軍人から報告を受けてお前達を探してたんだ。そしたらさっき花火がここで上がったのが見えた。
色からしてエリアルが打ち上げたのは間違いないが、敵がいるかもしれない状況でこれを打ち上げたと言うことは緊急事態だと思って、全速力で来たわけだ」
「な、なるほど……」
いわば花火を自分の居場所を知らせる
それならそうと先に言ってほしかった。相当焦ったんだぞ───
「おい、ところで後の2人は?」
「あ、それなら────」
「ここでぇーす!」
声の方を見ると、草むらからエリアル────ではなくエリアルをおぶさったセルマが顔を出した。さっきまで逆だったはずだ。
「おい、なんでそうなってるんだよ!?」
「あぁ、さっきの花火の音で私の目は覚めたんだけど、逆にエリーちゃんは体力使い切っちゃったみたいで。さっき猫ちゃんにお礼を言ってからそのまま寝ちゃったわ」
よく見ると足元にいる黒猫も眠そうにあくびをしていた。そうか、その猫を変身させて花火に使ったのか。
一方当の本人もスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている。
「よし、3人ともとりあえず無事だな。まずはオレが殴ったあの女を捕まえないと」
「あー、完全に伸びてる……」
川の対岸まで吹き飛ばされた蜘蛛女に目線をやると、彼女は気絶したまま動かなくなっていた。あれなら捕まえるのも容易だろう。
「で、一仕事任務も終えたわけだし。帰ったらお前ら────」
そう言うとアデク教官はイヤな笑いを浮かべていた。
「全員お説教な?」
「「はい!?」」
セルマとアタシは同時に聞き返す。アタシ達は頑張ったのに説教とはどういうことだろう?
「だって当然だろう? 勝手に門を飛び出してこうやってここにいるわけだし。なんならオレの方が何もしてないのに上から怒られる分、気が重いぞ」
「え、でも、だって、自分たちはリーエルさんに言われてきたんです!」
「それでも直属の上司はオレだからな。オレからしたら勝手な行動をとった部下だ」
「そんなぁ……」
肩を落とすセルマを尻目に、アデク教官はアタシの方を見る。
「クレアも、分かってるよな?」
「分かってるさ、どうとでもしてくれ」
そういうとアタシは大の字になってその場に倒れた。
色々あったけれど、怒られるだけで済みそうで良かったとアタシは思う。
そしてなにより、今回のことがなければアタシは今後も意地を張ったままだったろう。
涼しい風が頬を撫でる。
今夜の星は妙に綺麗だった────