クレア・パトリスは掴まっていた。
敵を倒し名を挙げるため、一人で勇ましく街を出たものの森の中で敵に見つかってしまい、こうして無様にも捕らえられる結果となった。
足には白い蜘蛛の糸のような物が何重にも巻き付き、彼女は宙づりにされている。
所詮は蜘蛛の糸、fランクといえども腕っ節に自信のある彼女ならばもしかしたらその白い足かせを引き千切ることなど容易いかも知れない。
しかしそれは目の前の監視者が許さなかった。
「ふぶぶっ、部下がうっかり掴まってしまってどうなるかと思ったけれど、まさかこんな可愛い女の子がノコノコと私の目の前に現れるなんてね! 本当に愚かで可愛い……」
「くそっ!」
クレアの目の前には毒々しい赤をたたえた服を着た、つり目で長身の女がいた。
彼女を襲っていることから、誰がどう見ても逃走中であるノースコルの構成員であることが分かる。
おかしな笑い方や、キンキンと高い声、憎しみに満ちたような表情からは、美人とはほど遠い、粘つくようなイヤな雰囲気を感じた。
抵抗すれば何をされるか分からない。しかし若いクレアはその場から逃げるため、もがかずにはいられなかった。
「くそっ! こんな糸! こんな糸!」
「ふぶぶっ! 逃げようとしたって無駄よ! この糸は私の能力で作った蜘蛛の糸と同じ成分で出来た糸なの! 素手じゃ千切れないし千切らせるわけないでしょう!」
そう早口で叫ぶと、蜘蛛の糸を出す通称蜘蛛女は、さらに糸を出し抵抗を続けるクレアの足を縛り上げた。
「ふぶぶっ! ふぶ! ふぶぶぶぶっ……!」
蜘蛛女は必死に抵抗を続けるクレアをあざ笑うかのように、どんどん彼女を縛り上げて行く。
そしてクレアは抵抗することに疲れ、ついにぐったりと動かなくなった。
「ふぶぶっ!? あー、なんだもう終わりなの? あっけない物ね!?」
心底楽しむかのように、蜘蛛女は舌舐めずりをした。
「分かったわ、おねぇさん動かなくなった物には興味がないの。
人質にしようかとも思ったけれど、それももういい、あなたには死んでもらうから……」
そう呟くと、腰につけたナイフをクレアの首元に当てた。触れただけで数滴流れたその血から、ナイフが相当鋭いことが分かる。
まだだ、もう少し、隙を狙って─────
「じゃあね、せめていい声で泣きなさい……!」
蜘蛛女が鋭いナイフを振り上げたその瞬間────今だっ!
私は隠れていた草むらから飛び出し、きーさんが変身したラッパを力一杯吹いた。
けたたましい
「なにっ!?」
蜘蛛女の注意は逸れ、振り上げたナイフの手が止まる。
「今ですセルマっ」
私の横からセルマが出てきて、大きく口を開ける。
「“スタッブシャイン”!」
「ぎゃあぁぁーー!!」
セルマの口から強烈な閃光が飛び出し、蜘蛛女の目を眩ました。
緊急事態とは言え同い年の女の子が口から光線を発射すると言う図は、見ていて中々精神的に来る物はあったが、おかげで時間は稼ぐことが出来た。
私はのたうち回る蜘蛛女の横を走り抜けると、きーさんが変身した剣でクレアを縛る糸を切り、彼女を解放ふる。
「何でお前らがここにいるんだよ!!」
「いいから早く、とりあえず逃げますよ」
私達は走って蜘蛛女から離れ、死角となる大きな岩の影に逃げ込む。
セルマには見張りと結界の展開を頼んだ。
なんでも千里眼という魔法でかなり離れた蜘蛛女の居場所も見えるし、大声で叫んでも聞こえない結界も張れるんだとか。杖なくても十分凄いじゃん。
「なんでお前達がここにいるんだよ! ていうかどうしてあいつはアタシと同じfランクなのに魔法を使ってるんだ!」
「セルマは強化新入隊員だったんです。何年か勉強して資格を取る人」
「え、あいつが? そうだったのか……」
少し驚いた様子のクレア。
多分プライドの高い彼女は、今何を言っても私達と逃げることはしないだろう。
セルマが見張りをしていてくれるうちに、私は私でクレアを納得させなければ。
「どうして私達がここにいるかの答えなんですが。リーエルさんから、貴女が門の方向に走っていくのを見たというのをお聞きしたんです。
いざ行ってみたら、門番さん達が倒れていたので、リーエルさんと相談して私達が貴女を追いかけてきたんです」
「へぇ、アタシを捕まえに来たって事か?」
わざと挑発的な態度を取る。いや、案外この状況で私達にも疑心暗鬼になっているのかも知れない。
「違いますよ。私もセルマも、多分リーエルさんも貴女が門番さんに危害を加えた張本人だとは思っていません。私達は貴女を連れ戻しに来たんです。
クレア、どうかバカなことはやめて戻りませんか?」
「やだね。それにバカなことじゃねぇよ! 言っただろう、アタシは前線に出て戦いたいんだって!
こんなチャンスは滅多にねぇ、あいつを倒してアタシはとっととこんな隊やめてやるんだ!」
ダメだ、この子は周りが見えていない、見えているのは夢と希望。
いや、本当は全部見えていて、それでもプライドが邪魔して身動きが取れないのか────
「クレアは……勝てると思いますか?」
「どういう意味だ……?」
「どういう意味もこういう意味も。さっき結構ピンチみたいでしたけれど。
一人で戦おうなんて現実的じゃないように思えました」
その言葉に一瞬戸惑うような表情を彼女は見せたが、すぐに反論をしてきた。
「うるせえんだよ!! そんなことは分かってんだよ! それでもアタシはうんざりなんだよ、このぬるい隊にも、お前みたいな落ちこぼれの下で働くのも!!」
やはり、クレアを連れ戻す交渉は苦労するか────
でも厳しいことを言うと、今の私達が束になってもあの蜘蛛女には勝てないと思う。
セルマは杖を持たない不完全な状態、クレアは私達に協力する気もないうえに私自身は戦力に数えられない、どうしたって3対1でも分があるのは相手の方だろう。
アデク教官の助けを待つにしてもこの暗い中じゃ先に見つかってしまうのがオチだし、ここはクレアと交渉して全員で逃げの一手にでるのが得策だろう。
とするとしばらく時間がほしいのだけれど────
「セルマ、蜘蛛女はどうですか?」
「うずくまったまま動かないわ。“スタッブ・シャイン”は物理的威力がないからとっくに動き出してもいい頃だけれど……」
「まぁ、動かないならそれはそれでいいです。ところでクレア、貴女が今敵に向かって行こうとする闘志、私はとても立派だと思います」
「あん? そりゃどうも」
クレアは私の言葉に警戒するように返事を返す。そう、存分に警戒すればいい。
「でもおかしいと思いませんか? その前に貴女は目標にしなきゃいけない人っているんじゃないですか?」
「はぁ? なんの話だよ」
バカバカしいと言いたげなクレア。しかし私は引かない。
「3人います。まずセルマです。彼女は強化新入隊員と言いましたが、その中でも資格を3つも会得している実力者です。世間的に見たら貴女より実力がありますよ?」
「おい、アタシはこんな奴────」
「自分、そう簡単には負けないわよ」
「なっ……!!」
見張り番をしながらも私達の話は聞いてくれていたようで、セルマはしっかりと私に合わせてくれた。
「2人目はアデク教官。力は圧倒的で幹部にもなったのに戦いはあまり好むタイプではありませんよね。彼を本気に出来る人はそういないと思いますよ。そんな人を越えようともせず、貴女は今死に急いでる……」
「べ、別に死に急いでるわけじゃ────」
「どうせ死んでしまうなら変わりないですよ」
その一言でクレアは黙ってしまった。やはり一度冷静になると、死んでしまうのは彼女も怖いらしい。
「そして3人目は私です」
「はぁ? 2年もしたっぱ続けてきたお前なんてアタシは────」
「本当にそうですかね? 私、まだ貴女に本気の力を見せた覚えはないですけれど」
「いい加減にしろよ!!」
クレアは私に掴みかかってきた。セルマが少しこちらに視線を移したが、アイコンタクトで大丈夫だと伝える。
「ふざけんな! ふざけんな! 何も知らないくせに!!」
クレアが馬乗りになってきて、私達はもみ合いになる。
きーさんとセルマは不安そうな目でこちらを見ているが、私は構わず続ける。
「結局貴女は逃げてるんですよ! 目の前で地道に努力している人や、自分を見てくれている人から目を逸らして逃げてるんです!!」
「そんなこと! そんなこと!」
クレアの加える力はさらに強くなったが、逆に私は彼女を押し倒して、マウントポジションをとった。
「なんの積み重ねもなく自分だけ楽して地位を手に入れようとしているんですっ」
「そんなことない! アタシは────」
「そんなことあります、貴女のやっていることは『逃げ』以外の何物でもないんです!
先人の積み重ねからも教官の気遣いからも、仲間の誘いからも! 全部逃げ! 逃げ! 逃げです!!」
もみ合う手が自然とお互いに止まる。息を切らし、お互いの顔を穴が空くほど見つめ合う。
よく考えたら、こうしてクレアの顔をしっかり見るのは初めてだったかも知れない。なんだ、結構可愛い顔してるじゃん。
「じゃあ……」
先に口を開いたのはクレアだった。息を切らしながらも少しずつ言葉を発している。
「じゃあ、アタシが……アタシが逃げてるって言うんなら……逃げないアタシって、なんなんだよ……!!」
「それは────」
よく考えたら私もこの2年は逃げっぱなしだったかも知れない。
でもいまここでクレアと向き合っているのは、紛れもなく逃げずにクレアと立ち向かおうとした私だ。
いまここでこうしていられるなら、2年間の地獄の生活は間違ってなかった。そう自分に言い聞かせるように私は答えた────
「それは、今ここから素直に逃げることに決まってるじゃないですか」
「は?」
切ない、しばしの沈黙。
「え、なんですか?」
「台無しよ! せっかくいいこと言いそうだったのになんでそこで下心出しちゃうの!」
「え、だって他に思いつかなくて……」
見張りをしているセルマにさえ怒られた。
しかし正直この交渉だって全てがアドリブだ。落としどころが他に見つからなかったのだから仕方ない。
「もっと他に言い様があったでしょう!」
「なんかそれっぽいこと言えば言葉に深みが出るかなぁと」
「そこが余計だって行ってるの!!」
「プフッ……」
そこで吹き出したのはクレアだった。出会って1ヶ月、今度は間違いなく初めて見る、クレアの笑った顔だ。
「アハハハ!」
「な、何がおかしいんですか!」
「だって、自分で作った空気台無しにして、アタシも少し感動しそうだったのに……プフッ、ハハハ!」
なんか耳が熱くなってきた。そこまで笑うことないじゃないか。
もうこの子ほっといて逃げようかな。
「あー、面白い……分かった、お前の今回は言うとおりにしてやるよ」
「え、ホントですか!?」
「ただし逃げるんじゃないからな、撤退だからな。そこは譲らないからな」
「えぇ、じゃああの蜘蛛女に見つからないよう撤退しましょうか……」
解せないけれど、交渉は成功した。
そうと決まったら私達したっぱ3人の撤退は早い。敵にバレないようクレアを先頭に、身をかがめて大岩の影を後にする。
「まだ蜘蛛女は動かないわ。一体いつまでああしてるのかしら?」
「ああしてくれてる分にはいっこうに構わないじゃないですか。早く行きま────」
その瞬間、なぜか背筋の凍るような感覚を覚えた。
「セルマ危ない!!」
イヤな予感がした。その一点だけで私は目の前のセルマの腕をつかみ、力一杯引く。
その瞬間、さっきまで隠れていた大岩が
「きゃっ!」「わっ!」
私とセルマは岩が砕けた勢いで吹き飛ばされる。
もし私が手を引いていなかったら、今頃セルマは瓦礫の下敷きになっていただろう。
「お、おい、どうしたんだよ!」
「岩が急に砕けて、セルマが!!」
飛ばされた勢いで気を失ったのか、セルマは気絶して動かなくなっていた。
そして崩れた大岩の向こうから、人影がやってくる。
「ふぶぶっ! こんな所にいたのね。発想は悪くないけど、私から逃げようなんて生意気じゃないかしら……?」
ニヤニヤと笑いながらも、その女の顔は憎しみに満ちていた────