午後の日差しは疲れた私の目にジリジリと焼き付いた。
『やっと着いた……』
私は今、自分の住む2階建てのアパートメントの前に到着したところだ。
バイト先からは歩いて10分とかからないが、一日いろいろあったせいでその道のりはとても長く感じた。
「きーさん、紹介しますね。ここの204号部屋が私のお家です。改めて私のパートナーとしてよろしくお願いしますね」
きーさんは私の足下にすり寄って、ゴロゴロとのどを鳴らした。
こちらこそよろしくといっている。
「で、いきなりで悪いんですけどお友達のところに挨拶に行きたいので、ちょっとつきあってもらえますか?
あ、隣の203号室ですよ。きーさんの紹介をしたいんです」
私はアパートの階段をそっと上ると203号室の前まで忍び足で進んだ。
中から音がするので、現在彼女は在室中のようだ。
「ちょっといいですか?」
私はきーさんを肩に乗っけると持っていた合い鍵を使い、そーっと部屋へ忍び込んだ。奥の部屋に人の気配がする。
私は音を立てないように気をつけながら、気配を消して部屋の入り口の前で叫んだ。
「わっ」
「ぎゃーー!!」
ドッキリ大成功。部屋の住人は荒い息をあげながら私の方を涙目で見ていた。
「ミリア、ただいまです」
「帰ってくるとき驚かさないでって何度も言ってるでしょ!!」
「あはは」
私に怒ったあと呼吸を落ち着かせると、彼女は明るい顔になり顔をほころばせた。
「エリー、無事でよかった……バルザム隊はみんな行方不明になったって聞いたからどうなることかと……」
「ご心配おかけしました」
彼女の名前はミリア・ノリス。私たちは昔からの友人であり、何でも話せる良き相談役だった。
お互いに軍に入ってからもそれは変わらず、バイトもカフェ・ドマンシーで2人とも続けている。
私は椅子を借りて彼女の近くに座ると肩に乗っけたきーさんの紹介から始まり、今回あったことを細かく話した。
「なるほど。だいたい聞いてた通りだけど、エリーが生き残ったのは奇跡みたいな状況だね……」
「自分でもそう思います。というか、迷いの森って呼ばれますけど、あの森は本当に迷いやすいようなとこなんですか?」
「んー、どうだろう。前に気になってちょっと調べたことがあるけど、今の時点では何とも言えない────かな」
私よりこの街の外に詳しいミリアも、流石に真相は分かりかねるといった様子だ。
「神隠し的なことが有名なんですよね?」
「いや、もちろん昔から迷いの森での行方不明者は後を絶たないんだけれど、遭難した後の衰弱した死体で見つかったり全く手がかりがつかめなかったり、ばらばらなんだよ」
私から受け取ったきーさんの喉を撫でながら、ミリアは記憶を探る。
「んー、まぁでもちょっと発見できないケースが多かった気もするかな。
ただこんな大規模に、しかも荷物だけを残して、さらに軍の幹部が付いていながらの失踪なんてのが前代未聞だから、やっぱり私からはなんとも言えないや」
ミリアはそう言いつつ腰掛けていたベッドに上半身を倒す。
あごを撫でられていたきーさんは飽きてしまったようで、再び私の足元に戻ってきた。
「そうですか……でも遭難者が出るくらいだから危険なことに間違いはなさそうですね。
今回、したっぱの私だけ助かってしまっても良かったんでしょうか?」
「んー、それも分からないけどエリーが助からなかったら捜索隊が出動するのは今より何日も遅れてたはずだし、任務も失敗に終わったんだから結果オーライなんじゃない?」
「そうですよね……」
ミリアだって立場上私に気を遣っていっているわけではないはずだ。
その言葉は素直に受け取ることにする。
「はい、この話はおしまい。エリーが心配するのもわかるけど後は捜索隊の仕事だよ。
それより教えてよ、店長がキレた話!!」
「あぁ、来ると思いました」
ミリアが上半身を起こして前のめりになる。さっきの話より興味津々だ。
つまり私の生死より興味津々なのか、この女よ────
「あの店長を怒らすなんてアデクさん。【伝説の戦士】っていったい何者なの!? 噂でしか聞いたことないから実際に合ったエリーに聞きたい!」
「ずっとこの街にいるんですし、そのうち会えると思いますよ」
でもすごく変な人でしたね。トラブルメーカー」
「ホント!?」
他愛もない会話を繰り返す。
それだけで自分だけ無事だった罪悪感から、少し勇気づけられるようだった。
「でも残念だねー。命の危機にさらされて少しは死んだ魚の眼が治るかと思ったのに、さらに酷くなってない?」
「こう見えて結構疲れてるんですよ……」
「口もいつもボーッと空けてるけど、口乾かないの?」
前言撤回、コイツ私を
後で仕返ししてやろう────
「あ、そういえばミリア、aランク試験はどうだったんですか?
発表が出掛けてる間だったので、私まだ結果聞いてないんですけど」
「ふっふっふ……見よこれを!!」
「おー」
そういうと彼女は胸ポケットから軍隊のパスを出した。
そこには確かに「a-3ランク」の文字があった。
おめでとう昇級、どうやら試験は合格できたようだ。
「おめでとうございます」
「いえーい」
ピースを作る彼女の頭を私は撫でた。
「いやー流石、期待の新鋭ミリア・ノリス。
軍隊入りスピード出世でaランクとは恐れ入りました」
「はっはっは、それほどでもないよエリー君」
ミリアの自慢が加速するので、私もそれにつられて撫でる強さを強める。
「いやー、f-3ランクの私からしたら雲の上の存在ですよ。
是非見習わせてほしいです。その才能が憎い」
「うん、分かったからもうその辺で……」
随分と気分が良さそうなので、私は更に強く強く撫でる。
「いえいえ、まだ足りません、秀才、天才、いや神。これからは神と呼ばせてください」
「分かったから!! 分かったから私の頭から手を離して!!」
もはや私は、ミリアの頭を鷲づかみにしていた。
彼女は心底不快そうに、私のてを振り払った。
「いやー、神様だから
「そんなもんあってたまるかぁ! イタイイタイ! 痛いんだよ! 強いんだよ! 千切れそうなんだよ!」
「千切れるほどないくせによく言いますね。胸も頭も」
ミリアの顔が絶句の表情に染まる。この顔は長い付き合いの私でも、相当ショックな部類に入るヤツだ。
「わ、分かったエリー、あんたさっきの件に怒ってる上に、自分がいつまでも昇級できないからって、私に嫉妬してるんでしょう!?」
「そうですよ」
「ひ、否定してよ……」
まぁ、ダメージは心にも体にも十二分に与えたので、今日のところは勘弁してやってもいいだろう。
一通り大声を出すと体の小さいミリアはそのまま膝をついて、ハァハァと息を漏らした。
「あ、悪魔め……!」
「そんな悪魔に恐れ多い」
自身の成長を恨むミリア。彼女の身体へのコンプレックスは、私の死んだ魚の眼以上に強い。
「まぁ、悔やんでも仕方ないじゃないですか。じゃあ私帰るんで」
「も、もう来るな!!」
相当なダメージを受けたミリアを少し踏んづけてから、私は自分の部屋に戻った。
そういえば疲れでふらふらだったり罪悪感で落ち込んだりしたけれど、彼女と話した後だと不思議と安心感からか体や心の重さはすっかり消えていた。
ミリアの胸に御利益があるというのは、案外間違いではなかったかもしれない。