私は先程通ってきた道を、重い荷物を引きずりながら戻っていた。
「う、うぐっ────」
「はぁはぁ……あ、やっと目が覚めましたか?」
「ん? あーここまで引きずってきてくれたのか、すまんな」
大してすまないと思っている表情もせずに、アデクさんは「とりあえず言っとけ」みたいな顔で私に謝った。
簡単に謝ってくれるが、私は平均よりも小柄で力もそれほどあるわけではない。成人男性をここまで引っ張るのにはかなり力が必要だった。
『全く本当に、いい迷惑────』
「何だって?」
「いえ、なんでも」
アデクさんはその場でふらつく様子もなく立ち上がると、憎らしげに拳を固めた。
「くっそ、あのじじいめ! 絶対に許さねぇ!」
「いや、アデクさんを殴ったのはハーパー最高司令官ですけどね」
もはや全て「にっくきあのじじい」のせいなんだな、この人の中では。
子どもっぽい大人と子どもっぽい大人の相性は、あまりよろしくない様子だ。
まぁ、何はともあれしっかりとアデクさんが歩けるようになったのを確認してから、私たちはリーエルさんと約束をした店に向かった。
「そういえば、お前さんその店でバイトしてるんだったか? 軍の仕事と掛け持ちで?」
「まぁ、忙しくはあるんですけど私は長期の任務に就くことも少ないですし。
それにd-3以上の階級を得るまでは教官からの訓練を受けないといけないので、給料もあまり多くないから仕方ないんですよ」
「あー、そうだったかな。そういや確かにオレの同期も、訓練生時代は金に困ってた」
この軍では所属隊員は、それぞれランク付けをされてる。
a~fまでのランクがあり、さらにそれらもa~dは3つ、eとfは6つの段階に分けられている。
ちなみにa-1級の資格を持つのは、バルザム教官やリーエルさんのような軍の幹部たちだ。
「バイトしながら訓練もうけてる隊員なんてほんの一握りだろうに、よくやるよ」
「そうですね、一緒にバイト始めた子も今ではbランクですし、訓練生で掛け持ちは珍しいかもしれませんねぇ。
あ、でも店員もバイトの子も女の子ばっかなんで窮屈はしてないです。店長がかなり融通してくれるので楽できてますよ」
「へぇ、いい店なんだな」
しばらくして路地裏に入り、道を進むと、緑の小さな看板が目印のお店についた。
カフェ・ドマンシー、いつ来てもいい香りのする不思議なお店である。
「あ、ここですここ。ちょっと先に店長に挨拶してきていいですか?」
私は店の扉を開けるとカウンターで皿を磨いている女性と目が合った。
Yシャツに従業員用のベストを着た彼女の顔が、パッと笑顔になる。
「店長、ただいま帰りました」
「エリー! おかえりなさい! ミリアとリーエルから大変だったって聞いてたけど、無事でよかった!」
「ありがとうございます」
店長は潤んだ目をしながら私にハグをした。
少し窮屈だけど、親のにおいより慣れ親しんだこのにおいに、私も少し泣きそうになる。
「本当によかった────バルザムまで行方不明になっちゃったって聞いたから、本当に心配してたの。あなたの普段の行いがよかったかしら?」
「まぁ、運が良かっただけです。助けてくれた人もいましたし……」
その言葉で、店長がハッとなる。
「そういえば奥にいるリーエルから聞いてるけど、今日は他のお客さんと一緒だったんでしょ?
エリーを助けてくれた人だって言ったわよね? 外で待たせちゃダメじゃない!!」
「あ、そうでした。すっかり忘れてました」
ほんと、すっかり忘れていた。本人が聞いたら落ち込みそうな台詞である。
「アデクさーん、挨拶終わりましたー。
奥の席リーエルさんがとってくれたみたいなんで座りましょう」
「え────」
「あっ……」
入ってきたアデクさんと店長の顔がお互いに固まった。
「カレン────! あ、あー、久しぶりだな……」
「アデ……ク?」
「元気にしてたか……? そのー、風邪とか……」
気まずい雰囲気の流れる2人。あー、これは何か訳ありだな、マズいことになったと、私のあまり敏感ではない直感が告げる。
巻き込まれるのがいやだなと、一人だけ店の奥に避難しようとした────が。
刹那、アデクさんと店長が視界から消えた。
「ぐおっ!!」
店のドアをぶち破る音と男性の叫び声に驚き視界を移動させると、そこは既に土煙で何も見えなくなっていた。
「アデクさんっ?」
私は目を見張った。消えたのではない、移動したのだ。
それも視界から消えたかのように見えるほど超高速で。
そう、店のドアをぶち抜いて、アデクさんが店長に蹴り飛ばされていたのである。
「今まで───────」
新人の子が皿を割ってしまったり、中々仕事が覚えられなかったりしても全く怒ったことのない店長が、みるみるうちに鬼の形相に変わっていく。
ここまで怒った、というかそもそも怒っている店長自体を私は初めて見た。
「どこ行ってたああぁぁーー!!」
その顔はまさに、5年間置き去りにされた女性が怒りを剥き出しにした、怒髪衝天の顔そのものだった。