夜の森は満月に照らされ、不思議なくらい明るかった。
「くそっ、キリがねぇ!」
アデクさんはきーさんの変身した剣を振るいながら、そうぼやいた。
一体一体は弱くても、なにぶん数が多すぎる。
まぁ、相手は【伝説の戦士】だ。
いくらまとめてかかってきたところで、“ウルフェス”達が彼を餌とするには到底及ばない。
しかし例え一人で突破できる戦況だとしても、アデクさんには申し訳ないかな、私を守りながらという大きなハンデがあった。
苦戦している訳ではないが、全くもってキリがない───
「とりあえず見通しのいいところに出るぞ! あっちに開けたところがある、付いてこい!」
「はいっ」
私はアデクさんに誘導され、木々が少ない開けた場所に出る。
森にぽっかりと空いた木々のない空間。
しかし私はそこに出た瞬間、背中に鳥肌が立つのを感じた。
「うそ……これって……」
そこにあったのは、テント、荷物、リュック、水筒、地図、方位磁針。
これは────間違いなくバルザム隊メンバーの荷物だ。
様子から見るにどうやら休憩中だったのだろうか。
しかし肝心のメンバーは周りに見当たらない。
しかもそのキャンプは“ウルフェス”達に無惨にも荒らされ、ボロボロの状態だった。
「アデクさん、これ隊のみんなの荷物ですっ。もしかしてみんな敵に襲われて────」
「それは分からねぇ、だがシャレにならない状況だな」
「みんなまだ近くにいるかもしれません、探さないとっ」
慌てて走り出そうとする私の腕を、アデクさんが
「バカ、それは後だ! こいつらに囲まれながらことできるか!」
叫びながらも向かってくる“ウルフェス”を剣でたたき落とすアデクさん。まだその顔に疲労の表情は見えない。
「というか、【伝説の戦士】にはこの状況一瞬で斬り抜けられる大技とかないんですか?」
「あるよ!」
さらっとスゴいことを、アデクさんは言う。
「え、ならそれを────」
「いや、オレもさっきまで隙があればそうしようと思ってたんだけどなっ!
ここを切り抜けるために目の前一直線を斬擊でぶっとばすとして、そこにバルザムたちがいたらもろとも────」
「分かりました、ごめんなさいやらないで」
やっぱそううまくはいかないのか。
私を守りながら誰かを捜索し、しかも戦うのはアデクさんでも難しい状況のようだ。
だったらせめてまた迷子になって、アデクさんに迷惑をかけることだけは避けなければ。
「ていうか、気になったんですけれど何でこんな数が一気に襲ってくるんですか?」
「あー、どうしてあそこまで完璧に獣たちが気配を消してオレらに接近できたのかは分からねぇが、オレらを襲ってくる理由は、多分においだな」
「におい?」
そういう間にもアデクさんは“ウルフェス”3頭を一太刀で切り刻む。
「お前さんが“ウルフェス”の群れに襲われたとき、今漂ってるみたいな独特のにおいがしなかったか」
「あー、すごく臭かったです。実際今もかなり」
“ウルフェス”たちの口臭、だと思っていたが、獣だからではなく何か意味がある物だったのだろうか?
「多分お前さんを噛んだときに付いたそのにおいにつられて、あいつら“ウルフェス”が大集合してるんだ」
『えっ』
急いで噛まれた辺りの臭いを確認する。
アデクさんから借りた洋服からはクローゼットの香りしかしなかったが、自分の匂いというのは案外気がつかないものだ。
「え、私もしかして臭ってますか?」
「あー、大まかなにおいは毒抜きと一緒に消しておいた。
そもそもオレの家に来られちゃたまらんしな。多分あいつらもお前のにおいはもう感じてないと思うぞ」
「じゃあなんで────」
「それでもオレの魔法じゃ消しきれなかった部分もあってだな、お前さんの血液の中に唾液と一緒に入ったわずかなにおい。
毒は無力化できても、そっちのにおいは代謝で体の外に出るまでは消せねぇんだ」
血液に入ってしまった物は、ほんの微量でも
なら、私にまだにおいが付いているのも納得だ。
「え、でも、そんな超微量なにおいを追って“ウルフェス”達が集まってきてるんですか?」
「まぁ、普通の“ウルフェス”じゃ、感じることのできないにおいなんだがな。
これはオレが
「ボスウルフェス?」
初めて聞く“ウルフェス”の名前だ。
ボスウルフェスとはつまり“ウルフェス”たちの群れのリーダーのことだろうか。
「そうだ。“ウルフェス”てぇのは、元来森一つをテリトリーとして、群れを作る魔物なんだ。
その中で百近くはいる群れの獣全てに指示を出す役目をしている、ボスウルフェスがいる。
そいつはとても鼻が良くて、体に入ったわずかな唾液のにおいまで感じることができるってわけだ」
「つまりそのボスウルフェスが私に入ったにおいをかぎ分けて、私を捕まえるために、数千はいる森全体の仲間を大集合させたと言うことですか……」
「そういうことだ。理解が早くて助かるよ」
ここで誉められてもあまり嬉しくない。
獣にとっては生き残るために必死でも、獲物である私にとっては迷惑な話である。
というかむしろ獲物一匹ににこれだけ森の仲間たちをあげての総攻撃だなんて、狩りをするに当たってはとても非効率極まりないと思うのだが────
「あ、なるほど。じゃあ、逆に言えばそのボスさえ倒せばあいつらはもう襲ってこないんじゃないですか?」
「まぁ、ボスさえいなければ、血液のにおいだけの追尾はされないわな。
群れの司令塔を失うわけでもあるわけだし、その推測は正しいが────そりゃ無理だろ」
確かに数千はいる“ウルフェス”の中から、たった一匹を見つけるなど、とても不可能なことのように思える。
せめて何かヒントでもあればいいのだけれど。
「アデクさん、ボスに何か特徴とかないんですか?」
「本当に探す気か?」
アデクさんは呆れたような顔をするが、しばらく考え込んでからその特徴を挙げてくれた。
「そうだな、オレも見たのは一度しかないから詳しくは言えないが。
他の“ウルフェス”より一周り大きくて、左目の一つが潰れていることくらいか」
「もっと他に────鳴き声とかはどうなんですか?」
「鳴き声? それなら人から聞いた話だが、“ウルフェス”のボスはこの森のやつに限らず、人には聞こえないほど高音で鳴いているらしい。
群れの仲間に自分の声がよく通るようにだと」
それだ、
「高音、ですね……?」
「おいおい、だから人間には聞こえないって────」
「試させてください」
そういうと私は呼吸を整え、耳を澄ませる。
心が澄み、周りのすべての音が耳から心に入ってくる感覚────
あのペガラタタという“ウルフェス”独特の鳴き声────
きーさんの剣が肉を引き裂く血飛沫の音────
鼻をつくような、口からの異臭────
満月の夜の透明な空気────
頭に響く獣の────
獣の────
『いたっ……!』
聞こえた、鳴き声のこの先に、確かにアデクさんの言うボスウルフェスを捉える。
あんなところから、私たちを見ている────
「いましたアデクさん、あそこの崖の上、一匹だけこっち見下ろしてるっ」
「なに!?」
私が指を指す方向、その延長線上には、確かに他の“ウルフェス”より一回り大きく、目の一つが潰れた獣がいた。
私たちを見下ろす大きな獣、堂々とした風格はまさにボスという感じだ。
「本当だ、間違いない……どうやって見つけた?」
「たまたま見つけれました」
しかしアデクさんは、大して嬉しそうではなかった。
「いやー、だが見つけてくれたのはありがたいが、ここからじゃあいつは倒せないな」
「何でですか?」
「崖を登って倒すにしても、ここから狙撃しても、この距離じゃ攻撃を当てる前に逃げられちまう。
ボスだからこそ強者と自らは戦わずに、手下たちに指示を送る役目に徹するのが基本だから、多分真っ先に逃げるはずだ」
「そこをなんとかならないんですかね……」
「オレに言われても。自然の摂理だから」
やっぱそううまくはいかないのだろうか?
このままあの狼の場所が分かっているのにやられ続けるのは、とてもじゃないが貧弱な私が持たない。
「いや────そうだ、あるぞ。あのボスウルフェスを倒す方法」
「え、そうなんですか?」
「だがこの方法の実行にはエリアル、お前さんの力が必要だ。お前さんがやるしかねぇ」
「え、私ですか……?」
伝説の戦士に協力できること、したっぱの私にそんなものがあるのだろうか。