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帰りたい(2回目)  昨日の今日でいただきます


 暖かい香りがした────


 目を醒ますと私は、知らない家の知らないベッドに寝ていた。


 そして、自分が意識を失う前にどのようなことがあったのかを思い出して、ゾッと鳥肌を立てる。

 そうだ、私はあそこで獣の餌となっていたかもしれなかったんだ。


 その後どういった経緯でここまで来たかは思い出せないけれど、とりあえずしこたま狼もどきに噛まれたはずの傷は、全てきれいさっぱりに治っている。

 どうやら私はあの獣に襲われた後何者かにここに運ばれ、回復魔法をほどこされたらしい。


 そういえば気を失う前になにか不思議なものを見たような、と記憶の紐を懸命に辿る。

 黒猫と、白い翼と────だめだ、これ以上思い出せない。


 そもそも私は、自分が今どういった状況に陥っているのか分からなかった。

 ベッドの横に備え付けられた窓を覗いて見ると、奥には森が見える。

 と、言うことは、ここはまだ森の中なのだろうか?


 外は日が射しているので、私が気絶している間に夜は明け、すっかり昼間になってしまったらしい。

 太陽はもう既にかなり高いところまで昇っている、大体もうすぐ正午くらいか。


 辺りを見回してみると、この部屋はあまり生活感のある感じがしなかった。

 しかし暖かみのある木組みの家に、窓から降り注ぐ日差し。そしてきれいに整えられたベッドにシーツ────


 その空間はとても心地がよかった。



 この家には誰かが住んでいるのだろうか?

 よく耳を澄ますと、隣の部屋から物音が聞こえる。


『はぁ……』


 まぁ考えていても始まらないし、いつまでもダラダラしているわけにもいかない。

 私はこのままベッドに潜って二度寝したい衝動を抑えて立ち上がった。よっこらせっと。


 化粧台の鏡を使い、乱れた髪を軽く手櫛で解かしてから、私は部屋を出る。


「おう、お前さん!! 目が醒めたのか?」

『わっ』


 びっくりした。扉を開けると隣のこじんまりとしたキッチンダイニングで、長い髭を蓄えた中年くらいの男性が、鋭そうな包丁で野菜を切っていた。


 鍋には具沢山のスープがグツグツと煮込まれている。

 さっきの暖かい香りの正体はこれか────


「あのぉ、助けていただいてありがとうございました」

「おぉ、気にすんな、この辺は人があんまし来ないから退屈してたんだよ!」


 おじさんはカラカラと笑う。よかった、相手はどうやらかなり気さくな性質の人のようだ。


「ハッハッハッ、それにしてもお前さん、酷いやられようだったな。

 可愛そうに相当眼に来てるみたいだ、死んだ魚の眼みたいになってるぞ」

「あ、これ元々です……」

「そうなのか、まぁ傷の方は直したからとりあえず動けるだろ?

 オレにたまたま・・・・治癒魔法の心得があってよかったな、でなけりゃ今ごろ死んでた」


 たまたま、とおじさんは言ったけれど、それはたまたまというより奇跡に近かった。

 治癒魔法を、それもこれほど傷をきれいに治せる人間は、国中見渡してもそこまで多くないはずだ。


 それにあの狼の群れから私を救い出せる程の実力者だったことも、運が良かった。


 それもこれもおじさんのおかげだけど、それをたまたま・・・・で済ませてしまう彼の実力が、私には計り知れなかった。

 いったいこの人、何者だ────?


「あの、おじさんて何のお仕事をなさってるんですか?」

「あん? 職業も何も、世捨て人つーのかな?

 まぁ、細かく言えば周りの村に育てた野菜を売ったりしてるが、基本は食べ物を育てたり狩りに出たり。

 自給自足の自由人てヤツだ。今は、な」

「今は?」


 私はその言葉に少し引っかかりを覚える。

 まぁ、無闇に詮索して気を悪くさせてもいけないし、どうでもいいことなので、敢えては深く追求することはないけれど。


「いや、それよりオレはお前さんに謝らにゃならん」

「え、何でですか?」

「死にかけてたとはいえ気絶してる女を脱がして、勝手に着替えさせて悪かった、って話だ。

 服が血で汚れてたから、取り替える必要があったんだ」

「あー、いえいえそんな……」


 そういえばおじさんの言う通り、私は真新しいTシャツとズボンを着ていた。


 しかし私は命を救ってもらった身だ。

 見られたくない傷や火傷があるわけでもないし、ここで怒る理由もないだろう。


 もちろん裸を見られるのは恥ずかしいけれど、だからこそ気が引けることなのにそこまでしてもらって申し訳ない。


「助けていただいた身です。むしろそこまでしていただいて、感謝してます」

「そうか、話の通じるヤツで安心した。まぁ立ち話も何だ、そこ座れよ。

 とりあえず昨晩の礼に、話の相手くらいは、してくれんだろ?」



   ※   ※   ※   ※   ※



 その後話を聞くとどうやらおじさんは、山菜を採りに行った帰りに、私が襲われているのを見つけ助けてくれたそうだ。

 たまたま帰りが遅くなってしまった日だったから、運がよかったな、とおじさんは言う。


「そういえばお前さん、派手にあの狼にやられてたな。あいつらは普通の狼じゃねぇ、さぞ驚いたろ」

「まぁ、それなりに」

「見た目も特徴的だが、一番の厄介なのはあんな見た目で毒を持ってることだな」

「毒、ですか?」


 狼に毒なんて、あるものなのだろうか。

 だとしたらあれは狼の中でも相当厄介な部類に入るのだろう。


「あいつらの唾液の中には毒が入っていて、一度噛まれたらどんどん動けなくなっちまうんだ」

「あぁ、体の自由が効かなくなったのは、そういう事だったんですね」


 全身の筋肉やら何やらが弛緩しかんし動かなくなった、昨晩のことを思い出す。

 体が痺れて逃げられないという感覚は、思い出しただけでもあまり気分のいいものでは無い。


 それが獣の唾液のせいだと分かったら、尚更なおさらである。


「あいつらの正体は"ウルフェス"っつー魔物なんだけどな。

 神経毒で弱らせて、そのあとは無理に攻撃を仕掛けず相手が弱るのを待つ。

 そうやってなるべく安全に狩りをするんだ。頭いいよなぁ……」


 なるほど、襲われたとき、一度はなんとか振り払えたと思っていたけれど、それもあの狼もどきたちの作戦なのか。

 匂いに気付くのが遅れたのも、身体に神経毒が回っていた証拠だろう。


 口が臭いただの獣とか思っていたけれど、私は一杯喰わされてしまったようだ。本当に喰われなくてよかった。

 私が何とか命を取り留めた幸福感に浸っていると、おじさんは木で出来たお椀に作っていたスープをすくい、差し出してくれた。


「ほれ、準備できたぞ。食いな」

「え、いいんですか?」

「おぉ、強制じゃねぇし寝起きじゃ食う気も起きねぇだろうが、栄養つける意味でもできるだけ、な」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってお椀とスプーンを受け取る。


 いや、でもこれにも毒とか入っていないだろうか?

 死にかけた私はついつい疑心暗鬼になって、試しにかき混ぜてみる。


「美味しそうですね……」

「味は補償するよ。少なくとも食えねぇほど不味いことはないと思うぜ?」


 あぁ、そういえば私は昨日から何も食べていなかった。

 毒がどうとか、そんなどうでもいいことはすぐに魅惑の香りに溶けていった。

 自分を助けてくれた人だ。寝ている間にも治療と着替え以外は何かされた様子もないし、信用していいんだろう。


 うん、決めた。私はこの人を信用しよう。

 そう心に誓い、おじさんお手製のスープをいただくことにする。



「いただきます────あっ、おいしい」

「お口に合ったようで何より」


 野菜のコクと香りが濃縮されたような特性の野菜スープは、私の体に暖かさを届け、全身に広がる温もりを一口目で感じることが出来た。


 よく煮込まれたキャベツやニンジンは、ほどよく歯ごたえがあってなおかつ口の中でホロホロと溶けてゆく。

 街では見かけることの少ない変わった野菜たちも、この土地ならではの料理の味というやつか。


 おや、よく見たらスープに油が浮いている。スープを食べ進めると中にお肉が入っていることに気がついた。

 多分このお肉の油だろう。


 筋張ることもなく柔らかく煮込まれ、牛肉よりも薄味で臭みが少なく、鶏肉よりもパサつきが少ない。

 他の食材の邪魔することのないこの味わい、スープに入れるにはもってこいのお肉だ。


「このお肉は何を使っているんですか?」

「もちろん“ウルフェス”だよ、当たり前だろ」

「うぇ……?」


 危うくスープをお椀ごと落としそうになる。


「じょ、冗談ですよね?」

「他にこの森のどこに肉があるんだよ」

「確かに」


 こんな森に養豚場も養鶏場もあるわけないし、ここで食べられる肉は現地調達、産地直送のあの肉だけだろう。


「あー、あれなら気にするな、毒。ちゃんと抜いてあるから」

「一応安心していいんですよね……」


 全面的に信用しよう、という決意はどこへやら。私の手は、また先程の恐る恐るしたものへと戻った。

 しかし、一度手を付けた皿を下げてもらうわけにもいかないし、素材にさえ眼をつむれば、今まで食べたどの野菜スープより美味しいので、いくらでも食べれそうである。


 でも、昨日殺されかけた相手を今日こうして美味しくいただいているというのもなんだか奇妙な話だ。

 弱肉強食とはこういうことを言うのか──いや、そもそもその「強」は私ではないので、正確には強肉弱食だ。じゃあ、運命の巡り合わせというやつか。


「まぁ、ゆっくり食べな。こいつらは野菜を荒らす魔物から生き残った根性のある野菜達だから、さぞ美味いだろう?」

「はい、も────」


 多分スプーンを動かす手が止まらないのは、昨日の夕飯から何も食べていないからというだけではないだろう。

 おのれ狼、幾分か昨日の嫌な気分も、このスープで忘れられる気がした。


「……………………?」

「どうした、もういいのか?」

「いや、食べます食べます。でもこれ、どっかで似た物を食べたことある気がして……」

「他でもこんなゲテモノが食えたなんて、驚きだね」


 いや、間違いなく毒入り狼の肉は、初めて食べるものなのだけれど。

 まぁこういう類いの食べ物は、大抵シンプルな分どこか懐かしさを感じるように、出来ているんだろう。


「とってもおいしいです。そういえばこの辺にああいう魔物は、よく現れるんですか?」

「いや、結構最近になってからだな。さっきも言った通り、農作物も荒らされて困ってる」

「大変ですねぇ……」

「まぁな」


 そう言いつつも、おじさんはニヤリと笑った。

 何故笑ったのか私には分からなかったが、“ウルフェス”たちを一瞬で蹴散らせることが出来るほどの実力者だ。


 不敵な笑みのその奥には、私なんかでは計り知れない何かがある。


「ところでお前さんよ、そもそもこの辺は魔物がいなくても、昔っから『迷いの森』と呼ばれている危険地帯なんだ。

 それを知らなかったわけじゃ、あるまいよ?」

「えぇ、まぁ……」

「しかもさっき助けたときに着ていた服、お前さん王都エクレアの軍人なんだろ?

 こんな若い娘っ子1人で.どうしてこんなところに?」

「あー、仲間とはぐれてしまいまして……」


 話さなければいけないと分かっていても、自分が迷子だと認めるのはどうにも恥ずかしい。

私は顔に広がるこの熱をスープのせいだと自分に言い聞かせ、話を進める。


「私達の隊は、この森に住んでいる『アデク・ログフィールド』という人を探しに来たんです。

 写真でしか見たことはないんですけれど、年齢は26歳だそうです。

 数年前に軍を引退したのですが、私達軍人の間では今でも【伝説の戦士】と呼ばれています」

「なるほど、そういうことか。アデク・ログフィールドを、ねぇ……」


 おじさんは、その名前を聞いて意味ありげに呟いた。


「えっおじさん、アデクさんを知っているんですかっ、彼の家に行けば、はぐれた仲間もいるかも知れません。

 申し訳ありませんが、ご存じでしたら教えていただけませんかっ?」


 興奮してまくし立てる私の話を聞いて、おじさんはしばらく腕を組んで考え込んだ後、呟くように言った。


「────オレだな」

「へ?」


 その言葉の意味が理解できず、一瞬思考が停止した。


「だからその【伝説の戦士】だったか? バカバカしい呼び名だが『アデク・ログフィールド』って男を探してるなら、それはオレだ。

 あとオレはまだおじさんと呼ばれるには、ちょっと早いよ」


 そんな馬鹿な、私が写真で見たアデク・ログフィールドさんは、貴方よりもっと若くって────


 しかし、よく見るとそのおじさんは髭が年齢を高く見せているだけで、私の年齢からしたらお兄さんと表現するのがふさわしいくらいの年齢だった。

 まさにちょうど26歳くらい。というか、写真で見た【伝説の戦士】その人に間違いない。

 まさかこんなに、あっさり巡り会えていたなんて。



 でもそうなると、他の隊の仲間たちはどこへ────


「迷子が一番乗りとは、笑えねぇ話だな」

「えぇ、本当に……」


 それを聞いて、あれだけ暖かく感じていたはずのこのログハウスが、ひどく閑散としたものに思えてきた。


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